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ろう学校、遥かなる甲子園

2020-11-18 17:10:21 | 日記

沖縄県立北城ろう学校・・中城村に位置して、ろう者を受け入れている県立の学校。1964年から65年にかけて沖縄で風疹が流行、妊婦の感染で先天的に耳が不自由な子供たちが生まれた。ワクチンの接種など未だ実施されない時代の背景があって、およそ400人近い子供たちの進学先として県立学校が設立されたのだ。その後、風疹(三日はしか)禍を乗り越えて硬式野球部は高校野球大会への参加を得た。子供たちの健闘の道筋は映画「遥かなる甲子園」で公開された(YouTubeで確認出来ます)。オジサンが中学1年時の担任だった宮里孝三(こうぞう)先生は自ら希望してろう学校へ赴任した。子供たちに教えたのがバレーボール。その後、オジサンは高校に進学して2年時にバレーボール部に入部、当時の南部大会で孝三先生率いるチームのゲームを間近で拝見した。声が出ないので目や指先でプレーを指示して確認している。感無量の光景だった、今でもはっきり覚えている。後にチームは全国ろう者大会へ出場するまでに成長、ヨーロッパで開かれる世界大会へは数名が選手として出場、確か孝三先生は監督としてチームの指導に努めた筈だ。今年は風疹の流行から55年を経た、当時の子供たちは困難や苦難を乗り越えて既に大人となり、家庭を持ち、穏やかな日常を営んでいると思う、周囲の理解あってこそだ。孝三先生は既にお亡くなりになり、個人を偲ぶ縁がなかったが、先日、図書館で見かけた図書に本人の名前を確認。借りて読んでみたが、バレーボール、ろう教育に駆けた教員であったなぁと嘆息した。さて、先日借りた洋画のDVD2本。なんと、音声が見事に出ない。出ても聞き取れないのだ。幸い1本は字幕が出ているので何とか鑑賞、もう1本は日本語吹き替え版であったので早々とギブアップした。ろう者の気持ち、感覚が理解出来た出来事だった。

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