その他の参加者のお話
★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事
特定失踪者問題調査会理事の神戸から参りました岡田です。
先ほどから川人弁護士の方からもお話がありますように、拉致認定されるとされないでは、そりゃもう雲泥の差がございます。
まずですね。
一番びっくりいたしましたのは、4月25日にですね。
田中実さん拉致と言う方向で、夕方には記者会見があったわけですけれどね。
その翌日にはですね、早速と町村外務大臣のほうから、北京の北朝鮮の大使館を通じまして、日本でこのようにして田中実が拉致認定されたんだと。
ついてはと言うような形で、すぐに通告を致しております。
これ一つ取りましても、過去の中で私ども、繰り返し繰り返し内閣府に参りましたり、あるいは兵庫県警を通じまして、また様々な議会関係者を通じましてですね。
田中実の拉致をなんとか固有名詞を上げて取り上げてくれと、言うような事を繰り返しお願い申し上げておりました。
にも関らず、そのような成果は何一つございません。
その事一つとりましてもですね、いかに拉致認定がですね。
最終的には私たち、北朝鮮に拉致された日本人被害者を一日も早くこの国に取り戻す事でございます。
そのような大きな目標に対しましてですね。
極めて大きな力になる、また大きな利益に成るものと、いうことで今後ともですね。
私たちと共にこの古川さんの認定訴訟、何としても勝利の日まで、皆様方と共に闘っていただきますよう宜しくお願いいたします。
座ったままで失礼します。(拍手)
※川人弁護士
第一回から今回までも間に千葉で集会があったかと思うんですが、それをどなたかお話いただければ。
榎本さん、前回の千葉での集会の模様をお話いただければ。
★榎本さん(千葉商業高校卒業生 古川了子さん同窓生)
どのような形の話をしたらいいんでしょうか?
(川人弁護士)あの集会の模様などを。
あぁ、模様ですか。
榎本と申します。
私は古川了子さんと昭和48年に千葉商を卒業した同級生です。
ちょっと座らせてもらってすみません。
6月の25日ですね。
市原市で「古川了子さんを救う千葉集会」と言う位置付けでは第2回目。
第1回目は昨年のやはり6月26日ですが。
第2回目として地元である市原市民会館、こちらで開催させていただきました。
この時は、市原市の方で古川了子さんがまだ住民登録ですか。
まだされておりますので、市原市長の佐久間さんですね。
この方が非常に協力をしていただきまして、1回目の時にも確か来られていたと思いますが、その佐久間さんからまずご挨拶を頂きまして。
続きまして、ちょうど座り込みをされていてとても大変な時だったんですが、増元さんの方にも来ていただきまして、講演をお願いいたしました。
そしてあと今こちらにもおられます、真鍋専務理事に大町ルートということで千葉県での拉致被害者はこういう形でいるんだという話をしていただきまして。
そのあと若干の質疑応答と言うことがあった次第なんですが。
その時って言ったら良いんでしょうか。
あの、ちょっと主催者として若干心配しましたのは、昨年は千葉市民会館と言うことで千葉駅から歩いてそんなに遠くはない所。
今回は市原市と言うことで、市原市民会館、ちょっと交通ルートが若干不便でですね。
バスに乗っても15分程度かかるということで。
どれくらいの方がお出でいただけるか、若干不安だったんですけども、地元と言うこともあったかと思います。
あとここでとっても大きな力となっていただけましたのは、市原市役所とあと市原市の各自治会ですね。
町会、自治会。
こちらの方たちが、集会に関してのパンフを全部回していただけまして、そのような形でおよそ200人ほどだったでしょうか?
の人に集まっていただくことが出来ました。
ですからまぁ、地理的には不便な所だったんですが、集会としては自分で言うのも変ですが成功したのかなと思っております。
これも皆様のご協力の賜物と非常に感謝しております。
※川人弁護士
どうもありがとうございました。
そろそろ時間も押してきたんですが、なにか他に取り組みとかでご報告とか、今度こういうシンポジウムとか集会があるとか、そういうご案内はございますか?
よろしいでしょうか?
