「欲」(三毒、煩悩の一つ。五感の快楽を求める「五欲への執着」(=欲愛)・「生きることへの執着、生存欲」(=有愛)・死にたくないための「破壊欲」又は明るく生きたいけどできないので生きる意欲がなくなってどうでもよくなる「否生存欲」(=無有愛)の三つを「渇愛」という)は、生命が生まれつき持っている性質、つまり「本能」だからあって当たり前で、そのせいで「生きることは苦」なんだけど、でも”生きるためには仕方がない”面があるよな・・・と今までは理解してたのですが、(高齢者が長生きするためには少しは「欲」があった方がいいのかもとか、ちょっと迷いが…)
あっても仕方がないけど、生きることに「欠かせない」ものではない
別に生死に関わるような、必要なものじゃはない
ということだった
だったらいらない。本能だから仕方ないねえ、生きるためには仕方ないねえ(←これ生存欲)じゃなくて、本能だけどなくした方がいいんだ、なくせるんだ、
ということ。(生存欲がなくなったら死ぬってわけじゃない)
そもそも「生きることは苦」でしかない。(楽を”感じる”とすれば、苦が別の苦に変わる「一瞬」のこと)
その苦の原因はこの渇愛(欲)という本能。
ならば、楽(幸せ)に生きるためには渇愛はない方がいい。なくしてしまうことは難しいかもしれないけど、少なければ少ないほど楽に生きられるようになる。なくしてしまえれば、究極の楽(幸せ)しか残らないってことになる。
苦の原因なんていらな~い。
明るく幸せに(寿命いっぱい)長生きしたらいい。
一瞬の楽(快楽)のために、大きな代償(苦)を払いながら生きているのが人生なんだよね。ワタシは苦はもういいかな。めんどくさいし。(小さな苦で)小さな楽を日々感じながら生きるのがいい。渇愛が少なければたくさんの楽を感じることができる、こっちをめざしたい。(渇愛・欲が少ないってことは我慢とか苦ではない、逆なんですね)
高齢者にも欲を大きく応援するような言動は控えた方がいいね。^^;
したっけ。
考えてないで、ありのままに観ること、気づくことです。
しっかりはっきりと見えてなかったことに、ああ!(ポン!)て気がついた(ような気がする)のです。^^
気がつくとスッキリします^^