円ジョイ師匠とセタッシーの時事ネタ

カラクリ師匠人形とセタッシーアンドロイドとトニー志茂の時事ネタ掘り出し物エンターテイメント

脱・原発の第一歩

2011-04-27 22:13:58 | マスター独り言
CO2を排出せず、環境負荷が少なく、ウランや石油のように資源を外国に頼らない「国産エネルギー」の開発が各分野で進んでいる。今まで資源のない国だと思っていたが、実は日本は「資源大国」だった!?
【洋上風力】関東沿岸域の風力資源は、東電の年間電力販売量に匹敵!

東京大学の石原孟教授は、07年に関東地方沿岸域での洋上風力の賦存量(理論的に導き出された資源の量)に関する論文を発表、業界関係者を驚かせた。

「関東沿岸から50kmの全海域を対象とした場合の総資源量は年間287テラワット(2870億キロワット)/時で、05年の東京電力の年間販売量とほぼ同じ。太平洋沿岸は風況が良く、大規模洋上風力発電施設は大きな可能性を秘めています」と石原教授は解説する。

「新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)の調査によると、年平均風速7m/秒以上、海岸から30km以内、水深200mまでの海域での風力資源量は12億キロワット。このうち水深50mの海域の5%に着床式、つまり海底から直接立てる形で風力発電施設を造れば、1000万キロワットの設備容量が確保できます。さらに、浮体式、つまり海上に浮かべる方式で水深200m海域の3%に風車を造れば3600万キロワット。洋上風力発電の設備利用率30%から換算して、100万キロワットの原発17基分(稼働率80%)の発電量に匹敵します」
(記事より)

風力資源は東電の年間電力販売量に匹敵する
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1584338&media_id=81

脱・原発なんかできっこないと世田谷新区長を批判した、東京石原都知事。たしかに自然エネルギーの風力、太陽光では、各家庭に1個以上つけないと賄えないよネ

でも、すべての電球をLEDにすれば、すぐにでも20パーセントは節電になるのではないのか、電気代は電球の10分の一でも、価格が20倍だから買えないって、そこでアイディア!東電がLED買い上げて国民(都民)すべてにレンタルしてレンタル代金を、電気代に上乗せしても、現状より電気代が下がれば皆、納得するし、個別のパソコンの空きを使い、スマートグリッドで電源を分け合えば、40パーセントぐらい節電できるのでは、とりあえづ、これ以上、原発作るのはやめて日本人の工夫で対処しましょう! そのうち画期的アイディアが日本から生まれそうだネ

無理に自然に逆らうプルトニュウムなんかださず、災害大国ゆえの、地震や津波や噴火や台風とケンカしないで、振動発電、海波発電、地熱発電、台風発電などを作れる時代が近いかもしれない。

具体的には風力発電は巨大風力空母船を作ることからはじめたらいい、風力の短所は

計画的な発電ができない

騒音問題

電波障害

鳥問題

景観問題

破損の危険性

そして費用対効果の問題ですネ

空母の甲板に発電プロペラやソーラーシステムを搭載し、風が吹く場所、太陽の出てる海上に移動できるし、地上ではないので、騒音や電波障害は問題ない、鳥(カモメ)はくるかもしれないが、船員の退屈しのぎの追い払いができるし(笑)

景観も洋上の風力空母はカッコイイし(白がイイ)

台風にも対応した巨大プロペラも搭載して、強い風の破損にも対応し、費用(コストの問題)は、空母の内部の利用法である。

内部は豪華客船のようにしてレジャー施設やカジノを運営して収益で補填すればイイし
災害時は被災者の緊急避難場所に利用すればいいネ

石原都知事は、お台場にカジノを作るのは推進しときながら、特定業界のパチンコ産業を嫌ってますネ(笑)

都知事の偏見は今に始まったことじゃないが、洋上のカジノなら、治安を守りやづいし子供の教育にも影響すくないので、公安も教育委員会もOKを出すんじゃないかな、モチロンイシハラも(笑)
でも電源供給には巨大蓄電池もいるので、内部はバッテリーが半分ぐらい占めるかも‥電池の開発も急務ですネ そして最後の送電が問題だが、、蓄電池に充電して寄航して送電が一般的ですが、離れ小島にあるような海底送電線を何箇所か沖や島まで引く(逆スタンド島)のもコストが見合えば可能ですネ

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
terasima@gold.ocn.ne.jp (noga)
2011-05-01 17:23:27
日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。

指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。

未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も行き当たりばったりになる。

日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中にあくせくと住んでいる。
精神を集中すると、その刹那も永遠に見えてくるから不思議である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812




返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。