グレン・フライ Glenn Frey
【本 名】
Glenn Lewis Frey
【パート】
ヴォーカル、ギター、キーボード、ハーモニカ、ドラムス、パーカッション
【生没年月日】
1948年11月6日~2016年1月18日(67歳没)
【出身地】
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
【経歴】
マッシュルームズ/Mashrooms(1967)
ヘヴィ・メタル・キッズ/Heavy Metal Kids(1967)
ロングブランチ・ペニーホィッスル/Longbranch Pennywhistle(1968~1969)
リンダ・ロンシュタット&ハー・バンド/Linda Ronstadt & Her Band(1970~1971)
イーグルス/Eagles(1971~1982)
イーグルス/Eagles(1994~2016)
グレン・フライは、アメリカ合衆国のヴォーカリスト、ギタリスト、コンポーザー。
アメリカン・ロック史上屈指の人気バンド、イーグルスの創設メンバーにしてリーダーである。
フライはデトロイトで生まれ、近くのロイヤルオークで育った。
5歳からピアノのレッスンを受け、その後ギターに転向する。
1966年にドンデロ高校を卒業したフライは、オークランド・コミュニティ・カレッジに通いながら、地元のバンド「ザ・フォー・オブ・アス」に加入して、デトロイトのロック・シーンで活動するようになる。
フライは、ザ・フォー・オブ・アスで演奏しながらハーモニーを付けて歌うことを学び、1967年に「マッシュルームズ」を結成する。マッシュルームズのシングルのプロデュースを担当したのは、当時デトロイトのロック・ヒーローとして活躍していたボブ・シーガーである。フライとシーガーはこの年に出会ったのだが、彼らの友情は終生続くことになる。
1967年後半には、ジェフ・バロウズ(piano)、ジェフ・アルボレル(bass)、ポール・ケルコース(guitar)、ランス・ディッカーソン(drums)とともに「ヘヴィ・メタル・キッズ」を結成。
1968年、ボブ・シーガーの初期のヒット曲「Ramblin' Gamblin' Man」にアコースティック・ギターとバッキング・ヴォーカルで参加。これがフライの初めてのレコーディング・セッションだった。
この年ロサンゼルスに移ったフライはJ.D.サウザーと知り合い、ルーム・メイトとなる。ふたりは「ロングブランチ・ペニーホィッスル」というデュオを組み、1969年にアルバム「Longbranch Pennywhistle」を発表したが、まったく売れなかった。フライはこの時期ジャクソン・ブラウンとも知り合っている。
1970年、フライはドン・ヘンリーと知り合う。エイモス・レコードに所属していたふたりは、レーベルのオフィスやウェスト・ハリウッドのクラブ「トルバドゥール」で時々顔を合わせるようになった。
1971年、リンダ・ロンシュタットのツアー・バンドを編成することになった。フライは、歌えるリズム・ギタリストを探していたロンシュタットのマネージャーのジョン・ボイランから声をかけられ、ヘンリーを誘ってこのバンドに参加する。このバンドのために集められたのは、フライとヘンリーのほか、ランディ・マイズナー(bass)、バーニー・レドン(guitar, banjo)である。ただし、ツアーでこの4人が揃ったのは1回だけだった。
フライとヘンリーは一緒にバンドを組むことを相談するようになり、マイズナーとレドンをメンバーに加えた。
フライは、友人のジャクソン・ブラウンにアサイラム・レコードを設立したデヴィッド・ゲフィンを紹介してもらい、新バンドは1971年9月にアサイラム・レコードと契約した。
このバンドは、1971年10月にアスペンのクラブ「ザ・ギャラリー」で最初のライヴを行ったが、この時のバンド名は「ティーン・キング&ザ・エマージェンシーズ」であった。その後バンド名は「イーグルス」となった。
1972年5月1日、イーグルスのデビュー・シングル「テイク・イット・イージー」がリリースされた。この曲は、ジャクソン・ブラウンと共作したものである。
フライとブラウンは当時同じアパートに住んでいた。ブラウンの部屋はフライの階下で、フライは床の下から聴こえるジャクソンの楽器の音で曲作りを学んだという。ある日ブラウンの部屋に遊びに行ったフライは、その時ブラウンが演奏していた曲を気に入り、即興で歌詞を付けて歌った。それを聴いたブラウンは、その曲をフライに提供することに決めた。その曲「テイク・イット・イージー」はビルボード12位まで上昇し、イーグルスは幸先の良いスタートを切った。
