運動をもう―度市民の手に
----拉致救出運動に関連して
いささかの苦言とささやかな提言を----
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 北村 武則
政治に翻弄される拉致問題
北朝鮮が六力国協議に基づき(冷却塔爆破のパフォーマンスつきで)核申告を行い、米国がテロ支援国家の指定解除を検討開始-これが原稿を書いている時点での北朝鮮情勢である。これに対して家族会をはじめとする拉致関連団体が強く反発、政府をまじえて綱引きを展開している。私はここでため息をつかざるを得ない。いつから北朝鮮の人権問題は政治力学の課題になってしまったのだろうか、と。
私は拉致問題ではなく帰国者問題の側面から北朝鮮民主化運動にかかわってきた。現在も「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」にのみ所属して、拉致問題の団体には在籍していない。この立場から拉致関係運動団体の動きを見ていると(あくまで報道を通してである)あまりにも政治-政府・国会議員・米国政府等-と一体化しているように映るのだ。
私はもちろん北朝鮮の犯罪には強い怒りを覚えているし、拉致被害者と家族の苦しみを共有じたいと願っている。それだけに現在の運動のありかたに戸惑いを感じざるを得ないのである。
私と北朝鮮民主化運動との出会い
私が北朝鮮民主化運動にかかわるようになったのは二十年も前、大学生の頃であった。朝鮮半島の歴史や文化に興味を持ち、本を読んで独学するうちに北朝鮮の体制や帰国運動家の事実を知るようになった。
強い怒りを感じているところへ在籍する関西大学で李英和(リ・ヨンファ)氏と知り合ったことがきっかけとなった。氏がRENK (救え! 北朝鮮の民衆/緊急行動ネットヮーク)を立ち上げたことを知り、私も微力を省みずに参加したが、当時の私たちを取り巻く情勢は最悪の一語に尽きた。冷戦構造末期の当時は弾圧機関としての朝鮮総連の機能はまだ健在で、RENKの集会には毎日多数の総連活動家が押し寄せ、妨害するのが常だった。
とりわけ一九九四年、当時まだ存命だった金日成首領の誕生日四月十五日を期して大阪市内で開かれた集会の場合は記憶に生々しい。李英和氏あての「必ず集会を潰す」という予告どおり、百人単位の活動家が集結し、文字どおり物理的に集会を破壊したのである。それ自体ももちろん悔しかったが、それよりも情けなかったのが、翌日の朝刊での事件の報道が社会面のべタ記事だったことである。大阪府警の機動隊が出動し、RENKメンバーを逃すために繁華街の道路と鉄道駅を封鎖する騒ぎにまでなった事件がべタ記事とは……。
北朝鮮を巡るこの国のありようと、その中で呻吟するしかなかった帰国者の家族の想いを想像し、暗澹たる気持ちにならざるを得なかった。
それだけに第一回小泉訪朝で金正日が拉致を認め、世論の北朝鮮認識が一気に変わったときには私も昂揚したものである。拉致被害者救出は日本政府の最重要課題と位置づけられた。長年にわたって苦闘してきた被害者家族の気持ちも同様だったはずである。これで一気に・・・・。
しかし、無数の人間の血を吸って生き廷びてきた独裁政権は想像を超えてしたたかだった。
運動があらたに直面する困難
現在、北朝鮮民主化運動は、北の人権問題がまったく無視されていた頃とは別種の困難に直面している。政治家もマスコミも拉致被害者家族には「理解ある」態度を示してはいるが、その一方において奇妙な行動をとったり、不可解な言説をまき散らす。世論はそれによって混迷し、北朝鮮問題には冷やかな視線を送るようになる。私は長年月にわたって社会の誰からも無視され、孤独な闘いを強いられてきた家族会の方々が政府の弱腰を責め、その強力なリーダーシップを求める気持ちを理解できないわけではない。せっかく拉致問題解決を最重要課題に取り上げた政府が、その姿勢を後退させてほしくないと願うのは当然である。
しかしそれを承知であえて提言したいのだが、救出運動および広く民主化運動は政治とは距離を置くべきではないだろか。関係を絶て、というのではない。ただ政治家や政府というものは、あくまでも「利用」するものであって、決して「頼り」にするものではない---その決意を胸に秘めて行動するべきではないかと思うのだ。
もう一度、それぞれの立場の運動関係者が政治家や官僚に向かってではなく、孤独をかみしめながら闘っていた時代の気持ちを取り戻して、一般市民に向かって訴えるときに来ているのでは、と考えるのだ。
かつての世間(特に左派・リベラル)は拉致問題も北朝鮮国内の人権問題も日米韓の国家権力による「謀略」とみなして黙殺してきた。現在、さすがにこれらの事実を否定する言説は不可能となったが、あいかわらずその視線は冷やかである。
これにはさまざまな解釈ができると思うが、ひとつには左派陣営に伝統的に根強くある「反権力志向」がある運動のように見なされ、それに対する忌避感情が刺杖されるのではないだろうか。
