西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

キース・タンガ

2012-02-28 | Weblog

首都ワガドゥグから車で約1時間のところにキース・タンガという山があります。

ある日、親爺はお友達の方々と共にキース・タンガにピクニックに参りました。

山といっても日本にある山のようではなく、平地に置かれている巨大な岩といった感じです。

ここはまだ地元の人しか知らない場所なので道の途中からは原野を行かなければなりません。

しかし、ちょっとした冒険旅行のような気分になります。

やっと山の麓までたどり着きそこからは歩いて上りますが、山肌が一面大きな滑り台のようになっていますのでとても上りやすく、高さも約30メートルなので簡単に登れてしまいます。

頂上に登るとサバンナが一望でき360度のパノラマが広がります。

山の片側には切り立った岩がありロッククライミングが出来ます。

親爺は、いつかこの山で冷た~いビールが飲める茶屋を開店しようと密かに目論むのでした。


マムスグリ(ごめんなさい)

2012-02-23 | Weblog

モシ族の言葉に「マムスグリ」という言葉があります。

 

日本語は「ごめんなさい」ということばです。

すなわち許しを請うことなのでしょうかな。

「マムスグリ」は「マム(私の)」と「スグリ(屋根)」という意味です。

そこで親爺は友人に何故許しを請うことが私の屋根なのかと聞きました。

友人曰く、

家には必ず屋根があり、屋根があるから人は安心して住むことが出来るのです。

「あなたは私の屋根」と言うことで、「あなたの屋根の下で私を安心させてください」

という意味なのだそうです。

親爺はそれを聞いてなんとユーモアのある穏やかな謝り方なのかと感心したのでございます。

 

 

 


コンビシリ村のこうもり猟

2012-02-17 | Weblog

首都ワガドゥグから南のガーナ方面に行く約50キロのところにコンビシリという村があります。

コンビシリ村は大きな市場があり、3日毎の市場が立つ日には多くの人達が農産物や雑貨品の売買で賑わいます。

とある日、友達から年に一回おこなわれるコウモリ猟を見に行かないかと誘われました。

親爺はかつて日本にいた頃、親爺の父上が趣味で狩猟をしていましたのでキジや鴨猟に連れて行ってもらったことはありますが、さてコウモリ猟とはどんなものやら・・・と一緒に行くことにしました。

朝7時にワガドゥグを出発して「ぶるきな親爺号」のプジョー205は心地よいエンジン音を発して目的地に向かうこと約40分でコンビシリに到着、そこからまた道なき道を走ること約30分、空を視ると無数のコウモリが飛び交っています。

友達も自分で持ってきた鉄砲に弾を込めて準備を始めました。

まもなく大きな木の所に行き車を降りて少し歩くと、そこにはコウモリ達のコロニーがあるらしく空一面にコウモリが飛散しています。


親爺はそのコウモリの数に圧倒されながら村人の方を見ると、子供たちは木の枝とゴムで作ったパチンコを手に持ち、大人は猟銃を手に空を仰いでいます。

コウモリは夜に活動する動物ですので、日中は木にぶら下がって眠っている習性なのか、あまり長い間飛んでいることが出来ず、自分の住処に戻ってきます。

そこにある大きな木がコウモリの住処らしく、飛び疲れて戻って木に止まったところを大勢の人が、そこを目掛けて一斉に狙い撃ちにします。

パパパパーン!と言う音と同時に10匹ほどのコウモリが木から落ちて皆がそこに駆け寄り、しとめた獲物を嬉しそうに手にしています。

そうして夕暮れまで続いたコウモリ猟も終わり、持ち帰った獲物を料理します。

コウモリの姿煮。

皆、美味しそうに羽や頭など、余すところが無いくらい綺麗に食べてしまいます。

もちろん親爺にも振舞われました。

味はというと何と例えようも無く「コウモリ味」ですかな。

もう一つ食えといわれても御免コウモリます。


KABANE小学校

2012-02-11 | Weblog

ここはコムシルガ県ナグレ地区。

首都ワガドゥグとの県境です。

現在、ワガドゥグは発展に伴って居住人口が増え、それと共に土地の価格や賃貸価格が値上がりして低所得層はだんだん外へ外へと押し出されて行っています。

そのような現状の中にあるのがナグレ地区なのです。

地区の住民に話を聞くと、区画整理されて電気や水道が通るのはいいけど、そうなると多くの人が立ち退かなくてはならなくなるのでこのままで良いと言います。

この地区には多くのその日暮の人達が肩を寄せ合って暮らしているのです。

カバネ小学校はそのナグレ地区にある小学校です。

以前は多くの子供たちが学校に行けず遊びまわっていましたが、それに見かねた青年が友人と共にボランティアで始めたのがカバネ小学校です。

はじめてそこを訪れたとき、私は目を疑いました。なんと約500人の子供たちが親御さんと共に建てた筵と木の枝で作った校舎の中で勉強していたのです。

あまりにもすごい光景に驚くと同時に子供たちが目を輝かせて勉強している姿を見て心を打たれました。

それから、いつも訪れては何とかして子供たちが安心して勉強できる環境にと心を痛めながらも学校を建てあげるだけの余裕の無い私は子供たちの写真をとっては日本に送っていました。

それからしばらくして日本から連絡があり、スポンサーが見つかり校舎を提供してくれるということでした。

私は子供たちの思いが遥か遠い日本に通じたことにとても感激しました。

それから約1年が経ち、新しい学校が完成し今約1,500人の生徒が勉強できるマンモス小学校になったのです。

私は開校式に行き、子供たちの笑顔を見るとき、きっと将来はこの学校から巣立った子供がブルキナファソのため、そして社会のために貢献していくことを考えると何故か微笑んでしまうと同時に争いや偽りの無い世界にならないようにと老婆心ならぬ老爺心を抱く親爺なのです。

 

 

 


ブルキナファソから発信

2012-02-02 | Weblog

皆さんお久しぶりでございまする。

ぶるきな親爺は健在です。

気がつけば今年、ブルキナファソ在住9年目になり、来年に向けていろいろと思いを馳せるこのごろです。

これまでなんとなく過ごしてきた親爺も今年はチョッと奮起しようと思っておりまする。

と申しますのは、今年2月23日にテレビ出演をするにいたりました。

 

TBSテレビ・スパモク「世界の果ての日本人・ここが私の理想郷」午後7:00~放送

これまでブログに紹介できなかったことを凝縮してお知らせいたしまする。

ご期待あれ。