本日2月28日は 天才茶人 千利休が切腹した命日である。
千利休は謎の多い人物である
千利休(せん の りきゅう、せん りきゅう、大永2年(1522年) - 天正19年2月28日(1591年4月21日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人、芸術家、哲学者、天文学者、政治戦略家、宗教家。などいろんな顔を持つ天才と言われている。
わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。また、今井宗久、津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられ、「利休七哲」に代表される数多くの弟子を抱えた。子孫は茶道の三千家として続いている。天下人・豊臣秀吉の側近という一面もあり、秀吉が旧主・織田信長から継承した「御茶湯御政道」のなかで多くの大名にも影響力をもった。しかしやがて秀吉との関係に不和が生じ、最後は切腹へと追い込まれた。
切腹を命ぜらるに至った真相については諸説あって定まっていない大きな謎である。
そしてあまり知られていないが、当時日本人男子の平均身長が160㎝以下だった時代に180㎝以上の高身長で髪は若白髪ではなく金髪で目の色も黒ではなかった記録が残っている。
トンでも陰謀論者は千利休は宇宙人説や未来人説があるが…
違う!
歴史のフェイクを推理するカラクリ咄家の円ジョイ師匠は千利休の謎をこう推理する。
(利休の茶室は亭主の自分をより大きく見せるように小さく作っていた?)
千の利休は天才には違いないが、事実ファクト記録だけでも、キリスト教(イスラム教?)の思想を持ち、世界情勢や情報通で博学で日本人離れした発想をしダルビッシュ優のような体型から、外国人、欧米人なのは間違いない!
そして宣教師として日本的な啓蒙活動裏茶道や諜報活動していた!と推理する。
そして千の利休との名前はホントはクリスチャンネームで「セント⋅リキュール」だったのだ👀‼️
バテ連宗教を嫌う当時の武将に最初は重宝がられたのに切腹させられた謎も解ける!
(笑)
皆さん千利休に関しての情報ウンチクお持ちの方は一報下さい! 調べて「セントリキュール物語」を出版したいので🤣