

野口英世の胸像は大きい病院の広い敷地の一角
日本庭園に建っていた。上 下
2008年2月12日火曜 どんよりのはれ
野口英世細菌学者の胸像のある病院まで行っ
てみた。当時はアクラの中心だったようだが今
は市内のはずれになるのだろう。タクシーで20
分ぐらいで着いた(400円)。
大きな病院の一角に柵に囲まれた、小さい日本
庭園に野口英世の胸像は建っていた。1876年明
治7年福島会津若松生まれ、1928年昭和3年黄熱
病研究中感染して、54歳の時ここガーナアクラ
で亡くなられている。
いくつの時アフリカに渡られたのか、飛行機だっ
たのだろうか船だったのだろうかわからないが
黄熱病の研究とは言え一人で、見知らぬ土地へ
の恐怖心はなかったのだろうか、おそらくあった
だろうと思う。
今とは違い当時の情報などほとんどなかっただ
ろうし、大変な思いをされての旅だったに違
いない。小学校の頃「野口英世物語」の映画を
見たことはあるが、内容は会津若松の実家と母
親のことぐらいしか残ってない。
今でも大事に保存されている胸像「野口英世」は
太陽に照らされて、黄熱病研究功績と同じように
自信に満ちた顔はきらきら光り輝いていた。やっ
ぱりすごい人がいるもんだ。

アクラに咲く花
余談。
胸像のとなりの研究室で胸像を見るのに30セデ
ィ=300円(わたしのホテル代3日分)のお金が必
要と言われる。それにレターはあるかなど聞か
れる。ガイドブックには「ノーマネー」と書いて
あると話す。
そんな大金だったら帰ると「出て行く」しぐさをし
たら「今日はいい」と言い出して「あしたは金がい
る」と「何のこと」だかわからなかったが、野口博
士の残した研究室の資料の見学だったのかもしれな
い。
胸像は病院の中庭にあるので、自由に見学できる
場所にある。私はたまたま通りかかった人に隣の
研究室を案内されただけ。もう遅いが、今考える
と大事に保存してくれているので感謝の気持ち
を考えると少しのお金を置いてくるべきだったの
かなー、反省。

パイナップル一個50円甘くてうまかった
野菜の代わりに時には食わないとね。