buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

知らんぷり、あれこれ

2009年08月09日 | おもちゃ箱
かなり昔のお話ですが、、、、。
某国の農村から来た留学生、19歳。高校を卒業してすぐに来日しました。
まだ、あどけない丸顔の女の子
勉強もよくできました。

1年後、思わぬところで彼女と出会いました。
どちらも気がついたけれど、知らんぷりしました。
場所は歌舞伎町。
彼女はコートを着て、厚化粧をして、チラシを配っていました。
お互い次の日学校であっても素知らぬ顔、、、。

その後、彼女は2年間の日本語学校生活を終えて、東京六大学の中のひとつに進学。
21歳でした。自立(自律)していた学生といえるでしょう。
日本にいる間、自分のお金で日本語学校の学費を払い、
大学の入学金と学費を捻出し、有名大学に進学したのです。

△年前ぐらい前のできごと。
司法関係の民間通訳人として時々仕事をしていました。
ある専門学校生A、窃盗の容疑で捕まりました。
同居していた日本語学校の学生B。
その家でAたちが窃盗の相談をしているのを聞いていました。
でもAやBの母国は個人主義の国。知らんぷりしていました。
Aが捕まったとき、Bも逮捕されました。
知っていたのに届け出なかった(知らんぷりしていた)罪。

△◎年前の某国の2人の学生
学生簿の写真は男性なのに、会ったら女性っぽかった、すごく
(でも、顔は男性の顔なのです)
今のような時代ではなかったので、私は素直に驚きました。
いつも女性の仕草をジッと観察しています。
勉強もよくできるし、よく気がつくし、親切で優しい。
当時の日本語学校の校長先生、ユニークな男性でした。
「男でも女でも、まじめに問題なく勉強してくれるなら、どっちでもいい!』
確かに、、。
彼らはそのうち女の子にも慕われるようになって、、、。
1泊旅行に出かけた時に、パーキングエリアで女性用のトイレに入っていました。
そして、寝る時も女子の部屋で寝ていました。
、、、私はもちろん知らんぷり。
だって、一緒に参加した女子学生も男子学生もそれを全く問題にしていませんでしたから。
いい人たちだったのです。

知らんぷり、あれこれです。

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写真:多文化共生野菜(←私が名前をつけました)