スースの最終日・・・あしたリビア近くのジェルバ島まで
img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/48/7a3d4d97dbb4ebfbdabc156a01dda2d0.jpg" border="0">
2015年4月12日日曜 はれ はれ
マーケットでビールを買ってきたら・・・9時半ごろレストランのおじさんと会った
・・この時間でもやっていると話す・・さっそくパックを持って、きのう喰ってうま
かったスパゲティとステーキを注文。
パソコンを打ちながら12時過ぎまで・・いやそのあとも・・あっちこっちへメール
を送ったり・・写真の取り込み、ブログの更新・・など・・15時を回ってしまった。
やらなければならない・・ことだから仕方ない。これから外を少し歩いてくるか・・。
そのあとクスリ(ビール)の時間だ・・これがにがくて一番辛いこと(笑)
2015年4月13日月曜 はれ はれ
ゆうべも夜中2時頃まで一階のクラブの音楽・・太鼓の音が鳴り響く・・時々部屋のガ
ラスが震えるほどの大音響・・。
ガマンしてきたがあしたは朝早く出発する・・寝不足になり、かなわない。ホテルを替
えるための口実をつくっておこう・・夜中レセプションまで降りてうるさくて「眠れな
い」とクレームをつけておいた。
9時前にホテルを替える準備を終わらせた。あたらしいホテルはきのう料金2700円
と確かめていた・・今のホテル2400円。設備が段違いに清潔で新しいホテルがいい。
悪いと思ったのかキャンセルした一泊、料金2600円すんなり戻してもらった。歩い
て5分・・新しいホテルのスタッフに手伝ってもらって荷物を運んでもらった。
10時過ぎに引っ越し終了。11時ナビの修理を頼んでいた「携帯電話」修理店に行って
みた。「大丈夫・OKか」日本語で問いかける・・「OK・OK」さっそくテストした。
今度は大丈夫のようだ・・しばらく様子を見た、よし「OKだ」いくらですか「20デ
ナ1000円」・・10デナ650円に負けてよ・・しょうがないなとゆう顔で笑いな
がらコインでお釣りを返してもらった。ありがとうございました。
気になっていたナビが直って心底ほっとした・・あしたはリビアの近くまで450キロ
長距離を走るのだ。迷った場合・・暗くなる恐れがあるのでほんとうにナビが直ってよ
かった。
リビアの近くの島・・「ジェルバ島」に向かおう
2015年4月14日火曜 はれ8℃7時 はれ15℃10時 はれ18℃13時
今日はリビアの近くの「ジェルバ島」まで約450キロ走る予定、東京~京都間ぐらい
の距離。チュニジアに来てはじめて長い距離を走るので不安は2,3日前からあった。
道がどうなっているのか、見知らぬ国ではいつもそうだ・・まぁナビが使えるようにな
ったので不安も少しなくなる。7時前に出発・・5枚の重ね着・・走る前は暑いかなと
思っていたが走りだすと冷たい風、10℃をきっている。
スムーズにハイウェイに乗った100~120キロで走る。「給油所の標識」も初めて
確認できた。あれれ・・工事中なのかハイウェイが100キロ足らずでおしまいになっ
た。う回する道路に入って行く。
一般道に入って時々、町が出てくる。出てきた・出てきたスピードを落とすためにこし
らえた恐怖のトッピ(突飛)「入り口」「中程」「出口」に造られている。
突然飛び上がるから自分で「突飛(とっぴ)」と名付けている。中南米、パキスタンで散
々やられた。腹がつかえてスタンドを支える「基」そのものがうしろに「ずれて」スタ
ンドを出したとき不安定になる。
標識があるところでも見逃したり、気付かないで走っていると「アッ」気付いた時は「ド
ン」と飛び上がっている。今回は腹が使えるような大きな突飛はなくてホッとした。
これまでなれた道では200キロぐらいで給油している、見知らぬ道だ・・今回早め早
めにガソリンの補給を考えて100キロ過ぎて入れようとしていたが給油出来たのは1
50キロの時点。
路上の店にはヒツジの焼肉・・さばいたヒツジを三頭も四頭も軒先にぶら下げてお客を
