西アフリカぶるきなふぁそ親爺暮らし

2003年、50歳にて西アフリカのブルキナファソに渡りボランティア。歳月を経ていまではすっかりブルキナ親爺になりました。

中年派遣員奮闘記(その8)

2015-12-29 | 奮闘記

NO.8[現地STAFF]

荷物も無事到着し、日本の本部より持って行くように依頼されたプリンターも壊れている様子もなく、やっとこれで一安心、夜は現地スタッフの顔合わせ並びにミーティングです。

午後7時頃でしょうかタプソバさん夫妻が訪れました。タプソバさんは自営で看板製作をする仕事の傍ら村などへ行くときはドライバーとして、またN夫人には色々な細かいサポート面でお手伝い頂いております。

タプソバさんは一見クールな印象ですが話をするととても明るく賢明で責任感のある人です。そしてN夫人は以前派遣員としてブルキナファソにおいでになり、フランス語、英語、共に堪能でアフリカは勿論オーストラリアやイギリスなど在留経験があり文字通り国際派の女性です。

縁あってタプソバさんと結婚され、お二人にはEちゃんという生後10ヶ月程の女の子がおります。この子がとても可愛くて何とも言えない愛らしい笑みをこぼします。

Sさんが「Eちゃん、こっちへおいで。」と手を差し出すと、ちょうど人見知りの頃なのか見る見るうちに眉が険しくなりSさんの顔を凝視すると、「おいおい、そんなに睨むなよー。」N夫人が「女の人には特にだめなの。」と言うとSさんが「HAHAHAそれは良い事だぞー。」などと話をしているうちにDr.イブが到着しました。

身長190センチ位でSさんより大柄な巨体で、ワガドゥグ大学で教壇に立つ傍らスタッフとしてお手伝い頂いております。とても早口でユーモアがあり、強めのパルファムの香りがインテリジェンス且つジェントリィーなイメージを演出しております。

そして最後に現れしはDr.ディアノウ、氏は国の土壌の研究所に勤務される傍らスタッフとして活動をサポートして頂いております。少し小柄ですが渋い面持ちで落ち着きがあり、眼鏡をかけた顔を少し斜に構え俯き気味に眼光鋭く話をする様子は、いかにも百戦錬磨の智将を思わせる雰囲気があります。

と言う事で役者もそろい近くの「CAFEINN」にて食事をする事になりました。

向かい側に鳥や兎や魚料理のテイクアウトの店があり大勢の人がそれを求めに集まっております。私たちの今夜のメニューはどうやら鳥と魚料理のようで、2~30分すると料理が出来上がりテーブルの上がとても賑やかで、良く見ると鶏肉のグリルをさらに玉ネギ、トマトの入ったブイヨンベースのソースを加えソテーしたものと、カプテンという50㎝ほどの大きな淡水魚を同様のソースで煮たものに生野菜が乗っていて食欲をそそるとても良い香りです。

まずは鶏から食してみると肉は歯ごたえがあり日本の地鶏の様で、噛んでいるとジワジワッと鶏の旨みとソースそして野菜の甘さが絡み合い見事なハーモニーを醸し出します。また魚の味は淡白で白身の肉質で癖がなく、適度の油があり軟らかいので口の中で噛まずともトロッと蕩ける様な食感です。

これをビールで喉に一気に流し込むと、これらの味をビールの麦汁と泡がいっそう引きたて味は更に倍加します。ここでまた新たな発見をしました。まずビールですが日本ですと栓は既に取って持ってきますが、こちらでは栓は抜かずテーブルの上で抜きます。

そして自分のコップに注ぐとまた栓を上にかぶせます。何でそんな事をするのか不思議に思いましたが、こちらは蝿が多いので蓋をしないとビンの中に入ってしまうのです。また食べるときはスプーンやフォークは使わず普通は手で食べ、これがなかなか技術を伴い口に入れる時に慣れないとこぼれてしまいます。

