増えた毎日のルーチン・・
朝夕、お袋の投薬の管理は大変だ。
彼女は、飲んだことを忘れ、飲むことも忘れる。
先日、前からの習慣で服用している心臓の薬を飲んだ
ことを忘れ、私の電話で二重に飲んだことがあった。
私が電話するのも良し悪しである(笑)
せっかく電話するので、お袋に簡単なコーチングを行なう。
楽しかったことは何か?腹がたったことは何か?
それらは何が原因だったのか?どうしてそう感じたのか?
などなど、答えは同じことを繰り返すが、時々、彼女は、
「あれ、さっき私はどう答えた?本当はこうじゃったわ(笑)」
などと自分が答えたことを訂正することがあり、
観察していると実に面白い(^^)
私が行なうお袋コーチングは、彼女の気持ちを引き出し
傾聴できるので、実体の生活を感じ取ることができる。
しかし、このところの私は、
普段、他人事のように考えていた認知症は、私にとって
「自然災害のように降って湧いたこと」と思っていると
毎日、上げていたブログも気が滅入って書けなくなった。
何もかも解ったように気負った状態で書きたくなかった
のかも知れない。どこか自分に嘘があるような気がしてた。
この数日、自分を俯瞰して観るように務めていると、
昨日、ふと、こんなことが浮かんできた・・
これは自然災害でもなければ、予見できない事故でもない。
高齢者にとって、いつ発症しても不思議ではないのに、
私は現実から逃れようとしているだけではないか。
ただ、準備が足りなかっただけではないだろうか・・
私は、お袋の生活習慣をどれほど把握していたのか。
彼女が住んでいる地域性はどうなのか。
彼女の近所付合いを含め、人間関係はどうなのか。
彼女の言動や行動を注意して観ていたのか。
これらのほとんどを、私は注視していなかった。
そう思うと別居暮らしを理由に、私がお座成りにして
いた問題が、お袋が認知症になったことで浮かび
上がってきただけのことなのだ。
今更、気付いたタイミングを後悔したところで始まらない
ので、今の時点で出来る事を探して行動するだけだが、
言うほど、認知症を受け入れるのは簡単ではない。
認知症は過去のデータにより、予防法、対処法、それに
伴う考え方や接し方が、世間には有り余るほどある。
過去に培ってきた経験や知識のデータをダウンロードする
ことは間違いではないが、本当に大切なことは、私が
どうするかではなく、彼女の未来を、どうすれば楽しく
過ごせるようにできるかではないだろうか。
受け入れるということは、
「自分が」から「相手が」に変わった時かも知れない。
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