西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

ブルキナファソ2007年の主な出来事

2007-12-31 | Weblog
今年も親爺はブルキナファソで年越しです。もう、かれこれ5回も年を越したわけでございまする。思えば日本の暮れは慌しく一年の締めくくりとなるわけだがブルキナファソはそれほど日本のようには年の背という新たな年を迎えるための意識は無いようで、今年ブルキナファソの出来事と言えば1月は前年12月に起こった事件で、警察と憲兵隊の小グループがどこかで酒を飲んでいてたまたま隣に居合わせ口論の末に乱闘になりそれに端を発して憲兵隊首脳が激怒し首都ワガドゥグの警察署をバズーカ砲や機関銃で襲撃したので警察が脅えて誰も仕事に出てこないために警察機能が麻痺し約2ヶ月後、ようやく警察の首脳と憲兵隊の首脳が和解したのでございまする。まさに日本では考えられないことでありました。その他の出来事と言ってもあまりこれと言ったビッグニュースは無いのですが、首相が交代した事。ブルキナファソとコートジボアールが永年の断絶状態が終わり新たな友好条約が結ばれたこと。それからブレイスコンパオレ現大統領の就任20周年記念式典と同時にクーデターにより暗殺された前大統領トーマスサンカラ大統領の20回忌がそれぞれ同日に行われました。それとうちに勤めているガードマンの家に早朝2時ころ賊が侵入し生まれたばかりの子供を連れ去ろうとしたのを妻が身を持って抵抗し打撲を負ったものの子供は無事。調べによるとブルキナファソにはイニシエーション(呪術、グリグリとも言う)によっていろいろな事を祈願する事があるそうな、特にお金儲けをしたい人は子供や若い女性を生贄にすると願いが実現するそうなのだ、したがって子供や若い女性を誘拐して殺し、血や臓器を呪術師に売るそうでござりまする。あ~おそろしや、おそろしや~。それから親爺自身の事。親爺が急に腹が痛くなり、また下痢かと思っていたらそれでも無く激痛のために立っている事ができずに横になっていたが、これは誰かが親爺に呪術(グリグリ)をかけたに違いないヤバイ、死ぬ~と思い薬局にバイクで乗せていってもらい薬を買い家に戻って少し休んでいると急に尿意を催しトイレに行き放尿すると血尿が、このままでは危ない親爺は危機感に陥り薬を飲み安静にしていたところ午前2時ころまた尿意を催しトイレに駆け込み用を足そうとするとオシッコがでない、オシッコがしたいのにオシッコがでない、いよいよ終わりか~と思った瞬間オ〇ン〇ンにモ~レツな激痛が走り、奥のほうからニュニュニュ~、ぽちゃんぽちゃん、と小さな小豆粒くらいの石が二つ出てきたではありませんか!親爺はびっくりと同時にいままでの激痛も何処へやら、寝不足と憔悴した目を瞬きしながら、これは夢か幻か。後で冷静になってそれまでの経過を分析してみたら、腎臓に石があり、それが膀胱に入ったときに血尿が出て膀胱から石がおしっこと共に外に出たと言う事でありましょうな。
ま~親爺もいろいろありましたが今年もいよいよ終わりですな。皆さんは如何でしたかな、良きにつけ悪きにつけ1年は1年です。「人生は苦しいけど面白く、辛いけど楽しい。」
その様な言葉もありますが親爺も早くそういう境涯になりたいものですな。
それでは、来年もますます良い年になりますよう、ブルキナファソよりお祈りいたしまする。

ぶるきな親爺ズンドコ節

2007-12-29 | Weblog
*ズンズンズンズンズンズンドコ、ズンズンズンズンズンズンドコ
ここは最果てアフリカの
ブルキナファソの路地裏で
今日も一人で酒を飲み
今日も仮寝の異国の夜、ソレ!

故郷に残したあの人は
今頃どうしているだろう
情けもあれば意地もある
泣いちゃいけない人のため、ソレ!

まずい食事に涙ぐみ
日の丸背負って人助け
父さん母さん見てください
これがおいら(あたい)の生きる道、ソレ!

大和魂振り絞り
慣れない言葉で意地を張る
じっと堪えてはみたものの
やっぱり許せぬプライドが、ソレ!

親にもらったこの体
マラリアなんぞは怖くない
そうはいっては見たものの
温泉宿が懐かしい、ソレ!
*ズンズンズンズンズンズンドコ、ズンズンズンズンズンズンドコ
いつも見かける女(男)の子
肌はブラック眼はパチリ
八頭身でボンキュウッボン(マッチョッチョ)
誘っているのかこの俺を(このあたい)、ソレ!

おいら(あたい)に惚れちゃいけないよ
所詮お前(あんた)が泣くだけさ
そうはいっても世は情け
これも一つのボランティア、ジャン!

ぶるきな親爺POEM

2007-12-28 | Weblog
ブルキナファソの暑い夜

私は町の食堂で疲れた体を癒すため一本のビールと食事をとる

周りにもたくさんの人たちがいて汗をぬぐいながら黙々と食べている

この人たちも疲れているのかな

貧困の中に生きていることに疲れるのかな

明日(あした)の事、わからない

未来(あした)のこと、考えない



そのとき君は私の前に来て食べ残しをねだったね

私は少し困惑しながらうなずくと

君は屈託の無い笑顔でトマトソースの空き缶に素早く放り込む



10才くらいかな



「おじさん皿を片付けてあげるよ」、「ありがとう」君との会話はこれだけ

君が皿を持って店のお兄さんに渡そうとすると

彼は様子をずっと見ていたのか空き缶の中を見せろといった



君が空き缶をかくそうとすると彼は思い切り君のほほをたたいたね

彼は何度も何度も君を殴り続けた

君は小脇に抱えたあき缶をひたすらかばいながら殴られるのをこらえ続けた

そのとき君は遠くを一点見つめていたね

顔をゆがめもせず



「やめなさい、私があげたんだから」と店の人に言おうとしたが言えなかったんだ

なぜなら君たちがそこに何時も来ると店が困るから



君が殴られ続けていたときに君がじっと見ていたものは何

私はそこに目を向ける、と

君よりも小さい子供たちが座り込んで心配そうに君を見ていたんだね

君は殴られた後無表情で彼らのところに重い足取りで歩み寄る



君はそっと空き缶を差し出すと、

そこに小さな手がたくさん伸びてきた

中にはそんなに入っていないのに



君は空き缶を差し出したあと緊張が解けたのか、体が痛いのか

君は地べたに座り込んでうつろに夜空を見上げていたね

ブルキナファソの暑い夜

著・・・・ぶるきな親爺

ぶるきな親爺の独り言

2007-12-28 | Weblog
今日はお手伝いのサンドリンは出勤時刻の朝8時を過ぎてもこない、9時半を回ったころ生気を失った顔で現れボンジュ~ル、親爺はすかさずどうしたのだ、と聞くと昨日はノエルで疲れたので遅くなったと言うので、労をねぎらいそ~だろう、そ~だろうと言うとサンドリンは話に輪をかけて延々と一時間ほど昨日は朝から晩まで動き通しでまったく休み暇が無かったという弁解気味な口実。それにしてもブルキナファソの女性は良く働きまする、掃除、洗濯、料理、後片付け、育児、雑用などですが、日本のように電化製品が無い上、家族が多いのでそれはもう大変です。大体普通の家庭は同じ敷地に何家族も同居している事が多いので祝日ともなると訪問する人も多く、それぞれに飲み物や食べ物を振舞うのでその裏方は皆女性の仕事です。
さてさて、ブルキナファソの家庭と言うと一夫多妻がありまする。全部がそうではないのだが特に村のキリスト教以外のシェフ(酋長)などは何人もの夫人を娶っている事が多いのである。まあ男に甲斐性があれば同じ敷地に住まわせそれぞれに部屋を与えて分け隔てなく幸せに暮らしていけるのだろうな。日本などは勿論一夫一婦制だからもし他に妻以外の女性をとなると愛人として離れたところに住居を設けてお忍びで通うという事になりまして、もし妻にでも知れようものなら大騒動となりまする。いくら甲斐性があっても日本では効率が悪い。さて話はブルキナファソに戻り、その一夫多妻を研究しているお方に聞きますると、同じ敷地には妻たちのほかに夫の兄弟とかも暮らしているが、夫が死ぬと若い妻たちは残るわけだが、この残った妻たちは夫の兄弟たちにもらわれて行くそうな。そんな事で妻たちも一生のうちに複数回結婚をするという事でございまする。なんと効率のよい事か、余すことなくリサイクルしているのでありまする。こうしてできた子供は数多く30人とか50人とかいると名前さえ覚える事も難しいことでありましょうな。誰が誰の弟で誰が従弟であれは3番目の前妻の五男坊な~んて、家計図なんか描いたら、とてつもなく大きなものになる事でしょう。しかし村のシェフは好き好んで多くの妻を娶っているわけではないそうな、村と村の交流の証とでも言いましょうか、昔日本の戦国時代にも似てますな。ある意味で助け合いの精神やお互い仲良く争いが無いようにということも在るので残念ながら自分の気に入った女性だけをコレクションすると言うわけには行かないのだそ~だ。
しかし、よくよく考えてみるとシェフも大変だね。それだけの気力や貫禄や強靭な肉体を持っていないことには勤まらないな。毎日多くの人が鶏や羊などの引き出物を持って朝早くから挨拶に来るし、村の問題を解決したり、奥さんたちにも尽くさなければならなかったり。まあでも家族が多いと言うことは同時に労働力でもあるわけだから多くの畑を耕すことができたり、その中で特に優秀な子供は学校に生かせて英才教育をさせて将来は大臣にして村に還元させよう、なんて事もできるわけだ。やはり親爺の頭脳を持って考えてみると一族は多いほうが良いのである。
そこで親爺の提案だが、日本も少子化や高齢化などと憂いていないでいっそのこと10年間ほど一夫多妻リサイクル制にして見てはいかがかな。

ぶるきな親爺のクリスマス

2007-12-26 | Weblog
いくつになってもクリスマスと言う言葉を聞くと胸が躍るような、ここワガドゥグでも街に出ると通り沿いのお店にはイルミネーションが付けられて、何人かの子供がクリスマスツリーや部屋飾り、ビニール製のサンタクロースの風船人形を売り歩く姿、それからレバノン人の経営するスーパーマーケットなどは連日食料品やプレゼントなどを買いに来るお客で賑わっております。そしてどこからともなく聞こえてくるクリスマスソングが心を和ませてくれます。
さて親爺は朝かからいそいそと落ち着きません。そう今日は親爺の家でクリスマス宴会が開かれる予定なのでありまする。親爺は元来宴会が好きでして何かにかこつけては宴会を催します。宴会と言っても大々的に開催しますのはまれで、二人以上から宴会ができますのでそれにより献立も違ってきます。主なメニューは2~4人は羊の肉ぶつ切りグリルまたは串焼き。(付近の屋台で売っている)。5~10人は鶏肉入りクスクススンバラ風味(これは自宅で作ります)等など。で、今回は手作りコロッケで肉は水牛系ブルキナ産、ジャガイモと玉ねぎはワガドゥグ近郊で栽培されたものを厳選し?近所に住む自称コロッケ作りにかけては拘りを持つ北海の熊さんに手ほどきを受け作る予定でありまする。親爺は何か嬉しい事とか楽しい事があるとなぜか早起きしてしまうのです。ちなみに起床は午前4時、時計を見てまだ早いと思いもう一度寝床へ行き、寝ようと思ってもいろいろと誰が来るのかとか献立や準備の事が目まぐるしく脳裏をかすめ寝付けませんので30分ぐらいごろごろしてからエイ!とばかりに起きては見たものの外は真っ暗。取り合えずお湯を沸かしてネスカフェを飲みながら物思いにふけります。まず北海の熊さんとも相談して何時ころ買出しに行こうかとか、どれくらい材料を買おうかとか、果たして皆様方はおいでになるのかとか、あ~だこ~だといらぬ考えをめぐらし、右手にはネスカフェ、左手にはタバコを交互に口にしながら、まだ6時半か~などと一人でつぶやきまする。
満を持して午後3時に北海の熊さんの家に行き、その足で一緒にスーパーマーケットへ、すばやく買い物を済ませ、そそくさと家に戻り、さてとばかりに調理に取り掛かります。北海の熊さんは手際よくジャガイモをお湯に入れ玉ねぎを刻んで行きます、親爺はこれと言った仕事も無いのでただウロウロとしているだけ。やがてジャガイモが湯だって親爺も参加しコロッケの形を作りに入ります。今回は作者達の柄に合わず可愛くしようと言うことで形は円筒形の二口サイズ、二人でもくもくと50個程、さあ、後は揚げるだけ。コロッケの揚げる作業に取り掛かってから間もなく玄関から声が、タウンさん始めアイフィールドさん、バンブーパッセーさんなど6名の方々が訪れてお見えになりました。親爺の顔がぱっと緩んだかと思うと、どうぞようこそとばかりに気合が入ります。前日の野球の練習でなった筋肉痛など何処へやら、やがてビールに始まりフランス産のワイン、ブルキナ産の低級酒を手に持つころは親爺もぜっこ~ちょ~。持ち前の駄弁で時々顰蹙を買いながら親爺らしさ丸出しでござりまする。やがては皆様がお帰りあそばされたのですが、親爺と北海の熊さんは興奮冷めやらず、歌うこと延々と2時まで、大自己満足で深い眠りにつく親爺でした。