呼んでいる・・朝から水だけなので喰いたいが行く先の見通しが立たないのでガマンし
て走り続ける。
ロータリーでおまわりさんに「ジェルバ島」への道を聞く・・これから左に入って行け・・
真っすぐ行くとリビア方面のようだ。
広々とした地平線が続く場所にポリタンクを集めた、「ガソリン」給油所が時々出てくる。
「ジョウゴ」に布をまきつけてゴミを取り除き・・ポリタンクを持ち上げて給油するのだ。
今回はお世話にならなかったが・・パキスタンではちょいちょい入れた。大きな「屋根つ
きのスタンド」をイメージして走っていると気付かない給油所だ。
渋滞になっている、どうした?フェリー乗り場の乗船を待つ行列だ。そうなのかここはフ
ェリーで渡るのか。ネットの地図を見て最初からわたしはてっきりトンネルを走るのだと
ばかり思っていた。
ここに来るまでフェリーのことなどいっさい頭に浮かばなかった。それにしてもわたしの
「思い過ごし」はひどすぎるな。
すみませんと言いながら・・渋滞をすり通りぬけてトップに出た。トラックのあとわたし
が最後の乗船。乗ったとたんに出港した。フェリーには20台ぐらいの車が載っている。
15分ぐらいで着くと係りの人の話し。フェリー、5,6隻並ぶ島の港についた。ひんぱ
んにフェリーは運航しているようだ。
アレーそう言えば・・フェリー料金は「いらないの」ドライバーが「ノーマネーいらない
と」笑う。なんとなく明るい感じの・・「ジェルバ島」。
ホテルの近くまで来ているがたどりつけない・・ぎっしり並ぶおみやげ店の中を歩いてホ
テルを探した。タクシー乗り場までホテルのオーナーに来てもらってようやくついた。
シンドバッドホテルに着いたのは14時だった。450キロと思って走ってきたが近道の
フェリー船に乗ったので380キロだった。思っよりだいぶ早くついてよかった。
腹へったのでビールとスパゲティを買い出し早い晩飯にする。チキン&スパゲティ5デナ
325円とは安い・・ビール売り場は裏通りのわかりにくい隠れたような場所にあった。
2015年4月15日水曜 はれ はれ
近くの人出のあまりないような裏通り・・おみやげ屋を散策・・お店で売る製品を造って
いる家庭内作業所、金属加工、装飾品、布織物、裁縫直し屋さん、靴修理屋さんなど写真
を撮らせてもらった。
ありがとうございました。縫製屋にオートバイカバーを猫に引っ掻っかかれ、破れてしま
ったので布を当てて補修してもらうように頼んだ。
オートバイシューズのマジック、テープをとり替えてもらうように頼んだがマジックテー
プがないとのこと・・あした又別の店に行ってみよう。
おみやげ屋さんはこれでもかとゆうように・・瀬戸物、洋品や、装飾や、ありとあらゆる
ものが並べて売りだし・・レストランやティのお店では朝から・・地元の人たちがくつろ
いでいる。
部屋にいると寒さを感じるが太陽のあたる外に出ると暑さを感じる。カメルーンから来て
いる青年二人連れ。ゆうべ骨董品20個ぐらい持ってきたを見せてくれた。かなり古いと
思われる民芸品・・ほしいものがあった。
4個で8万円と電卓で出した。1個、10万円、100万円出しても手には入らない骨董
品だとわたしは見た。どうしてもほしいものがまだある。わたしが出せるのは3万円まで
・・。
銀行に行ってお金を下して現金を見せどう出るか様子を見る・・「いやならいいよ・・」
買わないそぶりして・・5個全部32000円で買った。
もう少し安く買うことも出来たのだろうが・・彼たちも飛行機代がかかっているのだ。こ
れ以上は買いたたきは出来なかった。
朝方ホテルに来ていた。ジャパンと話すと、フランスご婦人「フクシマ・ミナミソウマ」
(福島・南相馬)「イキマシタ」と話しかけてきた。顔を曇らせて地震・津波・原発のこ
とだと思うが一生けん命に話してくれた。
ここでもそうだが・・これまでアラビア半島から走り始めて一年以上たつが東欧・ヨーロ
ッパの国でも、わたしが思っている以上に「フクシマ」のこと知っているのに驚いている。
チュニジアに来てリビアの青年たちも・・アルジェリアの人たちも・・。原爆の「ヒロシ
マ」「ナガサキ」は「トウキョウ」「キョウト」につづいてよく聞く名前だったが今回の