イーグルスの最初の2枚のアルバムはグリン・ジョンズがプロデュースしたものである。ジョンズはザ・フーやレッド・ツェッペリンとの仕事で、すでにその手腕は広く認められていた。初期のイーグルスはカントリー色が強く、その路線を進めようとしたジョンズと、ロック・サウンドへシフトしたいバンド側とは意見が合わなくなってゆく。このため3枚目のアルバム「オン・ザ・ボーダー」からプロデューサーはビル・シムジクに代わった。しかしフライはジョンズから「アレンジ、プロデュースのほか、プロとしての心構えなど多くのことを学んだ」と後年述懐している。
カントリー色が濃厚だった初期のイーグルスを音楽面で支えていたのはバーニー・レドンであった。バンドが生み出す音楽には彼の音楽性が深く投影されていたが、レドンは、フライとヘンリーの高圧的な態度とロック色が強まるバンドの音楽性を次第に受け入れられなくなり、1975年12月に脱退する。
レドンがバンドから離れると、フライがイーグルス・サウンドの中心として活躍するようになる。フライは、実質的なリーダーとしてイーグルスを牽引、ギター、キーボードを担当し、「テキーラ・サンライズ」「過ぎた事」「いつわりの瞳」「ニュー・キッド・イン・タウン」「ハートエイク・トゥナイト」など数々の名曲でリード・ヴォーカルを取った。
フライと、もう一方のバンドの柱であるドン・ヘンリーはバンドの重要なコンポーザー・チームでもあった。おもにヘンリーが作詞、フライが作曲を担当し、ふたりでバンドの代表作の多くを作った。
レドンの後任としてイーグルスに参加したのが元ジェイムス・ギャングのジョー・ウォルシュである。ウォルシュのギターは、ブルースやサザン・ロックをベースにしたもので、当時のアメリカン・ロックを代表するギタリストのひとりに数えられていた。彼の加入でイーグルスはさらにロック色を強めることになった。
1976年、イーグルスはロック史上に残る傑作アルバム「ホテル・カリフォルニア」を発表する。演奏力、曲の完成度など、内容は非常に充実しており、アルバムは世界的な記録的大ヒットとなった。フライはこのアルバムの9曲中7曲の作曲に携わっている。
しかしこの時期のフライ(とヘンリー)は、バンド内でますます高圧的になってゆき、その矛先はランディ・マイズナーに向く。その結果バンド内のストレスに加え、ツアーに次ぐツアーによる疲労が重なって、マイズナーは1977年のツアー中にバンドから離脱した。
その後、フライとドン・フェルダーの関係の悪化や、創作面でのスランプなどを理由に、イーグルスは1980年に活動を停止(1982年正式に解散)する。
1980年のイーグルス活動停止後、フライはソロ活動に入る。
1984年、フライはハロルド・ファルターメイヤーとともにエディ・マーフィー主演の「ビヴァリーヒルズ・コップ」のメイン・テーマ「ヒート・イズ・オン」を共作、これが映画ともども大ヒットする。
1985年には人気テレビ・シリーズ「マイアミ・バイス」のサウンド・トラックが全米アルバム・チャートで11週1位となっている。サウンド・トラックの中の「スマグラーズ・ブルース」はビルボード12位まで上昇した。
フライは、ソロ活動のなかで全米トップ100に12曲送り込んでおり、ソロ・キャリアでも大成功を収めたと言える。
また1980年代からは俳優としても活動し、テレビ・シリーズ「マイアミ・バイス」や「ナッシュ・ビリッジス」「アーリス」、また1986年の映画「レッツ・ゲット・ハリー」「ジェリー・マグワイア」などに出演している。
1994年、イーグルスは1982年の解散時のメンバー(グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ジョー・ウォルシュ、ドン・フェルダー、ティモシー・シュミット)で再結成し、アルバム「ヘル・フリーゼス・オーヴァー」をリリースした。アルバムのタイトルについて、フライは「イーグルスが解散した時、わたしとドンはいろんな人たちに『イーグルスはいつ再結成するのか』と尋ねられた。わたしたちは冗談で『地獄が凍ったときだね』と答えたものだ」と述懐している。
またフライは、1994年の最初のコンサートで聴衆に向かって「念のために言っておきますが、われわれは解散したことはありません。14年間の休暇を取っただけです」と語りかけている。
1990年代後半、フライは弁護士のピーター・ロペスとともに「ミッション・レコード」を設立する。しかしフライ自身はこのレーベルからレコードをリリースすることはなく、その後ミッション・レコードは解散した。
1998年にはイーグルスとしてロックの殿堂入りを果たした。
2007年、イーグルスは約13年ぶりのアルバム「ロング・ロード・アウト・オブ・エデン」発表する。アルバムは全世界で大ヒットを記録し、バンドは人気健在ぶりを見せつけた。
2009年、ミシガン・ロックンロール・レジェンドの殿堂入り。
2012年5月、フライは20年ぶりのソロ・アルバム「アフター・アワーズ」を発表したが、これが彼の生前最後の作品となった。
