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世田谷ボロ市の思ひ出 カメラマニア真船さん

2019-12-17 16:39:36 | せたっしーの絵日記!

世田谷ボロ市は昭和50年からトニー志茂はガラクタアンティークを出店してる。 令和元年の春に35年一緒に世田谷ボロ市を手伝ってくれて工業デザイナーで中古カメラコレクターの真船進さんがガンで死去された。 安らかにお眠りください 合掌 
トニーは令和最初のボロ市を1人で出店してとても寂しく感じた。

真船はカメラコレクターだけど自分がカメラに写るのは嫌いでボロ市の写真はない!
しかしネットインスタ時代は便利なもので、ボロ市で検索すると見知らぬ来場者が当店のガラクタを撮影していて、10年前ぐらいの「ありし日の真船さん」が映っていて嬉しい。

本人は天国で怒ってるかもしれないが生きてるもん勝ちだ。

トニーも自分の写真を探したら誰かが撮影していた

やはり10年前の平成時代だね。
トニーも元気でレトロ風看板とか作って露店商してたんだね。

隣りに世田谷上町地元の80歳の夫婦が手彫りの能面を格安で売っていて名物店舗だつた。

露店の後ろの住宅も今や全部マンションやレンタルボックスに様変わりしてしまった。

毎年同じ場所で定点観測して撮影しとくと面白いよね。

世田谷ボロ市は令和元年で443年の歴史がある。

そこで
円ジョイ師匠とセタッシーは未来の篭タクシータイムマシンでタイムトリップして440年前の世田谷ボロ市を見てきたよ!

ボロ市の名の由来は、農家の作業着のつくろいや、わらじに編み込むと丈夫になるといわれていた「ボロ布」で、かつてはボロ布が盛んに売買されていたことから「ボロ市」の名が生まれました。

大正から昭和にかけて出店数は8〜900店から最盛期には2,000店にものぼったそうです。


織田信長はじめ北条氏が庶民の貧困対策に楽市楽座のイベントで経済活性化しよう、ここ世田谷代官屋敷前で農家は野菜を職人は、半端もんのタビや草履をボロ市通りの「大山道」で我々下層民でも露店商できるようになった。



普段差別される下層階級や芸能人らも世田谷ボロ市の時は無礼講で楽市楽座で自由のフーテンの寅さんができたんだ。
今はお代官様も世田谷桜小学生も同じ人権で世田谷ボロ市を楽しめる

そんな日本の階層社会を越えた世田谷ボロ市の正統派貧民継承してる。のがトニー志茂である。 一年間ゴミ屋敷に溜め込んだガラクタやゴミに再び命と魂を吹き込み商品化して、もったいない精神を失った日本人にボロの国ニッポン!を啓蒙してるんだよ💕 
ボロイチ人間頑張ろー



















探すといっぱいあるね。





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