西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

自慢話

2008-03-18 | Weblog
どこの国でも夕暮れのホッとタイムがあるように、ここブルキナファソにも一日の疲れを癒す時間があります。陽も落ちて午後8時くらいになると道端のいたる所にあるMaquis(小さなレストラン)には多くの人が一日の疲れを癒すために利用します。プラスチックテーブルにビールや清涼飲料水、同じく道端には、ヤギ肉の串焼きや鳥の丸焼きなどの露店が出ておいしそうな匂いを漂わせています。
親爺はこのような雰囲気が好きで、暑くて寝苦しい時などは近くのMaquisに行きまして、冷た~いビールと串焼きを5~6本注文し、まずはコップのビールを一息にのどの流し込んでホッと一息、串焼きを頬張り、道路を行き交う人の姿を見ながら寛ぐこのひと時は何とも言えないブルキナファソの風情があります。ブルキナファソの人たちはあまり明るいところで飲むことは好まないようで暗いところで静かにチビチビと1本のビールを長時間賭けて飲みます。私の考えではビールという飲み物は冷えていなければウマノションベンと同じだと思っていますので、温まらないうちに飲んでしまうのですが。

暫しブルキナファソの風情を堪能していますと、隣にすわっている人が「ヒーホー」などと声をかけてきます。親爺は聞こえないふりをしていますとまたもや「ヒーホー」。「ヒーホー」はブルキナ流発音の中国語で「ニーハオ」なのです。ブルキナファソの人たちは東洋人は皆同じ顔に見えるようで中国も日本も韓国も同じなのです。決して悪気があって言っているのではないのですが、大和魂を貫いている親爺にとってはあまりうれしい挨拶ではありませんので、一応苦笑しながらも同じ発音で「ひーほー」と返事をしてあげます。すると暗いので顔はほとんど見えませんが白い歯だけが浮き上がり、この人は嬉しそうに笑っているのだなと親爺は確認できるのです。隣の人がすかさず「貴方は中国人か」と聞くので親爺は中国人ではなく日本人だということを告げると、「そうか、そうか、それじゃジャッキーチェンは日本人か。」と聞くのでジャッキーチェンは香港で日本人じゃないということを説明すると、「日本は仕事がたくさんあるだろ、日本に行って仕事をしておかねをもうけて来たい。」と言うので、一緒にいくのは良いけど行くときのお金はあるかと聞くともちろん無いし、言葉の問題などはあまり考えてないようです。彼はまた再び興味深げに日本と中国は言葉が違うのかとかいろいろと聞いてくるので日本はかつて昔は中国(清国)と戦争をして勝ったとか、今、中国の自動車の技術やエレクトリックの技術は日本、から取り入れている、とか、オリンピックの柔道は日本人が編み出したなどの自慢話を延々としているうちに、話が弾んで物の値段の話とか、自殺者や殺人事件、物価や教育の話をすると、彼はとても信じられないと言います。
親爺は自慢話をしているうちに、だんだん、自慢話ではなくなっているのに気づき、隣の人も日本で暮らすことは大変なことだと逆に同情される結果と相なってしまいました。
日本から見れば、お金も無い、仕事も無い、無い無い尽くしのこの国でも人々はそれなりに現実を享受しながら、新しいものを知ったり、手に入れたときの喜びは、それは、それは大きいものがあるように思います。それとは逆に、今の日本は有るのが当たり前の現実の中で無くなったときの失望はブルキナファソの人の何倍にもなるような気もします。


Fiancailles

2008-03-11 | Weblog
先日、友人より電話があり、彼の友人のFiancailles(婚約の儀式)に誘われまして、一昨日の午後1時にガソリンスタンドに集合というので親爺は年に1度のオメカシをして、気ぜわしく靴を磨いたり、頭を刈りそろえて、今インターンシップで来ているアユミさんと共に集合時間に遅れないようにと逸る気持ちを抑えながら歩くこと10分、15分前にガソリンスタンドに到着、待つことは体感時間が長く感じるもので時々時計を見ながら友人の車が現れるのを待つのですが、なかなか現れません。午後1時の気温は40度を超え、灼熱の暑さの中、時間になってもそれらしき様子は無く、これは親爺の聞き違えかと急に不安に駆られながら15分が過ぎ、年に1度のオメカシもふいになったかと思いながら30分が過ぎ、だんだん辺りに人が集まりだし、もしかして一緒に行く人たちかなと思いながら、辺りを見回しても友人の姿は無く、少し離れた空き地にも人がたむろしているのでそちらに歩いて行ってみると、友人が角のほうから声をかけてきました、親爺は思わずホッとして慢心の笑顔になり心では今日のオメカシが無駄にならなかったことに安堵したわけでございます。

