西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

人のルーツID:g6unvl

2016-01-10 | 暮らし

人の母方の遺伝子をたどっていくとアフリカにいたイヴという女性にたどり着くといわれます。

私たちの先祖イヴが生まれた地域アフリカ

今から20万年前は物や生命のすべてが共有した世界でした

イヴの子孫は自然の中で、他の動物たちや災害から身を守り

子孫の繁栄を信じて大いなる自然に挑戦し可能性を広げ

自分で考え、力を出し合って自然界の中で色々な困難を克服してきたのです

21世紀に生きている私たちは今、イヴの末裔として先祖が築いてきた歴史の最先端を生きています

あなたは今、自分という存在をどのように思いますか

イヴは人の母として地球に生まれた時、いったいどのように思っていたのでしょうか

私たちも、もう一度イヴの気持ちに立ち返ってみてはいかがでしょう

なぜなら私たち世界の70億人を超える兄弟の母親なのですから

私たち一人一人が人類の母イヴに血のつながりを伝わってコンタクトが出来るようにすることにより人間として、そして地球の一生命として、これまで先祖達が繋いでくれた道筋を思い毎日の暮らしの中に生かして行くことが未来にも繋がっていくことになるのではないのでしょうか

私たちのルーツであるイヴの出現から私たちは現在72億人を超えています

世界の人口は、1分に137人、1日で20万人、1年で7千万人、増えています

世界中で、1年に6千万人が亡くなり

1億3千万人が産まれます

貧富の拡大、温暖化など問題が山積です。石油の枯渇が近づき、表土と森が失われています

水と食料が、病院と学校が不足しています

人の生活が、太陽と地球からの恵みを、超えそうです

争いなんかしている場合ではありません!

分かち合って、共に生きなくては!


ブルキナファソ大統領選挙を傍観する

2015-11-30 | 暮らし

 

ブルキナファソが現在の国名になったのは1984年で、それまではオート・ヴォルタという国名でした。Burkina Fasoとは、「清廉な人々の国」という意味で、この国名を付けたのが、前大統領トーマス・サンカラ(1949-1987)でした。

しかし、1987年10月、サンカラは志半ばで、ブレーズ・コンパオレ(現大統領)率いるクーデターで暗殺されてしまいます。(このクーデターの影には、冷戦下でサンカラの社会主義的な思想を嫌っていた旧宗主国の策略があったとも言われています。)

1987年10月15日、コンパオレはクーデターによって当時大統領であったサンカラを殺害し、第6代大統領に就任した。サンカラの殺害について、コンパオレは「事故」と説明しているが、その主張には疑問の声が多い。大統領就任後、コンパオレはサンカラの政策方針の多くを転換した。

ブルキナファソでは2015年に大統領選挙が行われる予定だが、コンパオレ氏は再選を可能とさせるために憲法を改正するよう議会に求めたため、これに抗議する市民が大規模デモを繰り広げ、2014年10月30日にはデモ隊が国会議事堂に放火する騒ぎとなった。

 

このため、軍のトラオレ参謀長は2014年10月30日、軍が政権掌握を宣言。夜間外出禁止令を布告すると同時に、1年以内に選挙を実施する方針を示した。

コンパオレ政権の崩壊は、突然のことのように見えるかもしれない。

しかしこの動きについてVOXニュースは、アフリカ諸国で長年の問題として存在していた汚職や経済格差などの不満によって、民衆が突き動かれて発生したものだと指摘している。

ブルキナファソ暫定大統領にカファンド氏が就任

2015年11月大統領選挙が告示され各政党から14人の立候補者が揃った。

 

21015年11月29日の投票の様子。

告示から投票日までの間何の問題もなく経過した。

アフリカ諸国ではとても稀なことだ。

今度こそ自分の意思で自分の国の大統領を選ぶと強い信念を持って投票していた。

現在有力なロック・マルク・カボレ氏(左)とゼフィリン・ディアブレ氏(右)

ブルキナファソ第7代大統領が決まるのも、もう時間の問題

親爺はブルキナ(清廉潔白な人)・ファソ(国)と名付けたトーマスサンカラの心が確かに根付いていると実感しました。

 

 

 

 

 

 

 


プル族の村

2015-11-24 | 暮らし

 

親爺は昨日2年ぶりにプル族の村を訪れました。

プル族はもともと北アフリカで遊牧を生活の糧として暮らしていた部族で、顔立ちは堀が深く美男美女が多く、独特の衣装や飾りを施します。

彼らの生活は実に質素でもちろん村には電気や水道などは無く自給自足の暮らしをしています。

親爺が訪れると村長が迎えてくれ、朝に牛から搾った牛乳とバオバブのソースと粟の実を砕いて粉状にしたものを煮て作るサカボを振舞ってくれました。

久しぶりのごちそうに早速手にサカボをとり、ソースをつけて食べると口の中にアフリカの草原の香りが広がります。

親爺はこれが大好きで一心不乱に平らげますと村長と奥さんが私を見てうれしそうに微笑んでいます。

ご馳走様でした。

これが本当のご馳走と思います。

村は2年前から見た目には変わりはありませんでしたが、16歳の娘は幼馴染と結婚して子供が出来、ほかの家族にも子供が生まれ、村は子育てで忙しそうでした。

村の人たちの話を聞くと、隣の村では焼き畑をやって牛の食料がなくなってしまって困った話や今年は雨期になるのが遅かったから作物が良く育たなかったとか。

他愛のない話でも彼たちにとっては大きな問題なのでしょう。

先進国では文化が進み便利さを求め、それと同時に自分を捨ててまでも収入や組織を優先しなければならないことは当然でもあり立派なことです。

しかし、途上国では便利さを求めても収入を得るすべが無く、一人一人がじっと我慢?(我満)しながら一生を村で過ごして行く。

彼らにとっては最も平和で安心できる世界なのかもしれません。

 

人間の世界はこれからも大きく変わっていくことでしょう。

と同時に自然からは次第にかけ離れていってしまうような気がしてなりません。

小さな自然な喜びが喜びではなくなり、意図的に造り出された喜びにしか感動できない社会になってしまうことが心配です。