この先はタジキスタンとウズベキスタンの国境・・右のやぐらはチェックポイント
トルクメニスタンのビザの期日が迫っている・・ウズベキスタンにとりあえず戻ろう・・朝早く人どうりは少ないがおじいさんが声かけてきた・・「マイ・ジャパン」とだけ話すだけ・・もっと何か言ってみたいような顔だった・・言葉がわからずごめん
2003年9月21日日曜 あつい 35℃ 40℃ あつい あつい
ウズベキスタンに戻ろう。朝6時30分にホテルを出発。市内を出るとワタ畑が広がる。写真撮っていると地元のおじいさんが話しかけて来た。「ジャパン、ジャパン」と繰り返すだけ。国境についた。タジキスタン、ウズベキスタンともスムーズ30分ぐらいで通過で来た。朝が早いので人も少ない。木の生えてない灰色の岩山はなぜかかすんで見える。
行くとき入れたベンジンスタンドに寄る。ベンジンは「ない」と言う。「少しだけ」すると裏の倉庫に隠していた緑色の鉄製タンクからベンジン5リッターだけ高い値段で手に入れることが出来た。ワタ畑~砂漠~岩山~ワタ畑~砂漠と繰り返して3つか4つの山を越えて来た。道が荒れて不気味に感じる岩山の崩れそうなそばを慎重に走る。小さい村が出て来た。
土塀の集落を見渡せる小高い丘に上がる。ロバがじ―と動かずに二頭立っている。山を越えてサマルカンドとハドラに別れる道につく。ここは交差点のベンジンスタンドもある。行くとき入れたスタンド「ベンジン」「今日はない」と言う。「空っぽ」だと言うとロータリーの曲がり角にあると教えてくれた。ベンジン・スタンドではないその場所に行く。家族で出て来てポリタンクを持ってきてくれる。
タジキスタンからウズベキスタンに戻ろう・・さびしい砂漠の山をこえて・・ロバのいる農村の写真を撮らせてもらって・・通り過ぎる
残ったタジキスタンのお金・・国境近くの町で両替屋を探す・・地元の人は「こっちだ」と教えてくれた・・しかし両替「単価」がわからない・・まぁいいや地元の人を信用して両替するしかない・・
ガソリン10ℓ=3000ソンが4000ソンとだいぶ高いがしょうがない。15リッター入れる。ハドラまでどうにかたどり着ける量だ。家族の写真を撮らせてもらう。小学一年生ぐらいの女の子はうれしくてたまらないと言うような輝いている顔がなんともかわいらしい。なんだか自分でもうれしくなってくる。その子のヘルメットをかぶったままの写真を撮った。それにしても300キロ近くベンジンスタンドは全部閉まっていた。
ベンジンスタンドは閉まっていた・・そのスタンドの人が「街角」にあると教えてくれた・・家族が出てきた。何とも嬉しそうな女の子の顔・・ヘルメットをかぶって記念写真
ハドラまでの道は平たんで走りやすく助かった。今のところボックスも外れていない、このまま大丈夫だろう。ハドラの手前100キロぐらいのところから軽自動車二人連れがづーっとついてくる。ハドラの街までいっしょ走ってきた。彼らは学生であると話す。サマルカンド「B&Bバハディール」で教わったホテルに電話してもらうように二人に頼んでみた。すると電話したあとホテルの近くまで案内してくれた。
わたしについて走ったばかりに学生達はいい迷惑だったろう。ありがとうございました。池の周りについた、レストランなど商店もありだいぶにぎやかなところである。ホテルの人が迎えに来てくれる。B&Bホテルに18時頃着いた。この宿はサマルカンドの宿とお互いに連絡して助け合ってあるのだろう。外人客も多く見かける。シャワーを浴びて先の池のあるほとりのレストランまで出かける。
サマルカンドやタシケントのつもりで呑んでいたら倍の値段なのだ。池の周りにレストランがグル―と建ち並んでいる。焼とりを注文ビールを一気飲みして昼間暑かったので元気を取り戻す。勘定いくら、エ―8000ソン=約1000円サマルカンドやタシケントのつもりで呑んでいたら倍の値段なのだ。「お金が足りない」店員さんとホテルまでお金を取りに戻る。すみませんでした。冷や汗もんだった。ホテルの3,4才ぐらいのおんなの子は手伝っているつもりだろう。ほうきでいつも掃(は)き掃除している,よく気がつくおさない兄妹・・。
昼飯を途中の食堂で・・うどんをたべる。食べ終わってから従業員もお客さんも一緒に記念写真