しかしブルキナベの時間の観念というとまったくルーズというか、よく言えば大らかというか、大体時計を持っている人が少なく、以前などは税務局に登録をしなくてはならず家の大家さんと朝9時半に事務所の前で待ち合わせをしまして、こちらは待たせては失礼と思い待ち合わせ時間前に着いたのですが待てど暮らせど大家さんが来ません、彼が時間を指定したのに常識から言っても遅れてくることは失礼のはず、彼は待ち合わせの時間から1時間半も遅れてやっときました。しかし、ごめんなさいの一言も無く、ただ忙しいと言い訳の一言。このようなことが日常茶飯事となっていますので何かを一つするのにも1日がかりになってしまうのです。

さて話を元に戻してFiancaillesは村で行われ、参加する一行はそれぞれ車に乗り出発、約20分くらいのところにお嫁さんの家があり、一行は村に着くと大きなマンゴの木の下においてある長いすや茣蓙に腰を下ろしました。親爺は、これから何が始まるのかとワクワクしているのですが、皆それぞれ世間話をしながら1時間ほど過ぎても何も起こりません、やがて村の女性がドローというミレットのお酒を20リッターのポリタンクで運んできて幾つかのカリバスという器に注いで振舞います。Fiancailleは、お婿さんの家族や親戚友人がお嫁さんの村を訪れて儀式を行い正式に結婚ができ、家族同士が交流できるということで、日本の結納みたいな意味合いがあります。

ドローを飲み終わると進行係の人がこれから村のシェフ(酋長)のところへ行ってサクリフィスをしますので家族の人たちは同行してくださいと告げ、鶏を下げた人を先頭にシェフの家に行くとシェフの前には女性が座り、シェフの横には男性が座り、介添えの人がシェフに説明した後、鶏を渡しサクリフィスをします。

これで儀式は終了で、このことをお嫁さんの家に行き報告してから元の場所にもどり、また待つこと1時間、そのうちに7~8人の女性が手に大きなタライや大きな皿を頭に載せてやってきました。大きなタライの中にはリグラ(炊き込みご飯)が山盛りに入っており、大皿にはポテトフライ、鳥のから揚げ、ザムネ(ネレのみを茹でたもの)、ゴンレ(甘くないヨウカン状の物)、エピナ煮、トー(ミレットなどのヨウカン状の物)、などのブルキナファソの郷土料理が山盛りになっています。

女性たちは手際良く配り、一行はおいしい料理に舌鼓を打ち、やがて日が傾いて辺りは少し涼しくなってきました。やがてもうそろそろ新郎新婦のお出ましかと思っていると、料理を運んできた女性たちがお客さんの持ち物をもって逃げだしました。親爺はこれは大事件と思いきや、取ったほうも取られたほうも笑っているではありませんか、後で話を聞くと取られた人は返してもらうときにお金をあげなければならず、お金は新郎新婦への力添えとなるのだそうです。また、若い女性は気に入った男性の持ち物を取り交際をするきっかけを作るという意味もあるそうです。日も暮れて、とうとう新郎新婦のお披露目は無く、結婚式までお預けだそうで、なんともアフリカらしいユーモアのある儀式ではありませんか。

このような儀式がいつまでもブルキナファソに残っていれば良いなと思うのは先進国から来た者のエゴでございましょうか。

無い生活

2008-03-01 | Weblog
3月3日夜9時放映された「明日のために・・・今」で今回のブルキナファソの様子が少しでも多くの方々に伝われば良いと思うことは、日本は何でもあるのが当たり前の生活、でブルキナファソは何にも無い生活ですがメンタリティの面ではこれが逆転するのです。たとえば生活の面など、電気がある生活の中でこちら首都ワガドゥグは今、日中10時間も停電しても人々はあまり動揺しませんがこと日本だったらもうパニックでしょう?。こんな日がもう3日も続いているのです。ちょうど親爺がまだ子供のころは日本もこんな世界でした。だからどうだ、ということは無いのですが、無い生活を思い心に何かが芽生える人は、まだまだどうして捨てたもんじゃないですな~。