西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

見知らぬ国の見知らぬ貴方

2008-02-26 | Weblog
見知らぬ国の見知らぬ貴方

貴方は今どうしていますか。

大いなる夢や微かな望を抱いては
歓喜や失望に明け暮れているのですか。

厳しい現実の中に些細な喜びを見つけては笑い
また繰り返される長い現実に向かっているのですか。

運命という見えない糸に導かれながら
自らの生を刻み沸々とした日々を重ね

過ぎ去った日々は夢のよう
また来る明日は今とつながる現実



そんな貴方がいと愛しくてなりません。




日本のテレビ局ブルキナファソ撮影

2008-02-24 | Weblog
日本の某テレビ局がブルキナファソを訪れたのは、小学生たちが駅前の放置自転車をもっと役に立つものに作り変えられないかと考え、リヤカーに改造することを思いつきリヤカーの製作所を訪れて改造をお願いするのですが、このリヤカーを途上国に送ればもっと役に立つのではとブルキナファソに送ることになったとか。

ブルキナファソはまだまだトラックなどは少なく、農家の人たちはロバや自転車などで物を市場に運んでおります。車や燃料も高価なので便利ですがとても使うことは出来ないのです。

ロケ隊がまず向かったのはブルキナファソの最北のウルシー村です。
ここはトアレグ族やプル族といって昔は遊牧を行いサハラ砂漠の周辺国を旅をしていた人たちが住んでいるところです。

ウルシー村に向かっていくと木立もだんだん小さくなり次第に前方に白黄色の丘が近づいてきて、そこがサハラ砂漠の入り口となるのです。サハラ砂漠は、アフリカ大陸の3分の1もある大きな砂漠で飛行機から砂漠を見ると白黄色のまるで砂の海原が延々と続いている大地で、生き物たちを阻害しているかのごとく、乾いた空気と日中は50度を越す過酷なところです。その環境の中でも人々はラクダにまたがり優々と村を行きかっている姿を見るとこんな過酷な中でも泣き言も言わず、というか泣き言も言えず、生活をしていかざるを得ない人々の生きることへの逞しさ、力強さを持つ誇り高き人々に対して尊敬の念を強く抱きました。







皆様お久しぶりでございます

2008-02-20 | Weblog
やっと落ち着いてブログが書ける時間が出来ました。
といいますのは、日本の某テレビ局がブルキナファソをテーマにドキュメント番組を作るために撮影に来ていたのでございます。
朝は午前5時に起き寝るのは午前2時ととてもハードな日々が続きました。
テレビ撮影で、ドキュメントというのはとても根気と神経を使うのです。
ディレクターの言うことには村の人々の自然な生活の様子を録りたいと言うのですが、カメラを向けるとやはり緊張するらしく、顔がこわばってしまうのです。
親父はどうにかして笑わせようと必死におどけますがやはり国の違いからか親父ギャグは通用しませんでした。
こちらでは村の人々は2キロも遠いところに歩いて水を汲みに行きます。10歳の女の子が頭に20キロもあるポリタンクを載せてごく自然に歩きます。親父も真似てやってみましたがとても重くて1キロどころか100メートルも歩けませんでした。撮影ではその様子を何回も繰り返すのです。親父も通訳なぞを頼まれてカメラと一緒に歩き回り、運動不足で足がもつれてなかなか思うように歩けません。村に泊まりたいということで地面に筵を敷き寝るのですが、これがまた夜空の星がキラキラとた~くさん輝いて、時折流れ星がスーッと筋を描いて消えるのを見ながら疲れからかいつの間にか眠りについてしまいました。
次の日は夜明けを録るので、まだ暗いうちに起き夜が明けるのを待ちます。やがて少しずつ空が薄墨色になり青さが増してきて、東の空が一点だけオレンジ色に光を増して太陽が昇ってくる様子に親父は自然の美しさと雄大さに、ただただ見とれるばかりでございました。
今はとても疲れていますのでこの辺でお暇しますが次回に写真などをご覧くださいませ~。