さて奥さん、消化試合レガスピ編となるワケだが、妻の実家ではメシを食うこと以外まったく楽しみがない。そのような生活は刑務所と同じで、罪のない服役はストレスが溜まる。妻も同様に感じているらしく、したがって何か用事に託け週一ペースでレガスピへ1泊出張した。このときはレガスピ湾に建設していた複合商業施設が完成してオープンしているつーのでそこを見学しながら妻の友人ドンちゃんと旧交をあたためた。
レガスピ湾の複合商業施設はエンバカデーロといい、調べてみるとサンフランシスコに同じ施設があった。
たぶん米国デベロッパーとの合弁事業で開発したのだろう、夜の雰囲気は非常によろしい。
この日は生憎の小雨で館内の人影も疎らと思いきや、屋外広場でフィリピンの有名ロックバンドがコンサートを開催していて会場は人で埋め尽くされていた。で、演奏しているのはロックつーよりポップス。未だ、レッド・ツェッペリンが最高と信じてやまないオジサンにとってこうしたヘナチョコ・ロックは聞くに堪えない。オメーら一体、何を考えているんだ、エエッ、マスター電源を引っこ抜いてやろうか、なーんて思ったのだ。
館内には数多くのレンストランがある。これは飛ぶ鳥を落とす勢いで店舗展開しているイナサル。
ボーリング場前のカラオケでドンちゃんと待ち合わせ。ボーリングはもう下火なのかな、人は少ない。
ドンちゃん登場。ビージーズで唸るドン。テレビ局のディレクターであるドンちゃんはエンバカデーロがオープンしたとき取材している。このあと支配人を連立って館内施設を見学。それからメシを食って解散した。
このレストランが一番旨いってことでここでメシ。
カニチャーハン。
フライドチキン。
ビーフグリル。
ジュースを飲んで消化試合終了。半年前のことを思い出してアップしているからもう懐かしいつー感覚だな。
でまあ、タイトルについてだが、まず、妻の略歴から触れよう。妻はハイスクールまでは故郷の実家で暮らし、卒業後、マニラ北部にある歓楽都市アンヘレスで外食チェーンレストランを経営する叔母さんの店に就職。そこで将来、恋人と結婚してマネージャーになる予定だった。しかし、そうならないのが人生というもの。
就職して何年か経た後、お店に来る客で芸能関係者と名乗る人物が現れ、「テレビドラマの女優の仕事をしないか」と熱心に口説かれたそうだ。場所柄どう考えてもそいつはゴーゴーバーのスカウトマンとしか思えないが、それを妻に言うと怒り出す。で、女優への布石として、ビコール地方で開催するミスコンテストに応募した。
妻は地区代表に選ばれ、本選の結果は準ミス。グランプリがビコール・クイーンで準ミスの妻はビコール・プリンセス、であるから、その彼氏としてプリンスと呼ばれるようになったワケだ。このミスコンを取材したのがフィリピン最大手テレビ局ABS-CBNレガスピ支局のドンちゃんだった。それから妻とドンちゃんは兄妹のような付き合いが始まった。ドンちゃんが取材編集したミスコンの番組は全国放映されたそうだ。
それぞれ地区代表の生い立ちから始まるその番組はDVDでゲップが出るほど妻から見せられました、ハイ。「鏡よ鏡、この世で一番美しいのはダーレ」の世界、ハイ。あなたは準ミスつーと妻は怒ります、ハイ。
でもってミスコンの全国テレビ放映をチェックしていた某プロモーターの目に留まり、タレント渡航禁止令が出た1985年、妻は最後のジャパゆきとして日本は静岡にある某老舗フィリピンパブへ勤めたのだ。それから妻はマニラの某KTVへ勤務。稼いだお金で家族を支え、家族のボスとして振る舞うのであった。
フィリピーナのことなら何でも知っている御馴染jet師範によればフィリピンでは妻のような存在を「ネネ」と呼ぶそうだ。ネネとは幼いくせにわがままで生意気な女の子のことで、ジャパゆき同様蔑称である。
jet師範からネネのことを聞いたとき、実は目から鱗が落ちる感覚があった。それまで妻が気が強く、口うるさく、強情でわがままなのは彼女の個人的資質によるものと考えていた。しかし、ネネとして共通認識されている以上、ネネの社会的な構造上の問題であることがわかった。つまり、妻の経歴から考えれば、妻はネネの優等生であり、ネネの世界に組み込まれた有能な代弁者に過ぎなかった。トチ狂ったネネの世界についての考察は改めてホームページのコラムに記そうかなと思っている。世の中、トチ狂ったことほど面白いものはない。
振り返ってみれば、フィリピーナと関わりをもって11年、ネネによって振り回された人生だった。ネネのメッセージは至極単純明快、「金クレ、金ヨコセ」、乞食と同じ精神構造である。そんなものは小馬鹿にしてきたが、今、最も気懸りなのは娘がネネとして育つこと。このことは半ば諦めている、つーか、諦めてかかったほうがいいのだろうな。娘は心やさしい女性になってほしいが、親の願い通りに育たないのが子供だから。あーあ。