もちろん批判されるべきはその狭量であることは言うまでもない。そもそも「反権力」の姿勢が権力そのものと化している点に彼らは目を閉ざしている点も問題である。(家族達の必死の訴えを圧殺してきたかつての「革新」政党の姿が分かりやすい例である)
しかし、左派・リベラルの責任を追究する本誌の意図が批判のための批判ではなく、未来へ向けての建設的批判にあるなら、その批判対象がどのような心理で物を見、どのような論理で物を考えているかを考察することも無意味ではあるまい。それはまた同じ文化の中で生きる我々の姿とも通じるものであろうし……。
もし現在の救出運動のありようが、戦術的に好ましい方法となっていないならば、根本の部分から練り直す勇気と柔軟性を持ってほしいと思う。
運動は、政治から距離を
私が救出運動家が政治から距離を置くべきだと考える理由はそれだけではない。政治と二人三脚で歩む状況が運動の広がりを阻害する危険性もあるからだ。
以前、家族会の方々が国会前で座り込みをしている二ュースをテレビで見た。家族の方々のご苦労に同情するとともに、率直に言ってこんな疑問も覚えた。___何故、朝鮮総連本部の前で座り込まないのだろうか? 北朝鮮の犯罪を批判する行動を旧本政府に向かってやる--この持ってまわった行為を私は当初、(在日朝鮮人に対する)日本人特有の遠慮によるものかと想像していた。
最近は少し違った見方をしている。自民党議員筋や公安関係筋からの示唆や誘導といった、何らかの「圧力」によるものではないか、という想像である。もちろん何の根拠も無い憶測、いわゆるカングリの類に過ぎないが、政治と近い運動のありかたが左派だけでなく、私のような右派(?)にまで疑問を持たせている現実を感じ取って欲しいのだ。
政治家や官僚は、本質的に自分たちのコントロールできない市民運動を嫌う。絶えず自分達の影響下に置くべく運動に制約を加えようとする。そのような形で展開する市民運動が果たして社会へ影響を与えることが出来るだろうか。
ブッシュ大統領や安部晋三氏がいかに被害者と家族に同情を寄せようが、それを頼みと考えてはならない。政治家個々人がどんな感情を持っていようと、政治というシステムが本質的に個人より全体を優先するものである以上、最終局面において家族の想いを踏みにじる存在である、という点を運動にたずさわる人々は肝に銘じるべきである。
政治から離れて行動の自由を
くり返すが政治家や官僚は「利用」するものであって、「頼り」にするものではない。政治と過度に一体化すべきではない。外務省高官が家族会に対北交渉の内容を説明する映像は、政府が家族会に配慮しているポーズを印象付ける効果があるだけで、それ以上は何も無い。政治との一定の距離を保つことによって、発想と行動の自由を取り戻すべきである。
具体的に提言するなら、北朝鮮を批判する行動は北朝鮮に向けて直接するべきである。そして市民(拉致関係では国民という言葉が好まれるようだが、私は在日コリアンも含めた日本社会全体を視野に入れたいのであえてこの言葉を使う)をまき込んだ運動を考えるべきである。
たとえばピョンヤンの労働党本部や外務省気付で拉致被害者宛の励ましの手紙を送る---こういうキャンペーンを全国規模で展開してはどうだろうか。日本政府を動かして北へ庄力をかけるといった回りくどい運動ではない。日本の一般市民が直接独裁政権へ圧力をかけるのである。北の独裁者にとってこれほど不気味で不安をさそう運動があろうか。
横田めぐみさんの誕生月には「めぐみさん月間」と銘打って、誕生祝いのグリーティングカードを大量に発送する---日本社会は被害者の生存を信じている。帰すまで決して諦めない。この強い意志を北へ示す格好の運動になると思うのだが。
そして、種々の要請行動は朝鮮総連と北の最大の後見人である中国政府に対じて行う。日本政府と米国政府へ要請を続けているうちは、北は高みの見物であろう。勇気をふりしぼって、北朝鮮そのものと対決すべきである。
そのためにも政治家、官僚には「あなたたちは職責を全うしてください。私たちは市民として自由に闘います」と言い切る気概が必要であろう。
もう一度、運動を私たちの手に
今北朝鮮民主化運動に携わる人たちに手詰まり感が漂っているように思われてならない。それは日本社会全体の拉致問題を見る態度にも共通している。政府に何を働きかけても何の進展も見られない。救いを待つ被害者、帰りを待つ家族、どちらの想いも国際政治の駆け引きの中で黙殺されるばかりである。その結果もたらされるものは社会全体の無関心と、ネット社会などで見られる対北武力行使論のようなヤケクソの声である。
この手づまりの状況を打破するためには、いま一度、民主化運動(救出運動を含む)を政治の世界から、私たち無名の一般市民の手に取り返すべきである。私たち一人ひとりが北朝鮮の非道と立ち向かう姿勢を取り戻すべきなのだ。そのための方策を以下に示したい。
