どんなスポーツでも芸術(音楽美術…)でも仕事でも、何でもいいんです。
それを「何のために」するのかということが、とても大事。
自分にも、他人にも、「欲」や「怒り」や「エゴ」を増すなら、やらないほうがいい。
不幸への道です。
自分や他人を、なぐさめ、元気にする。
幸福への手助けとなるための、スポーツであり、芸術であり、仕事でありますように、、、。
それは個性で、自分にできる役割分担なんだよね。(得意な事をすればいい)
無智じゃできないし、精一杯やる中で智慧を得る。(知識と技術だけじゃだめだね)
自分だけのため(エゴ)ならやらない方がいい。他人の迷惑になる。
慈悲喜捨のない幸福などあり得ません。
自分が明るく元気でなければ、分けてあげられない。
自分も、他人も幸せでありますように。
「今、ここ」の現象・感覚・心(自然現象とそのプロセス)を、静かにありのまま、正しく観察すれば、心の汚れ(暗さ)は流れ、流れていく。気づき、智慧が生まれる。
そうやって、この世の苦しみを乗り越えていこう。
そうやって、上手に対処していけば、何も心配することはない。
大丈夫、明るく生きよう。
マインドフルになろう。
したっけ。
でなきゃ、もったいない。^^
きれいな心じゃなければ、楽しめませんよね。
また人から「ありがとう」「助かった」などと言われると よりやる気になったものです。
結構、途中は苦しく 四苦八苦していた教材で 子ども達から「よくわかった」「おもしろてね」などと言われると、苦しさが楽しさに変化する体験もしたものです。
理屈抜きに好きだから、興味あるから、楽しそうだから、できそうだから、取り組むのではないのかな・・・。
なぜ、学び続けるのかというと、「自立して自由になるため」「幸せになるため」なんだと思います。
なぜ学校に行くのか。幸せになるため、そして人を幸せにしてあげられる(助けてあげられる)人になるため。
何でも興味があるもの、好き(得意)なものからでいいんです。(なるべく”嫌い”なことはしたくない、怠けたいのが人間。でも本当に必要なら”好き”なことだけしたり、楽なことばかりするわけにいきませんから、そこに楽しみや喜びが必要になるわけですよね。感謝の言葉もそうなのかな)
まずは、自分が自立し自由に幸せになることで、他人にも手助けができるようになる。お互い様の関係なのですね。「自分だけ」となると、よくないですね。なんのためか、「自分の喜びだけのため」となるとそれはまずいということです。
お互い様で、お互いに向上すること。(相手を壊したり潰したりして自分が優位に立たせたり勝つ、というのは、「なんのため」を考え違いしている、ということだろうと、ニュースを見ていて感じました)