旅で「フクシマ」の名前が加わって原爆日本列島になってしまったのは残念に思う。
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2015年4月12日日曜 はれ はれ
マーケットでビールを買ってきたら・・・9時半ごろレストランのおじさんと会った
・・この時間でもやっていると話す・・さっそくパックを持って、きのう喰ってうま
かったスパゲティとステーキを注文。
パソコンを打ちながら12時過ぎまで・・いやそのあとも・・あっちこっちへメール
を送ったり・・写真の取り込み、ブログの更新・・など・・15時を回ってしまった。
やらなければならない・・ことだから仕方ない。これから外を少し歩いてくるか・・。
そのあとクスリ(ビール)の時間だ・・これがにがくて一番辛いこと(笑)
2015年4月13日月曜 はれ はれ
ゆうべも夜中2時頃まで一階のクラブの音楽・・太鼓の音が鳴り響く・・時々部屋のガ
ラスが震えるほどの大音響・・。
ガマンしてきたがあしたは朝早く出発する・・寝不足になり、かなわない。ホテルを替
えるための口実をつくっておこう・・夜中レセプションまで降りてうるさくて「眠れな
い」とクレームをつけておいた。
9時前にホテルを替える準備を終わらせた。あたらしいホテルはきのう料金2700円
と確かめていた・・今のホテル2400円。設備が段違いに清潔で新しいホテルがいい。
悪いと思ったのかキャンセルした一泊、料金2600円すんなり戻してもらった。歩い
て5分・・新しいホテルのスタッフに手伝ってもらって荷物を運んでもらった。
10時過ぎに引っ越し終了。11時ナビの修理を頼んでいた「携帯電話」修理店に行って
みた。「大丈夫・OKか」日本語で問いかける・・「OK・OK」さっそくテストした。
今度は大丈夫のようだ・・しばらく様子を見た、よし「OKだ」いくらですか「20デ
ナ1000円」・・10デナ650円に負けてよ・・しょうがないなとゆう顔で笑いな
がらコインでお釣りを返してもらった。ありがとうございました。
気になっていたナビが直って心底ほっとした・・あしたはリビアの近くまで450キロ
長距離を走るのだ。迷った場合・・暗くなる恐れがあるのでほんとうにナビが直ってよ
かった。
リビアの近くの島・・「ジェルバ島」に向かおう
2015年4月14日火曜 はれ8℃7時 はれ15℃10時 はれ18℃13時
今日はリビアの近くの「ジェルバ島」まで約450キロ走る予定、東京~京都間ぐらい
の距離。チュニジアに来てはじめて長い距離を走るので不安は2,3日前からあった。
道がどうなっているのか、見知らぬ国ではいつもそうだ・・まぁナビが使えるようにな
ったので不安も少しなくなる。7時前に出発・・5枚の重ね着・・走る前は暑いかなと
思っていたが走りだすと冷たい風、10℃をきっている。
スムーズにハイウェイに乗った100~120キロで走る。「給油所の標識」も初めて
確認できた。あれれ・・工事中なのかハイウェイが100キロ足らずでおしまいになっ
た。う回する道路に入って行く。
一般道に入って時々、町が出てくる。出てきた・出てきたスピードを落とすためにこし
らえた恐怖のトッピ(突飛)「入り口」「中程」「出口」に造られている。
突然飛び上がるから自分で「突飛(とっぴ)」と名付けている。中南米、パキスタンで散
々やられた。腹がつかえてスタンドを支える「基」そのものがうしろに「ずれて」スタ
ンドを出したとき不安定になる。
標識があるところでも見逃したり、気付かないで走っていると「アッ」気付いた時は「ド
ン」と飛び上がっている。今回は腹が使えるような大きな突飛はなくてホッとした。
これまでなれた道では200キロぐらいで給油している、見知らぬ道だ・・今回早め早
めにガソリンの補給を考えて100キロ過ぎて入れようとしていたが給油出来たのは1
50キロの時点。
路上の店にはヒツジの焼肉・・さばいたヒツジを三頭も四頭も軒先にぶら下げてお客を
呼んでいる・・朝から水だけなので喰いたいが行く先の見通しが立たないのでガマンし
て走り続ける。
