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「従軍慰安婦の像」は記憶のため必要(東京の慰安婦像)

2017-11-27 09:54:52 | マスター独り言

東京にある従軍慰安婦被害者像をご存知ですか?
東京には高級将校用慰安所としては、1945年10月20日に墨田区向島に「迎賓館大蔵」が、同11月に世田谷区若林に「RAAクラブ」の二箇所が設置された
1945年8月27日に日本国家は品川区大森海岸に「小町園」を従米国軍慰安所第一号に指定したのを皮きりに、慰安部、特殊施設部、キャバレー部などが開設されていった。東京都内では終戦3ヶ月以内に25箇所(調布市や三鷹市、立川市にも)の特殊料亭という名の偽装売春慰安所が開設されている もちろん日本女性が大和撫子のサービスをして従軍看護婦さんも売春婦の衛生管理に参加した。 そして日本政府公認の売春屋と言っても強制的でないにしても手配師が地方の若い女性や親御さんを騙して慰安婦を集めた可能性はある。

高給での労働なので「性奴隷」ではない!と外地従軍慰安婦の亜細亜やオランダ女性に日本政府や旧日本軍の関与はない!と言っても「忖度社会」の日本人は、証拠が曖昧になる国家関与があったと想像は難くない。 

朝鮮女性よりはるかに日本人慰安婦のが多かったが、外地での慰安所は、より人権差別の気持ちもあったと思う  やはり正確な記録は右翼や歴史修正主義者は廃棄するかもしれないが、負の記憶として(世界中に従軍被害者女性がいる)「従軍慰安婦の像」は必要かもしれない。

品川区大森海岸の従軍慰安所では開設3ヶ月後に慰安婦少女が近くの列車に飛び込み自殺していた事がわかりました。 やはり精神的に追い込まれた「性奴隷」の可能性は高いですね

※ コメントやメッセージに、この少女像の謂れや設置場所を詳しく教えて欲しい。
と多数問い合わせがあった。 

従米軍慰安所があった「大森海岸駅」周辺道路としか言えない。ぜひ自分の目で確かめて欲しい。 大森海岸駅職員、地域の古い地元民に聞いても何故か口が硬い…品川区役所はなおさら答えない…

当然、この少女像を「日本の従軍慰安婦像」だ!とネットで公に言ってるはトニー志茂だけです。 やはり日本人は負の歴史は修正したいのでは?と感じてしまう… お役所や資料館でも、昔はココは海岸線で大森海岸で水遊びする少女の像。としか答えない…

しかしココは旧大井三業地として青線(公認売春地帯)である。

あらためて少女像を見ると海辺で脚を海水に浸けるためにスカートや和服をたくし上げる事はないミニスカートで、当時はミニスカートをはく日本女性は従軍慰安女性や米兵相手の俗称「パンパン」と呼ばれる女性達であった。 

この手の資料は絶版や廃棄されたものが多くネットでもほとんど削除されている。

こんな時は世田谷区にある大宅壮一文庫である。 過去の雑誌の資料図書館である。

今や発禁雑誌のカストリ雑誌に大森海岸の売春婦の話題をかろうじて見つけた。

やはり日本の闇の時代だったのか?
少女像は、間違いなく、彫刻家が従軍慰安少女をイメージして作られた哀しみの像だとトニーは思う。 脚首が砂や泥に埋まって抜けない性奴隷としての哀しみの少女像である。

※ 特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい)は、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本政府によって作られた慰安所である。日本政府は最大で5万5000人の売春婦を募集し、短期間の間設置した。英語では Recreation and Amusement Association と言い、RAA の頭字語で知られた。直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日本語の名称との間で意味が大きく異なる。(wikiより)

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