2012年5月、フライはヘンリー、ウォルシュ、シュミットとともにバークリー音楽大学から名誉博士号を授与される。
2013年から2年間にわたり、イーグルスは「ヒストリー・オブ・ザ・イーグルス」のワールド・ツアーを行った。ツアーは2015年7月29日にルイジアナ州ボージャー・シティのコンサートで幕を閉じたが、これがフライがバンドとともに公の場に姿を現した最後の公演でとなった。
フライは2000年に関節リウマチと診断されていたが、2016年1月18日にリウマチ性関節炎、急性潰瘍性大腸炎、肺炎による合併症によりニューヨーク市で死去した。67歳であった。
フライは、生前イーグルスのメンバーとしてグラミー賞を6回、アメリカン・ミュージック・アワードを5回受賞したほか、ビルボードのトップ40に、イーグルス名義、ソロ名義合わせて24曲を送り込んでいる。
フライの死去翌日の1月19日、マネージャーのアーヴィング・エイゾフが、「大腸炎と肺炎は関節リウマチの薬の副作用だった」と言及した。この日、ジャクソン・ブラウンは自分のコンサートで「テイク・イット・イージー」を歌ってフライに弔意を捧げた。
同年3月10日、ドン・ヘンリーによってイーグルスの解散が発表された。
フライには2度の結婚歴がある。
1990年に結婚した2度目の妻シンディ・ミリガンとの間には3人の子がいるが、第二子で長男のディーコンは2017年にイーグルスに加入、2022年まで在籍。いったん脱退したが、2023年に復帰している。
【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーション・アルバム)
◆アルバム
<ソロ>
1982年 ノー・ファン・アラウド/No Fun Aloud(US32位)
1984年 オールナイター/The Allnighter(US22位, UK31位)
1988年 ソウル・サーチン/Soul Searchin'(US36位)
1992年 ストレンジ・ウェザー/Strange Weather
☆1993年 ライヴ/Glenn Frey Live
★1995年 ソロ・コレクション/Solo Collection(US82位)
★2000年 ベスト・オブ・グレン・フライ/20th Century Masters – The Millennium Collection
2012年 アフター・アワーズ/After Hours(US116位, UK92位)
★2018年 アバーヴ・ザ・クラウズ : ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・グレン・フライ/Above the Clouds:The Collection
<イーグルス>
1972年 イーグルス・ファースト/Eagles(US22位)
1973年 ならず者/Desperado(US41位, UK39位)
1974年 オン・ザ・ボーダー/On the Border(US17位, UK28位)
1975年 呪われた夜/One of These Nights(US1位, UK8位)
★1976年 イーグルス・グレイテスト・ヒッツ 1971-1975/Their Greatest Hits (1971-1975)(US1位, UK2位)
1976年 ホテル・カリフォルニア/Hotel California(US1位, UK2位)
1979年 ロング・ラン/Tje Long Run(US1位, UK4位)
☆1980年 イーグルス・ライヴ/Eagles Live(US6位, UK24位)
★1982年 イーグルス・グレイテスト・ヒッツ VOL.2/Eagles Greatest Hits Volume 2(US52位)
★1985年 ベスト・オブ・イーグルス/The Best of Eagles(UK8位)
☆1994年 ヘル・フリーゼズ・オーヴァー/Hell Freezes Over(US1位, UK18位)
★1994年 The Very Best of the Eagles(UK4位)
★2000年 Selected Works:1972-1999(US109位, UK28位)
★2003年 The Very Best Of/The Complete Greatest Hits(US3位, UK9位)
2007年 ロング・ロード・アウト・オブ・エデン/Long Road Out of Eden(US1位, UK1位)
☆2010年 ライヴ・フロム・ザ・フォーラム/Live from the Forum MMXVIII(US16位, UK26位)
★2024年 To the Limit:The Essential Collection(US30位, UK43位)
◆シングル
<ソロ>
1982年 サムバディ/I Found Somebody(US31位)
