寒いです…
明日の予報はか
まとまった降水量が欲しいところです
母が亡くなったらパリへ行こう…
何年も前からそう決めていました
そうでもしないと立ち直れないのでは…と思っていました
その事は母も知っていました
3月の末に母が亡くなり
四十九日やら片づけやらを済ませて
数カ月ぶりに戻った嫁ぎ先で
私は居場所を失ってしまい二度目の離婚
結果として自分の家を出ることになり
長年の夢で
全財産を投じて建てた
仕事場兼自宅のアトリエから離れ…
ホントのところ
母の死を悼み、引きずる事さえできないほど
心身ともに混沌とした月日でした
さぁ この後どうやって生きていこう…
まだ引退するのは早すぎるのです
今から身体が続く限りが
最後のチャンスだと思うのです
食べていけるだけの仕事をして
細々と生きていくのも人生だけど
本当にやりたかった事に賭けてみるなら
もう残された時間は短い
父なら、 母なら何と言っただろう…
自分らしく生きろ
きっとそれを望んでいると思う
それは子供たちの望みでもあるのです
東京ー旭川を数往復し
最後の3カ月を一緒に暮らした娘は
早い時期から無理が多すぎる再婚だと言っていた
それだけに今一つ元気になりきれない母親を
ずっと心配しているようだ…
もう一度パリに行っておいでよ
この数カ月 娘夫婦からはそう言われていました
その大好きなパリにさえ心は動かなかったのだけど
夢の結実であるアトリエから
一度完全に心を離さない限り次へは進めない
今は… 当分は、 あそこには住めないのだから…
大きな一歩を踏み出すことにしました
重い腰を上げて動き始めました
母がわたしたちに それぞれ
残してくれたものがあるのです
私にはパリに行くための資金
2007年
私はホテルリッツの製菓学校に留学しました
全てのコースを終えて
ボランジェリー(製パン)のクラスも
受講しようと思っていたのですが
パティシエの資格試験の週と
ボランジェリーの前半が被っていました
そのためにヴィエノワズリーという
デニッシュとかクロワッサンとかの
いわゆる上級クラスだけの受講となりました
本当に私が作りたいシンプルなパンを
習うには あと一週間の受講が必要なのです
問い合わせをしてみました
運よく次のボランジェリーには空席が残っていると…
今日 届いた入学許可の書類
動くためには
諸条件が揃わないと動けない
私が一番心配するのはマイロたちの事
それも子育て中で
仕事をしていない娘が面倒を見てくれると言う
すぐ近くのマンションにして良かった…
以前お世話になったモンマルトルの下宿屋さん
オーナーのフランソワーズにも連絡
フランス語でメール書くのに四苦八苦…
彼女からも 喜んで~の返信
航空券の手配に行きました
私が譲れないこだわり
その1
海外旅行であれば絶対に通路側
こう見えて気の小さな私は
トイレなどの度に
『済みません… Excuse me... Excusez-moi...』
が 出来ないのです…
マイペースにやりたいのです
その2
大幅な差がないのなら
是非ともエールフランスで…
エアフラは座席間のピッチが広い気がする
それに機内で自由にさせてくれる
っていうかフライトアテンダントさんたちも
かなり寛いでいる
さすがはフランスだ
(働かない国民との悪口もあるが…)
しかも機内食が美味しいと思う
その上 機内からフランス気分になれる
懐かしいモンマルトルの丘
その二つの我儘が通るのなら
日にちや時間は問いません…
ということで
2月9日 成田発
3月7日 帰国
4週間の短期留学となります
う~~~ん、
この旅費を使わなければ
数か月の生活費になるんだけど…的な
セコイ考えもあり
今のぷータロー生活で
こんな贅沢をしても良いのかと後ろめたい…
けど
何に使ったのか分からないまま
折角の母の遺志が消えてしまうのは
何としても避けたい
元気になって帰国したら
何とかなるさ
何とかしなくっちゃ
Que sera, sera...
あと3週間でパリだ~
行くとなるとやはり嬉しい
パリのは何人か仲良しもいるし
シェフたちにも会えるな~
自分を取り戻してきます
シェフ ディディエ
そうです
ディディエの名はこの人にちなんだものです
顔が似ているのですよ(笑)
前回は4月から11月末までに
+7kg
今回は気をつけよう…
イケメンギャルソンと甘いガトーに
… なんて言っている場合じゃない
フランス語、 フランス語…