日本でもみんなで鍋を囲んで突っつきますが、そんな雰囲気で初対面でも料理が取り持つ縁とでも言いましょうか、なんとなく親近感が増してきます。おいしい料理に舌鼓を打ちながら会話も進み和やかなうちにミーティングも終了し、皆さん満足げに帰路に向かわれました。


次回をお楽しみに・・・・


中年派遣員奮闘記(その7)

2015-12-28 | 奮闘記

NO.7[キングオフキングス]

Sさんがインターネットカフェでの報告を終えて、前のテラスにて4人位で話をしておりますと斜め前の路地から一人の男が現れました。

足がちょっと不自由なのか、上半身を左右に揺らし何やら大きな声で叫びながら近づいてきます。彼はラスタ風の短めのドレッドヘアで痩せていて大きめの口からは歯が何本か抜けているのが見受けられます。

「カカーオー!、キングオフキングス!!」とちょっとかすれた声でSさんと恒例の挨拶である握手指パッチンを2回3回と繰り返しております。

そのうちSさんが顔をしかめながら「イテテ!コイツの握手はいつも痛くてー!、コイツは酒が好きで酔っ払うと何時もうるさいンですよ。」と言うとまた大声で「カッカオー! ビックビックラスター! キングオフキングス! WAHAHAHA!!」とより大きな口で大笑いしながらSさんに握手指パッチンを繰り返し、その度にSさんの表情がゆがみます。

彼の名前は「ワゾタ」ブルキナファソでも指折りの太鼓(ジェンベ)のプレイヤーで良くコンサートにも出ているようです。手の平を見せてもらうと殆ど全部が硬い靴底の様な状態で硬くなっていて、この手でジェンベのように叩かれたらかなりの衝撃かと思われます。

現地語のモレ語で何を言っているのかは解りませんが殆ど一人で語り続け、時々ラミンが涙を流しながら笑うので、それを見てこちらも可笑しくなり笑ってしまいます。

「ワゾタは太ったお尻の大き~い女性が好きなんだ。」と言うと、ちょっと恥ずかしそうな仕草で「NO~~~」とニヤニヤと笑みを浮かべ、なんとなく憎めない人柄で皆の人気者のようです。


次回をお楽しみに・・・・


中年派遣員奮闘記(その6)

2015-12-27 | 奮闘記

NO.6[ぺティデジュネ・朝食]

ワガドゥグの朝は清清しく、ここの人たちは皆早起きで6時頃は通りのバイクの音や、近くの家からラジオ放送が聞こえています、暫くの間まだ昨日までの疲れが残っているせいか微睡でいました。

眠さが心地よく感じられ薄目を開けて横を見ると昨夜の激戦の跡の蚊が壁に2匹ほど血にまみれて張り付いております。

「6箇所も刺しやがってこれでマラリアになったら最悪だぞ~。」などと寝惚け声でつぶやきながら部屋を出ると、Sさんも丁度起きて来て「おはようございます、昨日はお疲れだったでしょう。昨日は眠れましたか?」という爽やかな問いかけに思わず「おはようございます。はい良く眠れました。」と答えてしまいました。

少ししてSさんから今日の日程を聞き、何か朝食をという事で外に出ました。朝の通りは昨日の夜と風景が変わり皆活動的で、なんとなくアフリカの人達の活気が感じられ、通りを歩いて行くと道端にある屋台風の椅子に人が何人か座っています。

Sさんがそこでサンドイッチでも食べますか、と言うので早速その椅子へ腰を卸しテーブルを見ると、沢山の蝿が群がっているではありませんか。いくら追い払っても蝿の一匹一匹がそこにいるのが当然の様に馴れなれしい有様で、周りの人達もあまり気にしていない様。

日本でもそうですが屋台と言うのは一般庶民が気軽に利用出来るというのが良いところ、Sさんが「カフェオレ飲んで見ますか、ちょっと日本では味わえないですよ。」という事でSさんにお願いして頼んで頂きました。

