モズの眼

動かなくなった「心とからだ」の復活の記録

阿弥陀堂だより ~ 読後感

2011-03-07 | 読書、芸術

風邪で伏せっていた間に、南木佳士「阿弥陀堂だより」を読みました。

パニック障害を患った女医とその夫の再生がテーマになっています。

幾つもの生と死が通奏低音となって物語が築かれています。

その辺りは私の力ではとても書けないので、周辺的なことを少し。

 

小説の中に「開高健」の命日についてのくだりが出てきます。

ああ、南木さんは開高健が好きなんだ、この小説は開高健へのオマージュなのではないか、と思いました。

開高健の「夏の闇」では、書けなくなってしまった作家がヨーロッパで恋人と一夏を過ごします。

性愛や食べることへの執着、作家の倦怠感、焦燥感、恋人との意識のずれ等々が力のこもった華麗な文体で綴られています。

作中、二人でパイク(川マスの一種)釣りに行く場面が出てきます。

「阿弥陀堂だより」では、女医が初めて岩魚を釣り上げたシーンが印象的でした。

岩魚を釣ってから彼女の精神が少しずつ解放されて行きます。

「夏の闇」では、パイク釣りの後、作家は再びベトナムに向かう決心をします。

再生の契機を「釣り」にした事は、南木さんの開高健への敬愛を示すもののように感じました。

全体をそのように見ると、重要登場人物の小百合ちゃんに開高健の命日や遺作「珠玉」について語らせている場面は入れ子細工のようです。

それらの事はとうに語られたのかもしれません。私の一人合点かもしれません。

私は「阿弥陀堂だより」の映画もみていません。

この小説は重いテーマを扱っていながら、読後感は大変さわやかでした。

映画も見てみよう、そして南木作品を読んでみようと思いました。

それから、大好きな開高健の「輝ける闇」「夏の闇」をもう一度と。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする