家内の実家「南相馬市小高区泉沢」は海岸から5km
津波は実家の前で止まったようです。
そのあと家族は最初小高の小学校に避難。原子力爆発で隣の「原ノ町」に避難。さらに今は郡山に移動しました。
90歳を超えておじいさん、長男夫婦、長男の子ども男2人家族5人で狭いアパートですごしています。
浦和区役所に避難受け入れの家を相談に行きました。
浦和区にはまだ確保してなかったが埼玉県では
「さいたまアリーナ」に避難所ができました。
わたしのふるさと佐賀県・嬉野市役所にも相談しました。最悪の場合住む家を確保を15日頼みました。さっそく検討していただき次の日16日「OK]の電話をいただきました。
対応の速さに感謝しています。うれしいことです。
嬉野市は国立病院も温泉もあるので最悪の場合移動すことができるように相談しておくように避難している家族につたえてあります。
九州では遠すぎると思われるのでとりあえずわたしの家に来てもらう。そして気遣う必要のない近くのアパートをさがそうと考えています、が。
原発事故の最悪を想定(おそらくそうなる)するとわたしたちも西の方に移動することを想定しておく必要があるのではと考えています。