西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

コムシルガ村のシェフ

2009-02-10 | Weblog
お久しぶりでございます。

最近まで日本から沢山の人が訪れその方々への応対で右往左往しておりました。

元来、親爺は要領が余り良くないほうなので、というよりすでにブルキナファソに染まってしまったのかも知れませんが日本から来る方々がまるで働き蜂のように見えてしまいます。

そのようなことを言っている私も嘗てはそうだったのですが。

少なくとも高い経済の国や世界で生活するには時間や空間を圧縮する必要があるのでしょう。

私の住む首都ワガドゥグから南に20キロくらいの所ににコムシルガという村があります。

その村にはシェフ(酋長)という方がいまして村の人たちの暮らしの安定を図っているのです。

それぞれの家庭の問題や集落の問題、それから部族の問題などで解決できない事をシェフに相談し問題を収めるのです。

シェフの制度はブルキナファソでは公に認められている地位ですが政治的には市長や町長などが行政を司っているので直接行政には加わりませんが村人からの情報が逐一報告されるために行政にとってもとても大切な諮問機関なのです。

シェフは世襲制で長男だけが代々受け継ぎます役職の報酬はありませんので他の勤めをしながら村のシェフをしていることも稀にありますが基本的には訪問の際に各自が持ち寄る供物がシェフの収入ということになります。

シェフには家族のシェフ、集落のシェフ、圏のシェフ、部族のシェフという位置づけがありましてそれぞれに行われる慶弔や祭事を取り仕切るときなどは長老達を側近に置きいろいろな判断を下すのです。

コムシルガのシェフは圏のシェフなので36の集落のシェフを統括しています。

 日本からの訪問の方があると村の様子を見ることも兼ねて時々シェフの所に行きお目通りを願いますがその際にも他の村のシェフや行政の人、村の人々がひっきりなしに訪問しシェフという仕事もけっして楽な仕事ではないと思います。

シェフにお目通りを願うには基本的にまず離れたところで履物や帽子を取りモシ族では特に独特の仕来りがありシェフの前に膝まづき手を小刻みに動かして敬意を払う仕草をします。

そしてシェフの側近の人に理由を説明し、側近がシェフに伝えシェフが承諾すると側近の人に供物を渡し、シェフがお礼を言いそれから直接会話が許されるのです。

話が終わり帰るまでは地べたに膝まづいたまま立ち上がることは許されません。

 親爺は日本の戦国時代でも見ているような錯覚に陥りましてなんとも義理堅い人たちなのかとつくづく感心いたしました。

法治国家日本ではもう無くなってしまった社会の中での規範がまだこの国には脈々と受け継がれていることに礼節を守る事の尊さを教えてくれる世界が何時までも続けられることを願ってやみません。