バランスのある空間

体のこと、心のこと、環境・空間のことの体験談!ワークショップ案内!自分が見たり、感じて想った事を書いてます

こんなに違うのか!

2010-01-21 20:53:51 | ワークショップ、教室開催報告

今日はいつも髪を切りに行く友人の理容店に行きました

とてもスタッフは丁寧で感じよく、店自体に活気があり明るいですもちろん技術もあって、リラックスして受けることができました。髪も心もスッキリです

なぜこのようなことを言うかと言うと、2日前に友人の店に行こうと思っている矢先、どうしても伸びてきた耳元と襟元を切らなくてはいけない用事ができ、そこで1000円でカットするお店に行きました。

そこの対応が余りにも友人の理容院や今まで行ってきた理容院とは差がありすぎて驚きました

まず入店時に挨拶はない、勝手の分からないお客様(私)が困っていても見て見ぬふり、帰りのお客様にたいしての言葉が小さく聞こえない、スタッフの声が小さく聞こえない、のんびりやっている感じする。皆暗く感じる、お客様とのコミュニケーションが全くない、と言うことで活気が感じられないなどを私は感じました。

したがってリラックスも気持ちも楽にはなりませんし、カット中も安心して任せるということもなく、逆に「大丈夫だよな?」と不安に なりました

もちろん1000円だからサービスよりもカットだけがメインというのは分かります。しかし「最低限は必要でしょぉ!」と思ったり、1000円以上の満足を提供できれば、また来ようと思うのにと思ったりしました

またお店の方針などがあるでしょうし、スタッフの方はやる気があり私が感じただけなのかも知れません。ただ友人の理容店や美容院はカット技術だけでなく、そう言うことを努力してたりしますしそう感じます。または最低限はしていると思います(なので気になりません)。

もしかしたらそんなにそういう行為が欲しいならそういう所に行ってくださいと言う考えもあるのかもしれませんし、私が感じすぎているのかもしれません。

しかし私はここまでそう感じたのが初めてだったので、同じカットをするという行為でも、全然感じ方が変わり、切られた髪もスッキリしませんし、心は逆にストレスを感じました

普通に受けている挨拶や行動、言葉、コミュニケーション(手際の良さも)がないだけで人の感情・感じ方がここまで違うんだと体験できて面白かったです

そして私も知 らずにそういうことをしていないかと思わされ、学習させられました。まだまだ足りないことや気付いてないことがあるので気をつけていかないとなぁ。

結構見逃しがちですけど、凄く大事だと私は思います


何年かぶりに

2010-01-19 15:47:36 | 食・レシピ

何年かぶりに
今日は何年かぶりにラーメン屋さんでラーメンを食べました

普段そんなに食べたいと思わないのですが、今日は治療院で雑務をして昼食どうしようか迷っていたら、気になるラーメン屋さんを思い出したので行ってみました

中華そば「とんび」です。

あまりラーメンに詳しくないので、たぶん魚介系(煮干しかな?)のとんこつラーメンだと思います。さっぱりしてて美味しかったですが、やはりとんこつスープを飲むのはきついですお腹にくるので、スープは少しだけしか飲みませんでした。

始めは大盛り無料だったので、今日はちょっと食べてやろうかななどと思っていましたが、普通で良かったです。むしろ普通でもきつかったなぁ

危ない危ない・・・


熱ッ!冷たッ!!

2010-01-17 20:04:01 | インポート

昨日夜湯たんぽにお湯を入れようと、やかんで沸かしていました

そしてお湯が沸き湯たんぽに入れて、もう一度沸かそうとしたときです

やかんの取っ手を持ちながら水を入れているのですが、最初は湯気で手が熱く、「アチッアチッ」といいながら何とか耐えていましたが、だんだん熱さが増した感じがして、耐えられず「アチーッ」と手を離しました。とその瞬間手を見たら冷たい水がかかっていてそれを熱いと感じていたようです。それを見て急に冷たい感覚が出てきて「冷たッ」と言ってしまいました。

たぶん熱い感覚とかなり冷たい感覚は痛覚を刺激されていて、痛みとして捉えられていて、ただ湯気で熱いと思い込んでいるため、冷たい水がかかったら痛覚をさらに刺激され、さらに熱いと思ってしまったのではと思いました

自分でコントかと思うほど良いリアクションでした「アチッアチッ冷たッ」という感じです。


アドバイスが自分になる

2010-01-16 20:02:37 | インポート

最近整体仲間でメールでの質問や情報交換をしているのですが、質問を受けたときにアドバイスを自分の考えと、相手はこう考えているのではとかこれは言わなくても分かっているだろうなど、相手とのバランスを計りながら書こうとします(実際の相手の考えは分かり切ることはできないとは思いますが)。

しかしだんだん書いていくうちに、そのバランスが自分の考えが主体になってきているのに気付かされますしかも自分が悩みを抱えていて、それをどうしたらいいか?と言う感じになります。

大体の人が自分に置き換えて考えると思いますが、そこに自分がという主体が強すぎて、それが良い、もっと強くなると正しいと言うような文になりがちになるということです

私は入り込みすぎたり、思い込みすぎたりするので、そうならないように書いた文を読み返したりします。書いててフッと気付くときがあります。

ただ、そんなことを感じながら書いても、書いた側がどうのより、見る側がどう捉えるかで違うと思います。

って今までの文台無しじゃん・・・