まずカップが置かれ、コーヒーカップでは無くアルミニュウム製の給食のカップに似た形の器に練乳を並々と入れ、そこにネスカフェを小さじでサラッと入れ、そして熱いお湯を注ぎカップの上に蝿よけの皿をかぶせて出来上がり。口に含むとコーヒーの味より練乳の方の甘さと香りが先に来てホットコーヒー牛乳の様です。

次はサンドイッチで、屋台のおっさんが長いフランスパンを片手に持って器用にナイフで縦に切り込みを入れ、細切にした玉ねぎと卵を混ぜフライパンに載せてマギースープの粉末を少々加え炒めてパンに挟むと、これが結構美味いのです。

蝿もこの甘いカフェオレが大好きと見えて蓋代わりの皿をとって飲もうとすると空かさず飛んで来ます。そのうち蝿と人間のカフェオレ争奪戦の様相になって来て敵は大群、こちらは二人。最初は追い払ってハエが逃げる時にカフェオレを飲むという頭脳プレイで交わしていましたが、蝿も学習能力があるのか戻って来る速度がだんだん速くなっているように感じたのは気のせいでしょうか。

朝食も済み、昨日行ったホテルの側の所でSさんはインターネットカフェで本部との交信、私は昨日知り合ったラミンと片言の英語でボディーラングウェッジを交えながらコミュニケーションを図っておりました。

ブルキナファソでも多くの日本製の車やバイクがたくさん走っていてカメラ、パソコンなどの日本製品の話をしているうちにラミンの人柄がだんだん解って来ました。彼は自尊心が強く日本に興味を持ち、ほかの物売りの人とはちょっと違う個性を持っていて、「昨日の荷物の事は心配ない。また俺が一緒に空港へ行ってあげるよ。今日の飛行機で必ず来るから大丈夫安心しなさい。」などと話をしていると、ふと日本にいる時にブルキナファソの人は穏やかだと聞いていた事が思い出されます。


次回をお楽しみに・・・・


中年派遣員奮闘記(その5)

2015-12-26 | 奮闘記

NO.5[駐在事務所]

空港から乗り合いタクシーで10分位行った所にサマンデンと言う地区があります。市内の中心は狭い所に沢山の住居や店が雑居し、この辺りは住宅も庭があり商店街があって閑静な住宅街(日本とはちょっと違いますが)、Sさん曰く「ワガドゥグの杉並区」という事で、その一角に事務所兼住宅が在ります。

薄いオレンジ色のコンクリートフェンスに囲まれ鉄の扉がいかにも堅固に中の建物を包み、その扉を押すとギギギギーと鉄とコンクリートの擦れる不協和音を奏でます。もしかしてチャイムも兼ねているのでしょうか。

向かって右が城主ムッシュ・バルコマのメゾン、そして左側が私達の住居で、着いた時が夜でしたのであたりは暗く、そして古めかしい建物があり、その時の心境はディズニー、いや浅草花屋敷の恐怖の館にでも入るかの様にドキドキワクワクしながら事務所の扉に近づくと壁の上で何か動いております。壁面をチョロチョロと、恐る恐る凝視して見ると何とトカゲとヤモリではありませんか!

私はこのタイプが非常に苦手で一瞬後ずさりしましたが、アフリカの環境に順応しているSさんは何事も無いかの様に扉の鍵を開けています。周りを注意しながら部屋に入ると薄暗い電球に浮かぶ白い壁の部屋、そして中央には白いプラスチック製の丸テーブルに同様の椅子、奥にはご当地風のごつい応接椅子があり、天井にはヤモリが1匹。

ここではごく普通の事も初めて経験する世界は何事も刺激的に感じられます。「この部屋をお使いください。」とSさんに促され部屋に入ると8畳間位の広さで目も慣れて来たせいか、思っていたよりは良い感じです。

居間兼オフィスで少し寛いだ後、食事をして無かったので近くのレストランで食事をする事にしました。「CAFEINN」と言って道路沿いのアフリカ風カフェテラスの店は、大きい交差点の近くで夜も人や乗り物が行き交いとても賑やかで、FLAGというビールを頼みSさんに注ごうとすると「ブルキナでは自分の飲み物は自分で注ぎます。知っておいた方が良いですよ。」と言われ、周りを見ると皆その様でした。