1982年 恋人/The One You Love(US15位)
1982年 Don't Give Up
1982年 Partytown
1983年 All Those Lies(US41位)
1984年 セクシー・ガール/Sexy Girl(US20位, UK81位)
1984年 The Allnighter(US54位)
1985年 ヒート・イズ・オン/The Heat Is On(US2位, UK12位) ※映画「ビヴァリーヒルズ・コップ」挿入歌
1985年 運び屋のブルース/Smuggler's Blues(US12位, UK22位) ※TVドラマ「特捜刑事マイアミ・バイス」挿入歌
1985年 ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ/You Belong To The City(US2位, UK94位) ※TVドラマ「特捜刑事マイアミ・バイス」挿入歌
1988年 トゥルー・ラヴ/True Love(US13位, UK84位)
1988年 ソウル・サーチン/Soul Searchin'
1989年 リヴィン・ライト/Livin' Right(US90位)
1989年 Flip City
1991年 パート・オブ・ミー、パート・オブ・ユー/Part Of Me, Part Of You(US55位) ※映画「テルマ&ルイーズ」挿入歌
1992年 アイヴ・ゴット・マイン/I've Got Mine(US91位)
1992年 River Of Dreams
1993年 Love In The 21st Century (US:Bubbling Under12位)
1995年 ハッピネス/This Way to Happiness
<イーグルス>
1972年 テイク・イット・イージー/Take It Easy(US12位)
1972年 魔女のささやき/Witchy Woman(US9位)
1972年 ピースフル・イージー・フィーリング/Peaceful Easy Feeling(US22位)
1973年 テキーラ・サンライズ/Tequila Sunrise(US64位)
1973年 アウトロー・マン/Outlaw Man(US59位)
1974年 過ぎた事/Already Gone(US32位)
1974年 ジェームス・ディーン/James Dean(US77位)
1974年 我が愛の至上/Best of My Love(US1位)
1975年 呪われた夜/One of These Nights(US1位, UK23位)
1975年 いつわりの瞳/Lyin' Eyes(US2位, UK23位)
1975年 テイク・イット・トゥ・ザ・リミット/Take It to the Limit(US4位, UK12位)
1976年 ニュー・キッド・イン・タウン/New Kid in Town(US1位, UK20位)
1977年 ホテル・カリフォルニア/Hotel California(US1位, UK8位)
1977年 駆け足の人生/Life in the Fast Lane(US11位)
1978年 二人だけのクリスマス/Please Come Home for Christmas(US18位, UK30位)
1979年 ハートエイク・トゥナイト/Heartache Tonoght(US1位, UK40位)
1979年 ロング・ラン/The Long Run(US8位, UK66位)
1980年 言いだせなくて/I Can't Tell You Why(US8位)
1980年 セヴン・ブリッジズ・ロード/Seven Bridges Road(US21位)
1994年 ゲット・オーヴァー・イット/Get Over It(US31位)
1994年 ラヴ・ウィル・キープ・アス・アライヴ/Love Will Keep Us Alive(UK52位)
1994年 ザ・ガール・フロム・イエスタデイ/The Girl from Yesterday
1995年 ラーン・トゥ・ビー・スティル/Learn to Be Still
2003年 ホール・イン・ザ・ワールド/Hole in the World(US69位, UK69位)
2005年 明日はきっと晴れるから/No More Cloudy Days
2007年 ハウ・ロング/How Long(US101位, UK110位)
2008年 享楽の日々/Busy Being Fabulous
2008年 戻れない二人/What Do I Do with My Heart
2009年 もう聞きたくない/I Don't Want to Hear Any More
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