トルクメニスタンのビザの期日が迫っている・・ウズベキスタンにとりあえず戻ろう・・朝早く人どうりは少ないがおじいさんが声かけてきた・・「マイ・ジャパン」とだけ話すだけ・・もっと何か言ってみたいような顔だった・・言葉がわからずごめん
2003年9月21日日曜 あつい 35℃ 40℃ あつい あつい
ウズベキスタンに戻ろう。朝6時30分にホテルを出発。市内を出るとワタ畑が広がる。写真撮っていると地元のおじいさんが話しかけて来た。「ジャパン、ジャパン」と繰り返すだけ。国境についた。タジキスタン、ウズベキスタンともスムーズ30分ぐらいで通過で来た。朝が早いので人も少ない。木の生えてない灰色の岩山はなぜかかすんで見える。
行くとき入れたベンジンスタンドに寄る。ベンジンは「ない」と言う。「少しだけ」すると裏の倉庫に隠していた緑色の鉄製タンクからベンジン5リッターだけ高い値段で手に入れることが出来た。ワタ畑~砂漠~岩山~ワタ畑~砂漠と繰り返して3つか4つの山を越えて来た。道が荒れて不気味に感じる岩山の崩れそうなそばを慎重に走る。小さい村が出て来た。
土塀の集落を見渡せる小高い丘に上がる。ロバがじ―と動かずに二頭立っている。山を越えてサマルカンドとハドラに別れる道につく。ここは交差点のベンジンスタンドもある。行くとき入れたスタンド「ベンジン」「今日はない」と言う。「空っぽ」だと言うとロータリーの曲がり角にあると教えてくれた。ベンジン・スタンドではないその場所に行く。家族で出て来てポリタンクを持ってきてくれる。
タジキスタンからウズベキスタンに戻ろう・・さびしい砂漠の山をこえて・・ロバのいる農村の写真を撮らせてもらって・・通り過ぎる
残ったタジキスタンのお金・・国境近くの町で両替屋を探す・・地元の人は「こっちだ」と教えてくれた・・しかし両替「単価」がわからない・・まぁいいや地元の人を信用して両替するしかない・・
ガソリン10ℓ=3000ソンが4000ソンとだいぶ高いがしょうがない。15リッター入れる。ハドラまでどうにかたどり着ける量だ。家族の写真を撮らせてもらう。小学一年生ぐらいの女の子はうれしくてたまらないと言うような輝いている顔がなんともかわいらしい。なんだか自分でもうれしくなってくる。その子のヘルメットをかぶったままの写真を撮った。それにしても300キロ近くベンジンスタンドは全部閉まっていた。
ベンジンスタンドは閉まっていた・・そのスタンドの人が「街角」にあると教えてくれた・・家族が出てきた。何とも嬉しそうな女の子の顔・・ヘルメットをかぶって記念写真
ハドラまでの道は平たんで走りやすく助かった。今のところボックスも外れていない、このまま大丈夫だろう。ハドラの手前100キロぐらいのところから軽自動車二人連れがづーっとついてくる。ハドラの街までいっしょ走ってきた。彼らは学生であると話す。サマルカンド「B&Bバハディール」で教わったホテルに電話してもらうように二人に頼んでみた。すると電話したあとホテルの近くまで案内してくれた。
わたしについて走ったばかりに学生達はいい迷惑だったろう。ありがとうございました。池の周りについた、レストランなど商店もありだいぶにぎやかなところである。ホテルの人が迎えに来てくれる。B&Bホテルに18時頃着いた。この宿はサマルカンドの宿とお互いに連絡して助け合ってあるのだろう。外人客も多く見かける。シャワーを浴びて先の池のあるほとりのレストランまで出かける。
サマルカンドやタシケントのつもりで呑んでいたら倍の値段なのだ。池の周りにレストランがグル―と建ち並んでいる。焼とりを注文ビールを一気飲みして昼間暑かったので元気を取り戻す。勘定いくら、エ―8000ソン=約1000円サマルカンドやタシケントのつもりで呑んでいたら倍の値段なのだ。「お金が足りない」店員さんとホテルまでお金を取りに戻る。すみませんでした。冷や汗もんだった。ホテルの3,4才ぐらいのおんなの子は手伝っているつもりだろう。ほうきでいつも掃(は)き掃除している,よく気がつくおさない兄妹・・。
昼飯を途中の食堂で・・うどんをたべる。食べ終わってから従業員もお客さんも一緒に記念写真
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