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歴史は繰り返えされるのか?

2013-11-16 16:55:16 | マスター独り言
山本太郎くんの天皇陛下への手紙のおかげで1901年がクローズアップされている。

2011年3/11に発生した東日本大震災での影響で福島原発が崩壊して放射能や汚染水が今も流出している。しかし100年前の日本の歴史的公害事故の汚染水も、この大震災をきに再び東日本に流れだしたのをご存知だろうか?渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っているのだ。
当時の近代技術の粋を集めたはずの足尾銅山から流出した鉱毒は、渡良瀬川流域の土壌を汚染し、農作物や魚に甚大な被害を出した。政府は鉱毒を沈殿するため最下流地の谷中村を廃村し、山縣内閣は汚染水はコントロールされてると発表したが、田中正造は村民とともに最後まで抵抗し衆議院議員に立候補して当選したが強制廃村された。明治初期に約2700人いた村民は、遠くは北海道に集団移住を余儀なくされたのだ。
田中正造は、議員ひとりの力では、国会を動かせないと思い、なんと直接、天皇陛下に手紙を渡し直訴したのである。 1901年12月10日、東京市日比谷において、帝国議会開院式から帰る途中の明治天皇に足尾鉱毒事件について直訴を行う。途中で警備の警官に取り押さえられて直訴そのものには失敗したが、東京市中は大騒ぎになり、号外も配られ、直訴状の内容は広く知れ渡った。しかし陛下の配慮で政府は単に狂人が馬車の前によろめいただけだとして不問にすることとし、即日釈放された。田中は死を覚悟しての直訴だったが、あっけない幕切れであったのだ。写真は山本太郎くんの天皇陛下への福島原発汚染水問題の直訴場面だが、陛下自身の判断で手紙は受け取らず、陛下は山本太郎くんを不問にするどころか、太郎くんに対しての右翼からの脅迫や暴行を心配するほどの素晴らしい御方なのである。 たぶん100年たっても放射能汚染水は日本を苦しめるだろうが、山本太郎くんの評価は田中正造さんのように銅像が建てられるほどになっているのだろーか?今生きてる人はだれも検証できないのだ。みんな長生きしたいね(笑)

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