ロータリーでおまわりさんに「ジェルバ島」への道を聞く・・これから左に入って行け・・
真っすぐ行くとリビア方面のようだ。
広々とした地平線が続く場所にポリタンクを集めた、「ガソリン」給油所が時々出てくる。
「ジョウゴ」に布をまきつけてゴミを取り除き・・ポリタンクを持ち上げて給油するのだ。
今回はお世話にならなかったが・・パキスタンではちょいちょい入れた。大きな「屋根つ
きのスタンド」をイメージして走っていると気付かない給油所だ。
渋滞になっている、どうした?フェリー乗り場の乗船を待つ行列だ。そうなのかここはフ
ェリーで渡るのか。ネットの地図を見て最初からわたしはてっきりトンネルを走るのだと
ばかり思っていた。
ここに来るまでフェリーのことなどいっさい頭に浮かばなかった。それにしてもわたしの
「思い過ごし」はひどすぎるな。
すみませんと言いながら・・渋滞をすり通りぬけてトップに出た。トラックのあとわたし
が最後の乗船。乗ったとたんに出港した。フェリーには20台ぐらいの車が載っている。
15分ぐらいで着くと係りの人の話し。フェリー、5,6隻並ぶ島の港についた。ひんぱ
んにフェリーは運航しているようだ。
アレーそう言えば・・フェリー料金は「いらないの」ドライバーが「ノーマネーいらない
と」笑う。なんとなく明るい感じの・・「ジェルバ島」。
ホテルの近くまで来ているがたどりつけない・・ぎっしり並ぶおみやげ店の中を歩いてホ
テルを探した。タクシー乗り場までホテルのオーナーに来てもらってようやくついた。
シンドバッドホテルに着いたのは14時だった。450キロと思って走ってきたが近道の
フェリー船に乗ったので380キロだった。思っよりだいぶ早くついてよかった。
腹へったのでビールとスパゲティを買い出し早い晩飯にする。チキン&スパゲティ5デナ
325円とは安い・・ビール売り場は裏通りのわかりにくい隠れたような場所にあった。
2015年4月15日水曜 はれ はれ
近くの人出のあまりないような裏通り・・おみやげ屋を散策・・お店で売る製品を造って
いる家庭内作業所、金属加工、装飾品、布織物、裁縫直し屋さん、靴修理屋さんなど写真
を撮らせてもらった。
ありがとうございました。縫製屋にオートバイカバーを猫に引っ掻っかかれ、破れてしま
ったので布を当てて補修してもらうように頼んだ。
オートバイシューズのマジック、テープをとり替えてもらうように頼んだがマジックテー
プがないとのこと・・あした又別の店に行ってみよう。
おみやげ屋さんはこれでもかとゆうように・・瀬戸物、洋品や、装飾や、ありとあらゆる
ものが並べて売りだし・・レストランやティのお店では朝から・・地元の人たちがくつろ
いでいる。
部屋にいると寒さを感じるが太陽のあたる外に出ると暑さを感じる。カメルーンから来て
いる青年二人連れ。ゆうべ骨董品20個ぐらい持ってきたを見せてくれた。かなり古いと
思われる民芸品・・ほしいものがあった。
4個で8万円と電卓で出した。1個、10万円、100万円出しても手には入らない骨董
品だとわたしは見た。どうしてもほしいものがまだある。わたしが出せるのは3万円まで
・・。
銀行に行ってお金を下して現金を見せどう出るか様子を見る・・「いやならいいよ・・」
買わないそぶりして・・5個全部32000円で買った。
もう少し安く買うことも出来たのだろうが・・彼たちも飛行機代がかかっているのだ。こ
れ以上は買いたたきは出来なかった。
朝方ホテルに来ていた。ジャパンと話すと、フランスご婦人「フクシマ・ミナミソウマ」
(福島・南相馬)「イキマシタ」と話しかけてきた。顔を曇らせて地震・津波・原発のこ
とだと思うが一生けん命に話してくれた。
ここでもそうだが・・これまでアラビア半島から走り始めて一年以上たつが東欧・ヨーロ
ッパの国でも、わたしが思っている以上に「フクシマ」のこと知っているのに驚いている。
チュニジアに来てリビアの青年たちも・・アルジェリアの人たちも・・。原爆の「ヒロシ
マ」「ナガサキ」は「トウキョウ」「キョウト」につづいてよく聞く名前だったが今回の
旅で「フクシマ」の名前が加わって原爆日本列島になってしまったのは残念に思う。