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2003年6月日本からウラジオアストックにわたりシベリア~モンゴル⇔~モスクワ~カザフスタン~中央アジア
~イラン~アゼルバイジャン~グルジア~トルコ~イランなど走りこれからパキスタンに向かう。
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なんとなく雰囲気のよくない感じのするイラン最後の町ケルマーン
2003年10月19日日曜はれ19℃昼30℃はれ30℃はれ30℃夕方も案外暖かい。
今日は日曜日だけど、ここの休みは金曜日なので朝早くから車が走っている6時前に目が
覚めていた。そのまま支度して7時にホテルを出発。ヤスド~ケルマーン方面への道は
ゆうべ聴いて確かめていたのですんなりと幹線に乗ることが出来た。
寒いと思って丸首+カッパズボンをはいて走るが温度は20℃でそんなには寒さを感じない。
予想では山岳地帯のカーブの多い道路だろうと思っていたけど平坦なまっすぐの道が続いて
いた。
おとといのガス欠寸前のこともあり100キロ足らずで給油してスピード120キロ平均
で走る。平原地帯・・砂漠地帯だったり岩山のとんがった山が右手に見える。意外と早く
ヤスドを通過。ここら辺は去年かおとどし地震があり被害が出たところと聴いている。
あと「330km」で「ケルマーン」の標識。片側二車線で上り下りは離れているので安心
して走れる。ケルマーンに15時に着いた。ホテルを探すため一時停車、いつものように
オートバイの人に聞く。周りに人が集まる・・ホテルまで頼む・・。
うん・・なにかおかしいぞ??。うしろのボストンバックの小物入れのチャックが開いている。
「お―お前か」「人のチャックを開けたのは!・・「この野郎」「おまえは盗っ人」か・・と
日本語でどやしつける。若者7,8人のグループだ。
こっちはひるまない。一人になったらなにも出来やしないくせに・・・。空手で「目玉」を
えぐりとるしぐさを見せてオートバイから降りようとすると、仲間の一人が「まぁまぁ」
なだめにかかるがこいつら許せねー。
物は入ってないけど人のバックのチャックを開ける行為が許せないのだ。パトーカーが来た。
若者はいなくなった・・ついでにホテルまで誘導してもらうがなんと65$(8000円)
もする高級ホテルだった。
高級ホテルの支配人にもらった市内地図に書き込んであったホテルを紹介してもらった。
行ってみたが満杯でダメ。その前のホテルは行ったけど休業でダメ。
またまた通りかかったオートバイに「ビッグホテル・ノ―」「スモール・スモールホテル
」をと頼んで10分以上引っ張ってもらい5$=600円のホテルに着いた。
ここまで来る途中オートバイ50cc・2台3人のグループが走りながら話しかけて来た。
最初適当にあしらっていた。ところがおれの前に出てきてブレーキをかけ「じゃま」する、
これも初めてだ。よーしこの野郎とニラメつけるが効き目なし。
二度目に前に来た時「止まれ」怒鳴りながらおれの方から本気で蹴飛ばしてやろうと急接
近したらUターンしていなくなった。だんだん質の悪い地域になってきたな。ホテルでは
オートバイを中に入れないとだめだと隣りの人が言う。
塀を乗り越えられて自分のオートバイを盗られてしまったと話す。その人は隣りの材木
屋から板を持ってきて階段に敷いてくれたので玄関にようやく入れることが出来た。
最初の若者がいた場所でバックからなにか盗られているか宿で確かめたらサインペン一本
が無くなっていた。地元の人が「ダダダ―ン」と機関銃のまねをしてパキスタンは危ない
と言う。
そういえば国境近くになると隣りの国のことをよく言わない国もこれまでも何箇所かあった。
今日パキスタンの国境まで走れなかったが・・まぁあしたは楽勝だろう。
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