今日は特に何もなく、「普通」でした。
でも、「退屈」ではありませんでした。
>身体で感じる感覚には、①「楽」②「苦」③「不苦不楽」がある
>「楽」もない「苦」もない・・・ここに「退屈」という煩悩が生まれてきます。
>とりたててなにもすることがないというのは、普通の状態です。それを「退屈」と感じるのは「無知」だからです。「楽」(=欲)や「苦」(=怒り)にとらわれているから、楽もなくなり、苦もなくなると、退屈になるのです。
>これは、「もっと楽しみたい」「もっと自分を楽しませたい」という身体の感覚にとらわれているからです。それに気がつかないでいると、欲は肥大するばかりで、同じように怒りも生まれ続け、執着や束縛から一生離れることはできません。
>執着は心を束縛します。束縛されるから不安や嫉妬が生まれ、心がとても不自由になるのです。
(『執着の捨て方 「私」を手放して自由になる』 A.スマナサーラ著より)
久しぶりに、仏教の本を読みました。
欲があるのも、怒りが生まれるのも、人や物のせいではないんです。自分の心に「執着(渇愛)」があるからなんです。でも、それは理性で止めることが出来ます。
執着を捨てれば心が自由になる。
心が洗われ、疲れもどこかに吹き飛んでいきました。身も心もスッキリ
少しでも悟りに近づきたいものです。
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