クリスマスdeブルキナファソ

2007-12-24 | Weblog
今日12月24日と言えば自然に発想できるのはクリスマスでしょうな。
今日は何だと聞かれ自分の誕生日を省いて殆どの人はクリスマスと言うでしょうな。
ここブルキナファソでも例外ではありませんよ。
ここではノエルと言いまして25日が降誕祭、つまりキリスト様がお生まれになった日とか、ブルキナファソには沢山の人がカトリックを信仰していまして、各地区には大小の教会があり、毎週日曜日には家族でミサに出かけます。1年のうちで最も大きいお祭りがノエルで24日の夜は沢山の人たちがその年としのキリストの絵柄が入った布地で服をあつらえ着飾って教会に集まりノエルのミサを行います。初めは牧師さんの厳かなるお話に始まり、カトリックの儀式が執り行われ、人々もだんだんと高揚していき、牧師さんが「さあ皆さん、ともに祝福しましょう」と同時に聖歌隊が歌い始めます。ブルキナファソ聖歌はとてもリズミカルでダイナミック、気がつくと親爺もリズムに合わせてひとりでに体が動いておりまする。そうして人々は夜の更けるのも忘れクリスマスを祝うのであります。
親爺は元来、これと言った宗教はございませんで、昔から困ったときだけ「神様、仏様、キリスト様」と祈りますが、これはあまりにも虫が良すぎて返って天上の方々に嫌われてご利益やご加護が薄れてしまうどころか天罰が下るのではないかと不安もあります、が、しかし天上の皆様は人を救うために在らされているのですから皆様はその様な族(やから)が一人や二人いたって「仕方のない奴よのぅ~」と大目に見る懐の深さをお持ちではないかとも思うのであります。これは親爺の都合の良い解釈なのかもしれませんけれど、せめてどなた様か夢に現れるか何か親爺にも解かるようなサインをお示しになるとか、ご教示いただければ何処までもそのお方についてまいりまする~、と思うのですが、既に今まで天上の方々は、ご教示を示されているのに鈍感な凡夫の親爺は夜な夜なのアルコールで神経が麻痺し気づかないのか、それともまだ人生の修行が足りないのかもな。
きっとその前に、まず汝の~その軽い性格を改めよ~、と言われるのが落ちかな。