民主化運動を市民の手に取り戻すための前提として、市民が関連の情報に気軽にアクセスできる環境作りが必要である。私のように守る会にしか属しでいない者には、拉致関連のニュースはメディアで知るしかない。同じ状況は各団体の一般般会員にとってもそうであろう。全ての団体を応援したい気持ちはあるが経済的事情で出来ない。
各団体のホームページを丹念にチェックする時間的余裕もない-- そんな一般市民が一元的に運動家全体の情報を手に入れる手段、たとえば「北朝鮮民主化新聞」のようなものを作ることは出来ないのか。インターネット上で、そういう『新聞』を作り、政府の動きから、各団体のHPへもリンクできるようにする。そんなサイトができたなら一般市民への情報発信・団体間の情報交換にも役立つだろう。
すでに北朝鮮人権大学(関西校)という画期的な複数の団体の協力で成功裡に実現した。日常レベルでの連携へも進むべきであろう。
そうやって市民へ情報の伝達を果たした後には、その市民の行動を促す方向へ運動をもっていきたい。各団体とも支援してくれる一般会員達を会費支払いマシーンではなく、行動する主体として捉えるべきである。
かつて『地球を救う五十の方法』といった本がブームになり多くの類書が世に出た。ブーム化の軽薄を嗤う声もあったが、確実に現在にまで通じる環境重視のムーブ メントを作り出した先駆的な動きであった。今,胡散臭い政治の場から民主化運動を市民の手に取り戻すため に、一般市民が実行できる「北朝鮮の民衆を救う方法」を五十でも百でもひねり出して、社会に提示しなければならない。
前述の被害者ての手紙もそうである。民主化新聞で家族会の署名活動予定表を掲載し、協力を呼びかけるのもよい。マスコミへの投書、地元国会議員事務所へ北の人権問題に関する質問状の送付、外務省への要請ハガキ・総連への抗議ハガキの投函・・・・北朝鮮の民主化運動は、運動家や学者、ジャーナリストの功名のためになされるものではない。自由を奪われ虐げられた市民を同じ市民が救う運動である。
運動家に役割があるとすれば、気持ちはあっても手段がない、方法がわからないと諦めている市民に、方法・手段を明示し、行動の後押しをすることである。
そして最後に日本の市民と脱北した北朝鮮市民との交流の場を設けて欲しい。孤独と悔恨の淵にに沈む脱北帰国者が人としての自信を獲得し、尊厳のために闘う意思を持てるようにする。そしてそれによって日本の市民も大きな勇気をもてる。--- 一方通行ではない民主化運動の実現を目指して定期的な交流の催しを開けないだろうか。
たとえば、韓国料理店や韓国語教室を借りて小規模で良いから定期的に宴をもつ。脱北者は不安をはき出し、日本人は疑問をぶつける。そこから動きが生み出されるのではないか。たとえば双方が言葉を教え合い、脱北者は拉致被害者への励ましの手紙を、日本人は金正日宛ての抗議の手紙を書く、といったぐあいに……。
さらに風呂敷を広げるなら、韓国や米国に住まう脱北者と支援者も集めて「国際脱北者サミット」を開く。
北朝鮮国内にも連なる楕報網と行動網が築かれないか……。仝はまだ夢かも知れないが、市民の意志を集めることができれば、決して実現不可能ではないはずである。
本稿において私は、拉致被害者救出運動に対するいささかの苦言を呈した。しかし、この運動にたずさわってきた人々、とりわけ家族の方々に対する敬意はいささかも減じていないことを表明しておきたい。家族の方々を見て思うのは「良き日本人」の姿である。
困難に直面してくじけない強い意志、仲間と支え合う強い団結心、他人を悪しざまに罵倒しない自制心の強さと心の優しさ、常に失われない礼節 これらの美点を体現したごく普通の「良き日本人」である。そして同時に『良き日本人』は『弱気日本人』でもある。
“お上”に対する根拠なき信頼感-- 家族の方々は政治家と何度「紳士協定」を結んで裏切られただろうが。およそ信頼に値しない人種を相手に誠実に運動を続ける姿に私はやはり、まぎれもない日本人の姿を映すのである。
朝鮮民族とは違い、幸運な歴史を歩んできた日本人には、権力を心の底から疑い、憎むという心性は持ち得ないのかも知れない。それはよい。それも歴史によって培われた私たちの個性であろうから。しかしそろそろその弱さを自覚し、克服する努力をしてもよいのではないだろうか。
北朝鮮民主化運動とは、北朝鮮の民衆と交流・連帯し、北朝鮮の独裁者と対決することによって、日本人が自分達の姿を映し直す行動ではないかと思える。その結果得られる「国民」の限界を超えた「市民」の視座こそが、これからの地球全体のさまざまな問題に立ち向かう際にも有力な武器になると思うのだ。
当面とり組まなければならない北朝鮮民主化運動を、私たちは政治の場から取り戻そう。それが私たち市民の一人ひとりが覚悟を定めるきっかけとなるだろうから。