2007 秋 モンマルトル
2007年は
忙しい年だった
4月は南フランスで語学学校
たった一人で土地勘もなく
たどたどしいフランス語は
生きて行くのにやっとのレベル
それでも 一週間、二週間と過ぎるうちに
仲間ができた
また明日!って言う仲間ができた
やっと生活しやすくなったところで
パリに移って ホテル・リッツの製菓学校へ…
学校はホテルと同じ建物の地下1階
毎日 クリーニングされて支給される
コックコートを受け取る場所は地下3階
スタッフがいるのは1階
誰も説明をしてはくれず
おろおろ うろうろ…
自分がいかに場違いかを実感して
情けなくなりながらも
とにかく楽しくて、楽しくて…
必死で食い下がっていくうちに
ハグしてキスしてくれる仲間ができた
リッツでも頑張れた自分が誇らしくて
離れたくはなかったパリ
けど、ビザの都合で
夏はカナダ・トロントの大学へ…
今度は英語だから
暮らすに問題はないものの
誰一人知る人のいない街での再スタート
大学は若いコばかり…
もういいや、仲間はいなくても…
勉強だけに集中しよう
そう思っていたのに
気づくと映画やショッピングに誘ってくれる
下宿のマダム
一緒にご飯食べようと言ってくれるクラスメート
素敵な夏だった
サマースクールだけでトロントを離れた私を
飛行場まで送ってくれた若い仲間たち
秋
再びパリに…
楽しかった春から夏にかけてのフランス
あの時の仲間は いないパリ
土地勘も語学力も比較にならなかったし
それなりに知り合いもできたけれど
また新しい人たちに囲まれる日々
自分のエネルギー
どこまで続くだろうって
正直不安になったよ
母がガンだと連絡が入り
初冬に帰国
母の元に通いながら
仕事探しを始めた
横浜での自分の足場を固め、
人脈を築き…
進学塾英語教師、病院厨房、
カルチャースクール教師…
忙しかったけれど
自由と天職と
暖かい人たちに囲まれた日々だった
思うに
人のエネルギーは
使えば減るものではないのではないか…
どちらかというと
自家発電のように充電されていくような気がする
私の場合
充電器は家族であり
「また明日」と分かれる仲間、ともだちであり、
力を注ぐことのできる仕事であり…
ここまで頑張れたのだから
まだ頑張れるよ、きっと…