とっても珍しい懐かしい人に会いました。
多分10年ぶりぐらい、こどもの保育園のときの友だちのお母さんです。
彼女はミャンマー人。
長男を連れて来日、その後20歳近く年上の日本人と結婚しました。
パートで働きながら、もうひとり子どもを産み育てた、がんばりやの女性です。
彼女はミャンマーのインテリ、以前はヤンゴン大学の数学の教授でした。
もちろんいいところのお嬢様です。
でも、来日してから独学で学んだ日本語は、、、完全に下町の日本語。
「あんちゃんは(長男のこと)3年前に国立のT大を卒業してA商社に入り、日本人と結婚しましたよ。」
「Sちゃんは(次男)都立H高校を出て、やっぱり国立のT大に入ったよ。うちは貧乏だから授業料は
無料になった、助かった。」
彼女は本当に本当に苦労してきました。
今も病気のご主人を抱えて生活はとても大変。
『5年前、あんちゃんが大学にいる時、日本国籍も取得したよ』
「じゃあ、ミャンマーにも行けるね」
『そう、今年の秋、ミャンマーの姉ちゃんのところにいくつもり。」
「そうなんだ、じゃあ、あとはミャンマーが平和になるといいね。」
『平和ね~、どうかな?
私が日本に来てから20年以上たった、20年前は20年経ったら
平和になるかと思ったけど、、、アウンサン・スーチーさんもまだ捕まっているし
あと20年ぐらいかかるよ、きっと』
もしミャンマーが平和な国だったら、彼女は国で一番の大学の先生だったのです。
ミャンマー人のご主人とは日本に来る前に死別。
戦火をくぐってひとり息子を連れ日本に逃れてきました。
激動の時代を過ごした彼女も、3年前に長男に赤ちゃんが生まれ、今はおばあちゃんに。
「おばあちゃんになるって嫌だったけど、生まれてきたらかわいくてかわいくて」
人に歴史あり、です。
ほぼ同年代ですが、彼女は本当にたくましく生きているのです。
感服です。
「先生、またね.また会えるといいね。(彼女は以前、私が日本語を教えていた事を知っています)」
『あ~、先生って言わないでよ~」
「だって、先生じゃない」
『Bさんだって、先生じゃない』
「もう違うってば、、」
「ふふふ、、ふふふ」と2人で笑い合って、
手を振って別れました。
ほんの10分ちょっとの立ち話。
でも私には久しぶりの嬉しい、いい時間でした。
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写真は我が家のご近所。
奥は都営住宅。写真を撮っている手前は有名人も住んでいる億ション。