太った中年

日本男児たるもの

宴会の真実

2011-04-23 | weblog

床屋2階のリビングでは隣人のミコちゃんがヒマさえあれば仲間を呼んで宴会を開催する。また床屋横の食堂では叔母さんの旦那さん、つまり叔父さんがこれまた仲間を呼んで宴会を開催する。また叔父さんはフィリピン空軍のエクストラ・ソルジャー(指揮官)で近くにあるホテルのセキュリティーを請け負っている。その関連の誰かが誕生日なら叔父さんが宴会を開催する。要するに何かあれば昼夜を問わず只管宴会が開催されるのだ。

そして床屋の2階に引っ越してから暫くの間、宴会があれば必ず日本人のプリンスが呼ばれる。引っ越しの挨拶を兼ねて当初は参加した。そこで感じたのは宴会でも直行バス同様日本人ブランドが機能していることだった。jet師範の名言「日本人は本人が思っている以上に注目されている」のである。酒席に着くや、まず、「タガログ語は話せるか」から始まり「なぜ日本から来た、日本のどこから来たetc.」とお決まりの質問を受ける。

続いて誰かが「ホンダ、スズキ、スシ、テンプラ、ワサビetc.」と、知っている日本語をしゃべりだす。まったく意味のないことだが、これは他者に対する自慢、優越感に他ならない。また、宴会に誘うミコちゃんや叔父さんも日本人の面倒を見ていることを誇示したいのだ。妻の実家で日本人を飼育して家族が優越感に浸るのと同等であり、高価なヴィトンのバックを他人に見せびらかして自慢するのと同質である。宴会は毎回同じパターンが繰り返され、飽きるつーより苦痛になり少しの時間付き合って切り上げるか、挨拶だけするようになった。

そーなると困るのはミコちゃんや叔父さんで日本人ブランドがうまく機能せず、他者への優位性やその誇示が出来なくなる。従ってしつこく宴会に誘う。するとますます宴会が嫌になって断る。これが高じるとヤクザの「オレの酒が飲めないのか」の世界へ突入する。それはヤクザの見栄、虚栄心であり、表裏一体に臆病と卑屈さが存在する。別に酒席でなくともフィリピン人はメシを食うとき必ず誰かを誘う。フィリピン人の「メシ食え、酒飲め」をガイドブックは考えもせずホスピタリティー(もてなす心)と記すが、それはトンデモない誤解である。

フィリピン人の「メシ食え、酒飲め」は他者に対する臆病と卑屈さを伴った見栄、虚栄心によるものであるから、アンタたちの見栄を満足させるためいちいち宴会につきあっていられない、くだらないことこの上ない。でまあ、宴会の断り方なんだけど、3年前にした胃の手術痕を見せて、今日は胃が調子悪いと言えばそれでOK.胃の手術が思わぬところで役立っている。では宴会の誘いを全部断っている、と言えばそうではない。ミコちゃも叔父さんも時々かわいい女性を連れてくるので、そのときは今日は胃がすこぶる調子いいと言ってその子の横に座って酒を飲む。日本人ブランドの逆利用つーやつだ。そんなワケで酒はいつも楽しく飲みたいのだ。