瞑想は悟りさえ理解できれば、早めに卒業すべきものである
空(くう)とは、「この世は幻である」ということ
お釈迦さまは、
一つの存在、自分を定義することで
それ以外の宇宙のすべて(この世には完全なものはないということ)を理解した
抽象度とは、ひとつひとつの具体性に捉われず、
抽象的な概念によって多くの対象を包括的に捉えることだが、
「空(くう)」とは「有」と「無」を包括できる最も抽象度の高い概念
「有り」かつ「無い」とは例えば
数学上の「点」 点には面積がない ないけどある
量子論でいう真空状態とは素粒子のひもが振動していないとき「無」で、振動すると素粒子として現れる「有」
お釈迦さまは、空をより理解しやすく、想像しやすくするための説明として縁起という哲学をつくった
縁起とは「関係が存在を生み出す」と見る概念
種は新しく生まれたように見えても、実は関係性が続いていて、
朽ち果てたように見えても、生と死はつながっている。
なにが原因で何が結果なのか、など明確にいうことはできない。
すべての存在はつながっている。
(因果は縁起の循環の中の一部分を取り出して、名付けただけ。)
絶対的なものなど何もない
一度、この世が幻であると理解し体感してしまえば、別段、瞑想を必要とはしない。
悟った人には瞑想をする以上に、重要なことがある。
それは
自らの悟りを伝えることによって人々の苦しみを救う
こと
現代人なら悟りは簡単に理解できる
(パソコン、ゲーム、映画などで「リアルな仮想現実」を体験している)
わたしの存在とは見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、味わったもの、触ったもの、感じたものの集合
自分とはただの認識であり、幻(無常)である
瞑想を卒業して、私たちはなにをすべきか
来世でのより良い自分の転生のために現世で苦しむ日常を我慢するのではなく、
いま生きている自分や隣人、生きとし生けるすべてのものや事象が
より良いものになるために明日を目指して生きる
瞑想の目的の一つには煩悩を弱める、執着から離れるというものもあるが、
故に気持ちよく、逆に快感を得るために瞑想にハマってしまったのでは本末転倒である
瞑想も早めに卒業しよう。
(日常生活が瞑想になるといいのかな)
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