ぶるきな親爺の戯れ

2007-12-22 | Weblog
最近肩が痛くて困りまする。これはもしかして五十肩?
親爺は何でも食べる雑食性で特に嫌いなものはありません。ですから何でも栄養として体内に吸収しまする。ブルキナファソの食事は、というと大体ソース+米、スパゲティ、ト(粟やトウモロコシを粉にしてお湯で練ったもの)などです。日本のようにおかずがいくつも種類がありご飯と一緒に食べるのとは違い大体が一品料理です。
地域ごとにマルシェ(市場)があり入り口の近くにはチャパロ(ドローとも言う)といって粟を発酵させて作る地酒屋が何件か並んでいて、中に入るとたくさんの人たちが世間話をしながらカリバスというヒョウタンのお化けのような器でチャパロをおいしそうに飲んでいます。親爺もお酒は結構好きなので大きな素焼きのつぼの前にいる女将に注文すると手際よくカリバスに注ぎ込みます。周りの人たちは私のような外国人が市場でチャパロを飲むことはめったにないらしく、初めは皆じろじろと用心して見ています。私も始めのうちはみんなの視線を浴びて少し肩身の狭い思いを抱きながら飲んでおりますがカリバスが3杯目くらいになると親爺の本性がだんだん頭をもたげてきます。隣の若者たちが好奇心旺盛らしく頻りに何か話しかけてきます。「おい、中国人か?、中国の挨拶を俺は知っているぞ。ヒーホー(ニイハオ)だろ?」ブルキナファソの人から見ると、アジアの人は皆同じに見えるらしく、私が日本人だと言わない限りわからないのです。親爺もすかさず「お前はニジェール人か?」と聞くとムッとした顔で「いや、俺はブルキナベだ」と答えます。親爺も「俺は中国人じゃないジャポネだ」というと若者たちは少し現地語を話していましたが「俺はジャポンが大好きだよ。なぜって空手や柔道やトヨタはジャポンだろう」といわれると親爺もうれしくなって「そうだ、そうだ、それでは今日本で一番流行っていることを教えて進ぜよう」とカリバスにチャパロを並々と注がせて見てろとばかりに一気に飲むと若者たちはジャポネはすごい、と目を輝かせますので図に乗ってもういっぱいお変わり、そしてまた一息に飲み干すと若者たちは歓声を上げ、そこで親爺は「これをYicki(イッキ)と呼ぶ。お前達もやってみよ」と言うころには私もかなり酔いが回っていまして頭は宴会モードに達しております。 こうなったら若者たちに、とことん飲ませてやろうと思い女将にチャパロを注がせると「それイッキ、イッキ、イッキ、イッキ!・・・・」
こうして市場での宴会は盛り上がり、ふと気がついてみるとあたりは夕暮れにさしかかり、女将の顔を見ると今日は商売繁盛とばかりニコニコしながら次のカリバスに並々と注いだチャパロを手に次を用意しています。そして日が落ちたころにはもう皆が泥酔状態で、親爺もどうやって家までたどり着いたか知りませんが気がついたときには家の中の長椅子に寝ていました。あたりは真っ暗でまだ夜が明けていないので時計を見ると午後10時、確かさっきまで飲んでたと思い、のどがやけに渇いたので水を飲んでまた寝て朝になり、割れるような頭痛にさいなまれながら外に出ると近所の人が「一昨日はずいぶん飲んでたね~、大丈夫か?」え!、一昨日?、昨日じゃないの?。パソコンのカレンダーを見ると確かに1日飛んでいるということは1日以上寝ていたと言うことになりまする。
とたんに三日酔いも手伝って自分の至らなさに自己嫌悪に陥り、もう絶対にこのようなことはやるまいぞ、と心に誓うのですが、しかし何のことはない、また調子が良くなると心の中の戯れ虫が動き出すのでした。

ぶるきな親爺、元祖ぶるきな爺(じじい)に教わる

2007-12-22 | Weblog
親爺は朝起きると毎日パンを買いに行きまするが、途中七十ババ~の丁寧ながらも皮肉たっぷりの挨拶がありまして、今日も「おい!ナサラ!(白人!)お前は毎日パンを買うけど何でくれないんだ~?」と残っている前歯が二本だけやけに長く藪にらみで、見~るからに意地悪ババ~という形態でありまする。親爺はそこを少し笑いながら日本語で、うるせ~クソババ~と軽く交わし、何食わぬ顔で通り抜け角にあるキオスク(軽飲食屋)にパンがあるのでそこに入ると、そこの一等席に陣取っているのが八十爺(じじい)、爺はひょろひょろと痩せてアル中と見えていつも手にはエペロンというアルコール50%もある酒をストレートでおいしそうに、ちびちびと飲んでおりまする。風体がこれまたすごく粋でありまして、しわくちゃのスラックスに古~い背広、首にはいつも2本ネクタイを締めて分厚い大きな皮のかばんを持っているのです。初め見たころは何かを売って歩いているのかと思っていましたが、毎日早朝から昼過ぎまで座っている姿を見かけますのでたぶん仕事はしていないのかと思います。この風体はブルキナファソの爺にしては珍しく、ただの爺ではないと思い、あるとき店の人に爺についての話を聞く機会がありまして、店の旦那の話によりますと爺の若かりし頃はエリート実業家であったそうで一夫多妻のこの国で5人もの妻を娶り悠々自適に暮らしていましたが子供たちがろくでなしで親の財産を食いつくし、やけになった爺は酒におぼれ、妻たちには見放され、今では天涯孤独、毎日そこで酒を飲み、午後には家に戻るのが何よりの楽しみなんだとか。つい先日、爺との会話がありまして、爺は私に「なあジャポネよ。この国はこの国で悪いところでもあり良いところでもある。ジャポンはジャポンで良いところでもあり悪いところでもある。一概にどちらがいいか、ワシにはわからん。」これって簡単な言葉ではありますが、とても深い哲学的なことでもあります。爺は親爺も男に生まれてある意味でこの爺に対し尊敬の念を抱きまする。と申しますのは、昔日本の武士が尊んだ言葉に「潔し(いさぎよし)」などという言葉がありまして、永い人生には必ず成長期、円熟期、衰退期がありまする。自分の勢いのあるうちに人に迷惑をかけないならば思い切り悔いを残さず栄華を誇り、過ぎ去りし後は何も言わず、ただ粛々と自分の楽しみに浸る。爺に人生の機微を改めて気づかされた親爺でした。親爺になって、もう人生の勉強は卒業と高をくくっておりましたが先人からするとまだまだ洟垂れ小僧、これからも修行あるのみですかな。おそれいりました~。

