どこの国でも夕暮れのホッとタイムがあるように、ここブルキナファソにも一日の疲れを癒す時間があります。陽も落ちて午後8時くらいになると道端のいたる所にあるMaquis(小さなレストラン)には多くの人が一日の疲れを癒すために利用します。プラスチックテーブルにビールや清涼飲料水、同じく道端には、ヤギ肉の串焼きや鳥の丸焼きなどの露店が出ておいしそうな匂いを漂わせています。
親爺はこのような雰囲気が好きで、暑くて寝苦しい時などは近くのMaquisに行きまして、冷た~いビールと串焼きを5~6本注文し、まずはコップのビールを一息にのどの流し込んでホッと一息、串焼きを頬張り、道路を行き交う人の姿を見ながら寛ぐこのひと時は何とも言えないブルキナファソの風情があります。ブルキナファソの人たちはあまり明るいところで飲むことは好まないようで暗いところで静かにチビチビと1本のビールを長時間賭けて飲みます。私の考えではビールという飲み物は冷えていなければウマノションベンと同じだと思っていますので、温まらないうちに飲んでしまうのですが。

暫しブルキナファソの風情を堪能していますと、隣にすわっている人が「ヒーホー」などと声をかけてきます。親爺は聞こえないふりをしていますとまたもや「ヒーホー」。「ヒーホー」はブルキナ流発音の中国語で「ニーハオ」なのです。ブルキナファソの人たちは東洋人は皆同じ顔に見えるようで中国も日本も韓国も同じなのです。決して悪気があって言っているのではないのですが、大和魂を貫いている親爺にとってはあまりうれしい挨拶ではありませんので、一応苦笑しながらも同じ発音で「ひーほー」と返事をしてあげます。すると暗いので顔はほとんど見えませんが白い歯だけが浮き上がり、この人は嬉しそうに笑っているのだなと親爺は確認できるのです。隣の人がすかさず「貴方は中国人か」と聞くので親爺は中国人ではなく日本人だということを告げると、「そうか、そうか、それじゃジャッキーチェンは日本人か。」と聞くのでジャッキーチェンは香港で日本人じゃないということを説明すると、「日本は仕事がたくさんあるだろ、日本に行って仕事をしておかねをもうけて来たい。」と言うので、一緒にいくのは良いけど行くときのお金はあるかと聞くともちろん無いし、言葉の問題などはあまり考えてないようです。彼はまた再び興味深げに日本と中国は言葉が違うのかとかいろいろと聞いてくるので日本はかつて昔は中国(清国)と戦争をして勝ったとか、今、中国の自動車の技術やエレクトリックの技術は日本、から取り入れている、とか、オリンピックの柔道は日本人が編み出したなどの自慢話を延々としているうちに、話が弾んで物の値段の話とか、自殺者や殺人事件、物価や教育の話をすると、彼はとても信じられないと言います。
親爺は自慢話をしているうちに、だんだん、自慢話ではなくなっているのに気づき、隣の人も日本で暮らすことは大変なことだと逆に同情される結果と相なってしまいました。
日本から見れば、お金も無い、仕事も無い、無い無い尽くしのこの国でも人々はそれなりに現実を享受しながら、新しいものを知ったり、手に入れたときの喜びは、それは、それは大きいものがあるように思います。それとは逆に、今の日本は有るのが当たり前の現実の中で無くなったときの失望はブルキナファソの人の何倍にもなるような気もします。
親爺はこのような雰囲気が好きで、暑くて寝苦しい時などは近くのMaquisに行きまして、冷た~いビールと串焼きを5~6本注文し、まずはコップのビールを一息にのどの流し込んでホッと一息、串焼きを頬張り、道路を行き交う人の姿を見ながら寛ぐこのひと時は何とも言えないブルキナファソの風情があります。ブルキナファソの人たちはあまり明るいところで飲むことは好まないようで暗いところで静かにチビチビと1本のビールを長時間賭けて飲みます。私の考えではビールという飲み物は冷えていなければウマノションベンと同じだと思っていますので、温まらないうちに飲んでしまうのですが。

暫しブルキナファソの風情を堪能していますと、隣にすわっている人が「ヒーホー」などと声をかけてきます。親爺は聞こえないふりをしていますとまたもや「ヒーホー」。「ヒーホー」はブルキナ流発音の中国語で「ニーハオ」なのです。ブルキナファソの人たちは東洋人は皆同じ顔に見えるようで中国も日本も韓国も同じなのです。決して悪気があって言っているのではないのですが、大和魂を貫いている親爺にとってはあまりうれしい挨拶ではありませんので、一応苦笑しながらも同じ発音で「ひーほー」と返事をしてあげます。すると暗いので顔はほとんど見えませんが白い歯だけが浮き上がり、この人は嬉しそうに笑っているのだなと親爺は確認できるのです。隣の人がすかさず「貴方は中国人か」と聞くので親爺は中国人ではなく日本人だということを告げると、「そうか、そうか、それじゃジャッキーチェンは日本人か。」と聞くのでジャッキーチェンは香港で日本人じゃないということを説明すると、「日本は仕事がたくさんあるだろ、日本に行って仕事をしておかねをもうけて来たい。」と言うので、一緒にいくのは良いけど行くときのお金はあるかと聞くともちろん無いし、言葉の問題などはあまり考えてないようです。彼はまた再び興味深げに日本と中国は言葉が違うのかとかいろいろと聞いてくるので日本はかつて昔は中国(清国)と戦争をして勝ったとか、今、中国の自動車の技術やエレクトリックの技術は日本、から取り入れている、とか、オリンピックの柔道は日本人が編み出したなどの自慢話を延々としているうちに、話が弾んで物の値段の話とか、自殺者や殺人事件、物価や教育の話をすると、彼はとても信じられないと言います。
親爺は自慢話をしているうちに、だんだん、自慢話ではなくなっているのに気づき、隣の人も日本で暮らすことは大変なことだと逆に同情される結果と相なってしまいました。
日本から見れば、お金も無い、仕事も無い、無い無い尽くしのこの国でも人々はそれなりに現実を享受しながら、新しいものを知ったり、手に入れたときの喜びは、それは、それは大きいものがあるように思います。それとは逆に、今の日本は有るのが当たり前の現実の中で無くなったときの失望はブルキナファソの人の何倍にもなるような気もします。