最近、トニー坊やが人気になり師匠が嫉妬しないように、登場してもらいました。
「しかし流石、名人と言われた師匠だ。蕎麦たぐる仕草も絶品だったですけど。」
「師匠の芸のちから、その仕草で本当にナポリタン食ってるように見えますよ。」
「げぇ、本当に食ってたよ」(笑)
「食べてんのは成城ビストロマーマレードのウインナ入りナポリタン960円(税込)ですネ!」(宣伝)
「師匠それ、好きですものねぇ~」 「でも扇子で食べるのだけはやめて下さい!」(笑)
と言うわけで只今師匠は食事中の為、お話することが出来ません(本日は世界初と言われた腹話術によるブログはナシです)(笑)
そこで今日は、別の師匠と弟子の話をします。といっても話題の悪評高い相撲界の話じゃないです、やはり落語世界の話です。
当、成城マーマレード、成城寄席で一昨年、7月に二つ目昇進記念興行をしていただいた、春風亭べん橋という二つ目の落語家が居りますが、べん橋さんとその師匠との、いい話を聞いたので、その話をします。
え~このべん橋さんは北海道から出てきまして、しばらく寄席に通っていたんですね。
そして春風亭柳橋師匠の高座を観たときに「この人だ!」と思ったそうです。
しかし入門はなかなか許されませんでした。
寒い冬,くる日もくる日も柳橋師匠が帰宅されるまで師匠のお宅の門の前で待っていたそうです。(今時の若者にしては非常に暑い男だ。寒いのに)
師匠はとても厳格なかたで、その前にも何人かお弟子さんがいたようですが、破門されたり、廃業したりで続かなかったそうです。その中で初めて、真打まで昇進をはたしたのが、現在のべん橋さんの師匠さんの春風亭柏枝(はくし)師匠です。
そしてご存知のとおり、七代目・春風亭柳橋師匠は平成16年10月31日、満69歳の若さで逝去されました。今月末で3年になりますが、また名人をひとり失いました。
べん橋さんが中々入門を許されなかった理由は当時すでに病気と闘われていた柳橋師匠は、べん橋さんが一人前になるまでのご自分の健康に自信が持てなかったんですね。
そんなある日、柳橋師匠と柏枝師匠との会話。
「師匠、あいつ、あんな熱心なんだから入門認めてあげたらどうですか?」
「俺にもしものことがあったら、おまえさんがあいつを引き受けてくれるって言うなら、あいつ弟子にしてもいいがなァ」
そうして、晴れてべん橋さんの入門が許されたのでした。
その後師匠のその言葉を遺言と受け止め、柏枝師匠はべん橋さんを預かることになり
現在に至るそうです。
ぐぇ~んなんていい話なんだぁー!相撲界の関係者に聞かしてヤリテ~ヨ!(笑)
「ねぇ~師匠、泣けるいい話でしたでしょ」
「ぐぅ~ぐぅ~」 「うまいナポリタン食って満足したのか寝ちまったヨ、」
「師匠,風邪シきますヨ、いま布団シきますから、ネ。」
この話は「七代目・春風亭柳橋」至福の古典落語という本にも出ていますので、お読みになって下さい。今月28日西新宿6-12-30芸能花伝舎でやる落語芸術協会のオールスターファン感謝のつどい,芸協らくごまつりでも販売するそうなので是非、買って下さい。(まつりには私も裏方として参加します)
この話と情報は春風亭柏枝師匠のブログ《おでかけパクちゃん》からコピー,引用しました。(柏枝師匠、勝手にスイマセン、あとで掲示板で事後報告いたします)
人間関係が気薄になってる現代日本(家族同士が殺しあうような悲惨な事件も多い)こういった、親子の情以上の人間関係を一人でも多くの人に伝えたいと思い投稿しました。柏枝師匠にしても、その思いで自分のブログにて公表したのでしょう。
私には本業の料理の世界でも、古道具(骨董)販売の世界でも、今、追求している演芸の世界でも自己流(自己満足?)の為、師匠と呼べる人がいません。両親も早く亡くしてるので、叱咤や褒めてくれる人もいません。気が楽な面もあるのですが、師匠と弟子(おかみさんも含めて)のいい関係に嫉妬心さえ覚えるような羨ましさがあります。
そんな反動が、私の腹話術師匠人形との掛け合い漫談芸に反映されてるのかも知れません。
私はもっと芸や表現力を勉強して、師匠人形とのバカ噺ばかりじゃなく現代の人情噺として、この話を皆に紹介できたらと思います。
御静読(笑)ありがとうございました。
噺家風円ジョイ(花伝亭円ジョイデビュー近し)