ぶるきな親爺の戯言2

2007-12-21 | Weblog
日本の皆さん元気ですか~。
親爺も~元気です。
ブルキナファソでは昨日はタバスキでござりました。
タバスキは「犠牲祭」とも言ってイスラム教の2大祭りでイスラム教徒最大のお祭りでアラーの神に羊を捧げて1年の一家の健康と安全を願うものらしいのだが各家には無残にも首から下が骨になった羊がぶら下がって、羊達は年に一度のこの日をどんなに恐れていることだろう、と羊の心境になって考えてみたりして。
さてさて、前回に続いてお手伝いさんサンドリンは子供を生むために実家に帰り、産後まもなく家に戻ってみると、なんと夫が他の女と一緒に寝ていたのであります、サンドリンはそれを確認すると同時に中に押し入り、女の髪を引っ張り引き離すと夫はすかさず外へ非難、女は悲鳴とともに夫のほうへかけて行こうとダッシュをするがサンドリンが後ろから足を払うと女はもんどりうってひっくり返ったそうな。すかさず夫に鋭い視線を投げて夫を金縛り状態にして女に言った「こんな男はお前にくれてやる」と。
この話を聞いて親爺としてはなんとサンドリンは逞しいことか、ブルキナファソは日本のようには生活にゆとりがないのです。甲斐性のない人間は男でも女でも容赦なく淘汰されてしまいまする。どこかの国ではストーカーだかスピーカーだか知らないが男や女のケツを追っかけて悶々としているやつが大勢いるとか、あまりにもバーチャル的で非現実的なことばかり先行して現実を直視できないやつが多すぎる。好意を持ち、夢を持つことはいいことでありますが、物事というのは、そこからどのように実現していくかは実際に正面からぶち当たってみないと解らないことが沢山ありまする。少しの勇気というか無理をすること、そして自分をさらけ出すことが必要なのだ。それができないから妄想になっちまったり虚勢を張ったりしてしまうのだな~。
親爺も昔はいろいろな女を好きなったが結局今のかみさんは最大の理解者でもあり最大の苦言者でもあると言えまする。
「男は強くあれ、優しくあれ、そして爽やかであれ」「女は逞しくあれ、可愛くあれ、そして朗らかであれ」それが親爺の格言でありまする。

