生老病死。すべての生命は生老病死を繰り返す。
身体というものは、本当にどうしようもなくめんどくさいものだ。
人間の寿命は短い。もっと短い生命もいる。
愛別離苦。愛する者との別れを繰り返す。
誰でも死んでいく。別れたくなくても別れなければならない日が、必ずやってくる。
生きるということは、そういうものだ。どうしようもない。
どうしようもないことは受け入れるしかない。
でも、
今、生きている。今、まだ元気だ。
生きているこの瞬間を苦しむことはない。誰一人として。
生きている一日一日、一瞬一瞬を大事にしよう。
今できるベストをつくそう。
先のことをくよくよ考えて、心配かけないようにしよう。
生きている限り、死のその瞬間まで、嬉しい、楽しい、気持ちいい、幸せだと感じるられるようにしてあげよう。
穏やかに過ごせるようにしてあげよう。
「虹の橋」に旅立つその瞬間まで。明るく、穏やかに、苦しむことなく、、。
この世で幸せなら次世も幸せになる。いつか、また天界で出会えるかもしれない。もし、虹の橋で待っててくれてるなら(待たなくていいよ)一緒に行けるように、私もしっかり生きよう。
ピコちゃんも、次世で幸せに暮らしてるといいな。待ってなくていいからね、先に幸せになっててね。(もし、人間のつもりで幸せに生きてたら、次は人間に生まれるかな?人間に生まれて、心を清らかにする修行を続ければ、いつかは一切の苦しみのない涅槃に至ることも可能だよね。)
病気で苦しんでいる人たちが、安穏で、幸福でありますように。
痛み、苦しみ、落ち込み、失望、不安、恐怖がなくなりますように。
慈しみで包まれますように。
心と身体が慈しみで満たされますように。
次世が苦しみのないところでありますように・・・。
みな同じ条件下で生きている。
ただ、それが訪れる時は誰も知らない^^
したっけ。
理解して、覚悟をもって、今に集中すること、今を大事にすることですね。
とはいえ、愛する者の余命が短いと宣告されると、辛い。修行が足りないのです。でも、修行が足りないジブンをありのまま見るのも修行のうちです。
だって、人間だもの。。。^^;
伝える選択と伝えない選択。どちらもありです。
その時の状況によります。
過去のことは、どちらにしても、それはその時の自分の「精一杯の選択」だったわけだから、それを後悔することはないんですよね。まあ、その経験から学んだことを今から生かしていけば(学び)いいだけだと思います。
後悔というのは「今」しているものですね。それでは「今」がもったいない。するなら、後悔ではなく反省。失敗(だと自分で思っている)ことも、そこから学べれば失敗なんかじゃなくて「よい経験」。今に生かせばいいんですよ。^^
あとね、相手が伝えてほしかったのかどうか、って問題もあると思いますよ。自分の思いだけで突っ走ると相手が困ってしまうことだってあるから。
まあ、”思い”ってのは、何となく伝わるものだから、口に出してなくても伝わってたかもしれないですよ。^^
なあ~んてね。人間は誰だって後悔のひとつやふたつみっつよっついつつ、、、?くらいはあるもの(ありすぎ?)。気にしない気にしない^^