人は他人にも自分にも、完璧であることを求める。
でも、未熟な人間に完璧を期待しても、それは無理というもの。
怒鳴るような、大きな声で”謝罪の言葉”を口にする。
誰かから(周りの大人?社会?それとも”自分”?)「言わなければならない」「言うべきだ」
と言われた結果なら、心がこもらない不自然なものになるのは当たり前。それが自然というもの。(彼は誰に対して”謝罪”したのだろう。あの場で、謝罪する必要があるのだろうか?)
社会や、または”自分”は、なぜ、心の底から自分の心に向き合い、本当の意味で反省(内省)するのを邪魔してしまうのだろう。(彼には静かに自分を見つめる時間が必要だろうに。)
本当に自分に向き合うこと、ありのままの自分に。それから気づき、変わる。
それは、これからなんだろう。
「今から、ここから」
それにしても、社会とは厳しいものだ。そういうものなのです。
乗り越えていくしかない。
折り合いをつけてうまくやっていくしかない。
不邪淫戒(五戒の一つ)
邪な愛情関係を結ばない。
自分の快楽や愛欲を満たすためだけの行為は苦しみへの道。
社会は厳しいね。もっと慈悲深ければ(騒ぎ立てなければ)早く立ち直れるかもしれないけど、そうそう思い通りにはいかないものなのです。
どうか苦しみを乗り越えてね。そうしないと、おばちゃんもみんなも困るのよ^^
ピンチはチャンス。学びのいい機会だよ。
生きとし生けるものが 幸せでありますように。
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