ここでまた日本との習慣の違いを実感し、疲れもあり気温も高いせいか1本のビールがとても強く飲み終える頃は、かなり酔いが廻り目も半開き状態になり、千鳥足で事務所に引き上げました。

さて、そこからまた一難去ってまた一難、荷物が届かなかったのでシャワーをするにもタオルは無いし着替えも無く2日前のまま、タオルはSさんに借りてとりあえず2日分の垢を落としベッドに転がり込みました。ところが暑苦しくなかなか寝付けず、ウトウトしていると足のほうが痒くなって耳元でプーンという小さな音が聞こえます。

ブルキナファソはハマダラ蚊によるマラリア感染が多いし、Sさんも以前罹ったと聞いていたので、これは一大事と電気を点け蚊の捜索と駆除に執りかかり4~5匹は撃退したでしょうか。敵もさる者で電気を点けるといなくなり消すと現れ、蚊との攻防を繰り返すうちに寝てしまったらしく、いつの間にか朝になっていました。

アフリカ・ブルキナファソの一日は暑く、そして私にとってとても過酷で、これまで日本の生活にどっぷりと浸りきっていた私は、これから3年間生活をすると思うととても気が重くなってきます。と同時に大変な所に来てしまったなと思ったのは正直な心境かも知れません。


次回をお楽しみに・・・・


中年派遣員奮闘記(その4)

2015-12-22 | 奮闘記

NO.4[はじめて観る首都ワガドゥグ]

どこの街にもその街の匂いがあるもので、北京へ行ったときは中華料理の香辛料の香り、ハワイは潮風とサンオイル、ロスアンジェルスはアスファルトとGRASSの香り、とそれぞれに特色があるものです。

それではワガドゥグの香りは、と目を瞑り胸いっぱいに何回か深呼吸してみると1回目は自動車やバイクの排気ガスの香り、2回目は汚水の香り、3回目は近くにいたお兄さんの汗とワキガの香りでした。

Sさんに空港での事情を説明すると空港の近くのホテル・イビという側に民芸品やインターネットカフェなどの在る賑やかな所があります。

そこには何人かの人達がいて皆道路を挟み、向かいのホテルの方を向いて団欒している様で、風体はラスタマン風の人、本や雑誌を抱えている人、新聞の一点をじっと見詰めている人、長い髭のイスラム風の人、だんだん近くになるに連れその人達がこっちを見ております。

ウワー前を通るのはいやだなーと思い、なるべく視線を避けてやり過ごそうとSさんの体に身を潜めるように歩いて行くと、何とSさんは加速しながらそちらに方に近づいて行くではありませんか。

側に行くと皆ニコニコ「カカオー、カカオー」と言って握手指パッチンをしております。

この国の言葉で「カカオー」が挨拶と思い「カカオ~」と小さく震える声で握手をすると笑顔で「アンシャンテ、コマサヴァ、ボンナリヴェ!」と、とても気持ちよく迎えてくれました。

どうやらみんなSさんの友達だったみたいで、後でよく考えてみると挨拶と思っていた「カカオー」はSさんの名前「タカオ」だと判明しました。中でもちょっと小柄でフランクな感じの人で名前はラミン。

Sさんが何やら英語で話をすると、もう一度確認に空港へ行って見て下さい、という事でラミンと二人して空港に向かいました。空港までは1キロ位でしたが、クタクタに疲れ果てた私にとってはとても辛い道程です。

ところがラミンはとても歩くのが早く、無言で歩く私に気を使ってか「俺は何キロ歩いても疲れないよ」、とか「ここからマラソンするか」とか気の遠くなるような言葉を投げかけてきます。地元の利を生かし細い裏道をスイスイとすり抜けていくラミンの後を汚水の小川を避けながら、もつれる足を最大限に動かして必死で追いかけました。

