三ヶ月ほど前、五月といえばここブルキナファソは年間で一番気温が上がる季節でございます。
45度の猛暑との戦いに明け、日暮れには角にある焼き豚家で冷た~いビールを息もつかず2本飲み干すのが、この季節を楽しく乗り切るコツと過去からの体験により学習されたものでございます。
この焼き豚なのでございますが、さっきまでその辺を歩いていた豚が、あっという間に部位も解らぬほどに見るも無残な姿に身も骨も切り刻まれてから、約2時間後にはこれが見違えるような美味しそうな姿に変化するのでございます。
親爺は皮付きの塩豚焼肉がとても好きでしてブルキナベももちろん大勢の人が屋台の側に群がり我先にと肉の争奪戦が起こります。
しかし、ブルキナベは何故か解りませんが肉の部位は知らないらしく私が残りを見ると、そこには一番美味しいバラ肉が残っているのでございます。(薄笑い)
と同時に、不図何故か日本人で良かった~、というおかしな優越感に浸るのでございます。
そのような日々を送っておりましたとき、ひとつのメールが届きました。
内容は某大学医学部学会での講演の依頼でした。何かの間違いであろうと親爺は目を疑いながら何度か読み直しては思慮対策を講じ、恐れながらと確認を賜るべく返事を送りましたところ、どうも本当らしいのです。
さてどうしたものか。
どのようなお話をすれば良いのであろうか。
まさか焼き豚の話をしても・・・・・。
月日の過ぎるのは早いものでございまして、毎日考えに明け暮れて現在日本に帰国する10日前なのでございます。
親爺は元来、楽天的性格なのでありましょうか、これまでブルキナファソで暮らしてきた約10年、50歳からの我がままでこの国に足を下ろしてはみたものの、初めは言葉もぜんぜん解らず毎日のコミュニケーションにも事欠き食事も合わず外にも出ず、ある意味の引きこもりになっていたころが今では懐かしく思い出されます。
学会の講演では私がブルキナファソの暮らしの中で実際に経験してきたことを皆様にお話できればと思っております。
日本も現在、東日本大震災、経済、政治とさまざまな問題を抱えておりますが、やがて復興や修復は出来るでしょう。しかしブルキナファソのような途上国は政治基盤や経済基盤がまだまだ脆弱なため、もし日本と同じようなことがあったとすれば直ぐにでも国が滅亡してしまうかもしれません。
それが解ってるのかどうかは計り知れませんが、貧困にもめげず毎日陽気に不平不満を言わず、健気に生きているブルキナベの姿に、何故かひたすら尊敬の念を抱くのでございます。
ともあれ、今回のようなことは一生に一度しかないと思いますので久日ぶりの日本を精一杯満喫して来ようと思っておりまする。
最新記事の10編を全て読みました。私には絶対できないし、考えることすらもあり得ません。脱帽です。
まだ日本に居るのですか。それとも里帰りはもう終ったのですか。元気でお過ごし下さい。
もうじきブルキナにいきます。10年ぶりです。
ブログ拝見しました。ありがとうございました。