2003年9月11日木曜
ホテル「ハドラ」から南へオートバで10分ぐらいの場所にある「タラTara」ホテルに変わった。一泊2,3$=250円と安いホテル。まぁまぁこのぐらいの部屋でしょう。ハエがいないだけハドラよりいいか。なんと言ってもハドラ1200円なのでここのホテルは5日分泊まれるので助かる。サマルカンドのホテルでいっしょだった神戸の女性がいたが今日発つらしい日本へ。
夕方食堂で会った日本人男性三人は同じホテルに泊まっているとか。意外と日本人旅行者が多い。その食堂はビールを置いてないので宿でビールを飲んで再びうまそうな「うどん」(ラグマン)を喰いたかったので食堂に戻ったがすでに閉店していて喰えなかった。トルクメニスタンの「ビザ」がいつになることやら気になる、あすには大体のメドがわかりそう。
トルクメニスタンビザについてどうなっているのか14時、ヤスナミツアー社に聞きに行く。あー永原夫婦が来ている。二人の話はこうである・・弘行さんは4日朝5時に眠れないままみどりさんを探しに北の国立公園まで行って探した。いないのでサマルカンドまで走った。そこで「うちに泊まれ」と言ってくれた人がいた。そこの家に泊まることにした。30分もしないうちにみどりさんがやってきたと。
みどりさんは北には行かずそのままサマルカンドに走り「こんなバイク」「見なかったか」とサマルカンドの街で聞いた。「いたいた」「見た見た」と地元の人、その地元の人は「こっちこっち」と案内してくれたので30分後に弘行さんと会えることが出来たと。「アフリカ」まで会えないかと思ったと弘行さん。会えてよかった、よかった。でもお互いにそんなに心配するんだったら最初からいっしょに走った方がいいと思うよ。
二人はサマルカンドからタシケントに戻ってから「ホームスティ」(10$)していると。どうりでハドラホテルには戻らないわけだ。もっともハドラホテルは洗面所、風呂場に上の階からポトポト水漏れしていたのでホテルを替えたいとも話していたので戻らなかったのだと思う。