再び空港へ戻り職員の説明を聞き明日の飛行機で着くとの事でひと安心、また地獄の道程をどうにか引き返して来たのが午後7時ごろでした。

それからSさんと共に駐在事務所に乗り合いタクシーに乗り行く事になり、このタクシーがまたまた凄く古い型のベンツが多くて色は薄緑、艶は無くガラスはひび割れ、まるでシーラカンスのような容姿です。ディーゼルエンジンなので真っ黒い煙を出してガラガラと勇ましい機械音を立てて走ります。

日本のタクシーは普通メーター料金ですが、ブルキナ の乗り合いタクシーはルート内であれば200フランセファー(4〇円)で、電車やバスが無いのでこの乗り合いタクシーが市民の足となり大活躍していて、乗車定員が無く何人乗っても大丈夫で多い時には7人も乗ります。

まあ日本の電車の通勤ラッシュも同じようなものかもしれません。

と言うことで幾多の難関を乗り越えて無事に駐在事務所に到着出来たわけです。



次回をお楽しみに・・・・


中年派遣員奮闘記(その3)

2015-12-20 | 奮闘記

NO.3[ロビーでの出来事]

午後の3時ブルキナの暑さは日本とは異質です。日本に比べ湿度が無いせいか、とにかく太陽光線が暑く日陰に行くととても涼しい。早く外に出て現地オフィスのSさんと会わなければ、と逸る気持ちを抑えながら荷物の受け渡しを待っていました。Sさんは日本人で私と業務を引き継ぐまで滞在されている方です。

ところが待てども一向に荷物が出てきません。やがて到着の時の賑わいも無くなりとうとう機械も止まってしまいました。頭の中はパニック状態、呆然としていると荷物係りの人なのか、何かこちらに向かって話しかけているので「私の荷物がない」と言うと事務所に連れて行ってくれ、そこにはベージュ色の税関の制服を着た大柄の人で金縁の眼鏡をかけ、髭面でプロレスラー・ブッチャーの様な強面の人が座っておりこちらを見ております。

そこでまた恐る恐る消え入りそうな、か細い声で「私の荷物がない」と言うと以外に優しく荷物のチケット見てパソコンで調べてくれた結果、シャルル・ドゴール空港にあることがわかりました。どうやら成田でワガドゥグ迄と言わなくてはいけなかったようです。

明日取りに来てくれと言われ、仕方なくすごすごとゲートを出ながら、Sさんがさぞかし心配しているだろうと思い周りを見ると、Sさんらしき姿は見受けられません、きっと待ちくたびれて帰ってしまったのか、それともあたりを探し回っているのか、などと最悪の事態を考えながら30分くらいじっと待っていると、ふと事務所の電話番号のメモがあったのを思い出し電話ボックスを探しましたが、それらしき物はありません。

なにやら電話の絵が描いてある小屋を覗いて見ると、幾つかの小さな部屋があり電話らしき物があります。その時ふと脳裏に、きっとここはブルキナファソの如何わしい出会い系のダイヤルの電話小屋なのかと思い、小屋の中にいた女の人に片言の英語で聞くと解からないようすで、仕方なく汗だくで身振り手振りで説明をするとムッとした顔で電話のほうを指差しています。

部屋に入ると電話は普通のものでお金を入れるところは無く、とりあえず勇気を振り絞って「お願いだから電話に出てくれー!」と念じながらダイヤルすると「アロー」とSさんらしき声、「今着きました~!」というと「あれ、もう着いたのですか?」と気軽の口調でおっしゃる。「今行きますから待っていて下さい。」

アア~!良かった~!と気の遠くなるような安心感を覚え外へ出ると、 険悪顔で電話屋の娘が目を吊り上げて追い駆けて来て「モネー!モネー!」うっかり電話代を払うのを忘れていました。

それからSさんが来るまでの40分の時間が不安感からか何倍にも感じられました。何しろ初めて見る世界で右も左もわからず、猛暑の中タクシーの運転手は集まってくるワ、物売りは寄って来るワ、まるで小鹿?に群がるハイエナのごとく・・・。