ぶるきな親爺の戯言

2007-12-19 | Weblog
親爺は毎日5時半には起きます。夜は12時ころ寝ますが寝ながら単行本を読み、眠気が迫ってきたらすかさず寝るという具合です。
5時半、朝のワガドゥグはとても涼しく、明け方は真っ暗で20度を下回り少し肌寒いくらい、モスクから「アッラ~~ハクバル」とイスラムの朝の祈りが遠くから聞こえ、少しすると東の空が少し薄墨色に、そして薄水色から赤みが差してきて橙色に、その後陽が天辺から顔を出してきまして親爺はこの情景がとても好きです。ワガドゥグの一日の始まり、今日はどんな一日だろうか、右手に持ったネスカフェを飲みながらまだ覚めやらぬ意識をめぐらし、顔を洗いに洗面所へ行き、自分の顔をしみじみと見ながら俺もすっかり親爺顔になったな~、などとつぶやきながらスマイルをしたり、怒った顔をしてみては複雑な心境に駆られて腕立て伏せなどを4~5回、出腹に力を入れて捻ること4~5回、ヨシ、これで良し!
7時半になるとお手伝いのサンドリンが来ます。3年ほど前から毎日食事を作り、洗濯、家の掃除をしてくれています。彼女はまだ若干21歳ですが3歳のデニッサという女の子がいます。彼女の気性はとても淡白でしっかり者、しかしも何と×一です。いつも朗らかで仕事中鼻歌を歌い時々冗談を言っては笑って、今では家族の一員といっても過言ではありません。そんな彼女も過去には大変つらい時期もあったようです。こちらではさほど珍しくはありませんが、17歳で結婚して子供が出来、実家で静養しているときに旦那が浮気をし、たまたま自宅に戻ったときに旦那がほかの女を家に引き入れて一緒に寝ていたところを彼女が発見した。バンバン、サ~それからがどうなったかは次回のお楽しみ。

ぶるきな親爺の暮らし

2007-12-17 | Weblog
さて皆様に、ぶるきな親爺の暮らしをかいつまんでお知らせします。
ブルキナファソは首都ワガドゥグの一軒家で繁華街から少し離れていて周りには泥レンガで造られた家がたくさんあり、もう3年も住んでいるので近所の人も顔見知りでして、毎朝パンを買いに近くの店に行くときに必ず近所の七十ババーが「ネイ~ベヨゴ」(おはよう)と声をかけてきます。親爺も「イ~カラフィ」(おはよう)ババーが「イベキャマ」(元気か~?)親爺が「ラフィバラ」(げんきだよ)ババーが「ザグランバ」(家族は~?)親爺が「ラフィバラ」(げんきだ~)と返事をしますと不敵な微笑みを浮かべて「お前はけちだからいつも何もくれないね~」とシワクチャの顔を引きつらせながら言うのです。どこの国でも悪態をつくくらいのほうが長生きするのかね~。
ババーの側にいつもいる5歳くらいの孫娘はババーに怒られるらしく、いつも泣いていたけどこのごろは免疫が出来たのか他の子供をいじめてはババーと同じ不適な微笑をするようになった。親爺としては何ともやるせない気持ちになりまする。しかし、ブルキナファソで生きていくにはこれは当たり前で目上にいじめられ、その鬱憤を目下で晴らすという社会構造が人間をたくましくしているように思うんだな。要するにいじめられるのも必要だし、いじめるのも必要なのである。ただし、いつまでも長々と陰湿になるいじめはだめだ。相手に愛情といたわりの念を持って、つまりお前も強く成れよという意味を込めていじめること、そしていじめられることが大事だな。
親爺も昔は、ずいぶんいじめられたし、いじめたけどそのおかげで肉体的にも精神的にも強くなれた。たとえば誰も風邪は引くよな。そのときにはなるべく薬には頼らないで自分の体を信じて自分で治すほうが免疫力が高くなるんだ。食べ物だってこっちには賞味期限もヘッタクレもないから自分で食べるものは自分で責任を持って体の栄養にする。時々ねずみやトカゲも食うけど食中毒なんかにはならないね。
マ~親爺の意見としては「意地芽」は必要でありまする。

ブルキナファソという国

2007-12-13 | Weblog
皆さん初めまして。
私は現在ブルキナファソという国に暮らしています。
どこかって?
アフリカです。
アフリカ大陸の西北でガーナのとなり。
北はサハラ砂漠で南はサバンナ。
もうここへ着てから5年近くになりますが~なかなか良い所ですよ。
(最近そう感じるようになったんですけどね~。)
6月頃から9月頃までは雨期で毎日スコールがありますがそれ以外は乾季で東からの季節風(アルマタン)が吹き、それに埃が混じって空が茶色になります。少し外に出て家に帰ると私の白髪頭が茶髪になってしまいます。
それから夜は回りに照明がないのでとっても星がきれいです。
それから人は歩いているのですが皆肌が黒いので服が歩いているようで、まして顔などは分らず声をかけられると少し不気味な感じです。
これからブログを通して皆さんにブルキナファソのいろいろな出来事や日頃感じたことなどをお話していきたいと思いますので皆さんも気軽に見てくだされ。
ブルキナ親爺のごあいさつ。