そうしましたら以上で今日の報告会を終わらせていただきます。
今後の取り組みに関しましてはまたお願いする事があるかもしれません。
よろしくお願い申し上げます。
どうも本日はありがとうございました。(拍手)
・・・報告会終了・・・
話の花束、ぴろんさんのテキストです。
★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事
特定失踪者問題調査会理事の神戸から参りました岡田です。
先ほどから川人弁護士の方からもお話がありますように、拉致認定されるとされないでは、そりゃもう雲泥の差がございます。
まずですね。
一番びっくりいたしましたのは、4月25日にですね。
田中実さん拉致と言う方向で、夕方には記者会見があったわけですけれどね。
その翌日にはですね、早速と町村外務大臣のほうから、北京の北朝鮮の大使館を通じまして、日本でこのようにして田中実が拉致認定されたんだと。
ついてはと言うような形で、すぐに通告を致しております。
これ一つ取りましても、過去の中で私ども、繰り返し繰り返し内閣府に参りましたり、あるいは兵庫県警を通じまして、また様々な議会関係者を通じましてですね。
田中実の拉致をなんとか固有名詞を上げて取り上げてくれと、言うような事を繰り返しお願い申し上げておりました。
にも関らず、そのような成果は何一つございません。
その事一つとりましてもですね、いかに拉致認定がですね。
最終的には私たち、北朝鮮に拉致された日本人被害者を一日も早くこの国に取り戻す事でございます。
そのような大きな目標に対しましてですね。
極めて大きな力になる、また大きな利益に成るものと、いうことで今後ともですね。
私たちと共にこの古川さんの認定訴訟、何としても勝利の日まで、皆様方と共に闘っていただきますよう宜しくお願いいたします。
座ったままで失礼します。(拍手)
※川人弁護士
第一回から今回までも間に千葉で集会があったかと思うんですが、それをどなたかお話いただければ。
榎本さん、前回の千葉での集会の模様をお話いただければ。
★榎本さん(千葉商業高校卒業生 古川了子さん同窓生)
どのような形の話をしたらいいんでしょうか?
(川人弁護士)あの集会の模様などを。
あぁ、模様ですか。
榎本と申します。
私は古川了子さんと昭和48年に千葉商を卒業した同級生です。
ちょっと座らせてもらってすみません。
6月の25日ですね。
市原市で「古川了子さんを救う千葉集会」と言う位置付けでは第2回目。
第1回目は昨年のやはり6月26日ですが。
第2回目として地元である市原市民会館、こちらで開催させていただきました。
この時は、市原市の方で古川了子さんがまだ住民登録ですか。
まだされておりますので、市原市長の佐久間さんですね。
この方が非常に協力をしていただきまして、1回目の時にも確か来られていたと思いますが、その佐久間さんからまずご挨拶を頂きまして。
続きまして、ちょうど座り込みをされていてとても大変な時だったんですが、増元さんの方にも来ていただきまして、講演をお願いいたしました。
そしてあと今こちらにもおられます、真鍋専務理事に大町ルートということで千葉県での拉致被害者はこういう形でいるんだという話をしていただきまして。
そのあと若干の質疑応答と言うことがあった次第なんですが。
その時って言ったら良いんでしょうか。
あの、ちょっと主催者として若干心配しましたのは、昨年は千葉市民会館と言うことで千葉駅から歩いてそんなに遠くはない所。
今回は市原市と言うことで、市原市民会館、ちょっと交通ルートが若干不便でですね。
バスに乗っても15分程度かかるということで。
どれくらいの方がお出でいただけるか、若干不安だったんですけども、地元と言うこともあったかと思います。
あとここでとっても大きな力となっていただけましたのは、市原市役所とあと市原市の各自治会ですね。
町会、自治会。
こちらの方たちが、集会に関してのパンフを全部回していただけまして、そのような形でおよそ200人ほどだったでしょうか?
の人に集まっていただくことが出来ました。
ですからまぁ、地理的には不便な所だったんですが、集会としては自分で言うのも変ですが成功したのかなと思っております。
これも皆様のご協力の賜物と非常に感謝しております。
※川人弁護士
どうもありがとうございました。
そろそろ時間も押してきたんですが、なにか他に取り組みとかでご報告とか、今度こういうシンポジウムとか集会があるとか、そういうご案内はございますか?
よろしいでしょうか?
そうしましたら以上で今日の報告会を終わらせていただきます。
今後の取り組みに関しましてはまたお願いする事があるかもしれません。
よろしくお願い申し上げます。
どうも本日はありがとうございました。(拍手)
・・・報告会終了・・・
話の花束、ぴろんさんのテキストです。