日本から来るとあまりにも景色が違うので、はじめは戸惑ってしまいます。Sさんの姿が見えたときは遭難者が救助隊に発見されたかのような思いでSさんの大柄な姿がより雄雄しく見えました。Sさんに聞くと、どうやら飛行機はいつも夜8時ごろ着くようで、まさか早い時間に着くとは思ってなかったようです。ブルキナファソまでどうにか一人で来られたという満足感と安堵感は、これまでの道中で何物にも例え様のないものでした。


次回をお楽しみに・・・・


中年派遣員奮闘記(その2)

2015-12-19 | 奮闘記

NO.2[ブルキナに着陸]

シャルル・ドゴール空港からの機中で、日本人の女性の方に出会いました、彼女は国際協力機構のボランティアでブルキナファソに2年間活動をしていたそうで、私もこれからの事に不安がありましたので色々とブルキナの事を聞きながらふと外を見ると、眼下に白い海が遥か遠方まで広がっています。

彼女に「やはり南国の海はきれいですねー」、といったら困惑顔で微笑みながら、「それサハラ砂漠です」日本の海岸しか見た事のない私にとって、こんなに広いものとは、私の頭脳は理解できなかったようです。

機中約5時間後、眼下にワガドゥグの市内が見えて来て、これまでの苦悩?は吹き飛んで体に気力が満ちて来ました。草原の中に集落が点在し中心部はとても簡素で東京や、パリのように大きな建物はなく平面的な様子です。

ここでこれから三年間にどの様な出来事があるのか、この国の人達は私を受け入れてくれるだろうか、などとこれからのことを思うと複雑な心境になり、それまであまり外国に行ったことがない私にとって月に軟着陸でもするかの思いです。飛行機は旋回しながら徐々に高度を下げ着陸態勢に入り、まもなくワガドゥグ空港に滑り込みました。

ブルキナファソでの第一歩、タラップを降りたとき「私にとっては小さな一歩だがブルキナファソにとっては大きな一歩です。」(大小逆ですが)などと独り言をつぶやきながら、疲れが出たのか脚がもつれ、やっとの思いでロビーに辿り着きました。

 

次回をお楽しみに・・・・


中年派遣員奮闘記

2015-12-17 | 奮闘記

「ブルキナファソ親爺暮らし」

(はじめに)

ブルキナファソ。人に言うとほとんどの人が国の名前とはわからないほど日本とはなじみのない国の一つです。

私は、そのブルキナファソに2003年に渡航し、10年間にわたり滞在し、NGO活動や孤児施設の建設、日本食堂「和が家」などを開設しました。そのようの生活の中でブルキナファソの人々と直接触れ合い、そして共に考え、共に暮らしたことは、私の人生にとってなにものにも換え難い体験となりました。

その十年間のいろいろな出来事をまとめ、多くの皆様に遠いアフリカにあるブルキナファソでの暮らしをお伝えしたいと思い、まとめてみました。

また、タイトル「ブルキナファソ親爺暮らし」は、人の暮らしは様々で、満足とは際限がなく、不足の生活の中に生きていくことの大変さは物事の大切さを育んで行くことは自分自身のテーマでもあります。

努力をすれば、真面目に生きればいつかは報われる。それが当り前ではあります。しかしそれが当てはまらない環境も多くあることも現実です。特に途上国と言われている国々は、生活基盤はもとより、政治、経済、医療、教育などのインフラのどれをとっても未熟であり、これからの成長も難しいうえに、国際機関の援助なしでは成り立たない国が多く、それゆえの無意味な紛争が起きていることも事実です。

私たちは、ニュースで感染症や紛争、難民などのことを知り、自分でなくて良かったと思う人も多いでしょう。しかし、それを対岸の火事として見るのではなく、これからいつどこで起こるか解からない自然、人的災害が私たちの身近に起きるとも限らないことをも踏まえて、途上国の人々の暮らしから何かヒントを得ることもあるかもしれません。

私は物書きが苦手で非常に稚拙な文脈ではありますが、自らのブルキナファソでの暮らしを連載で思いのまま書き綴ってみたいとおもいます。

次回に続く・・・お楽しみに