「国民車」 の設計をヒトラーから依頼されたポルシェ博士は自分の別荘のガレージで試作車の製作を開始した。 しかし、如何に天才ポルシェと言えども、「国民車」 の原型が出来上がるまでには、2年という歳月が必要であった。
1935年に開かれたベルリン・モーターショーの開幕式で、ヒトラーは 「国民車」 の誕生を予告した。 「私は優れた技術者ポルシェ博士とそのスタッフの努力により、ドイツの国民車が誕生の運びになったのを喜びたい。 従来の中型オートバイより安く、しかも燃費の良い小型車をドイツ国民に贈ることが将来必ず可能になるものと信じている」。
ヒットラーはメルセデスベンツを公式には愛用してたが、国民に自動車を普及させるには高額過ぎる!
そこで
「国民車計画」 でポルシェ博士に提示された条件のうち、ヒトラーが最も固執したのは価格だった。 ヒトラーは庶民の手の届く価格(1000マルク以下)であることに強くこだわっていた。
しかし、どう考えても、1台あたりの販売価格をこれほどまでに抑えることは不可能に思われた。 何しろチッポケな最も安い車でさえ1500マルクはした時代のことである。 このヒトラーの目標価格は、ディーラーの利益を除外した上での単純計算においても、達成困難な価格だった。
しかし、それでも、ポルシェ博士は熱心に仕事を続けた。 自分がずっと胸に描き続けてきた理想の小型車に挑戦できる願ってもない機会だと考えたからである。
ドイツ自動車工業連盟の主要メンバーは 「この条件を鵜呑みにすれば、予定通りには事が進まない」 と公言してはばからず、また、棘のある冷たい言葉をポルシェ博士に投げかけた。
しかし、それは結果として、ポルシェ博士の情熱に油を注いだ。 ドイツ自動車工業連盟の主要メンバーは、一設計者に過ぎないポルシェ博士に 「国民車」 の設計・製作の主導権を握られているという事実を苦々しく感じた。
しかしヒットラーは国民車よりも軍国主義で軍用車にしてしまった。
そんなポルシェ(フォルクスワーゲン)と独裁者の話
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