『ほめたたえよう 清いおとめ マリアを』聖エフレム原作、デルコル神父、江藤きみえ 共訳・編
◆7、救い主をもたらしたおとめ
① 典礼のことばをかりて、うたいましょう、「神のさいわいなおん母マリア、終生おとめ、主の神殿、聖霊の至聖所よ、あなただけが、よくわたしたちの主、イエズス・キリストのみ心にかなったお方であります。み民のために祈り、聖職者のためにとりなし、信心ぶかい女性のために取りついでください」。
② 「上は天に、下は地に、おお主よ、あなたの住まいは、おん父のふところに、永遠の昔から、マリアのひざの上に、ご降誕のときから」(第15篇のおりかえし)。
第1考察 一生涯のあいだずっとおとめである聖マリア
聖エフレムの聖母をほめたたえる第15篇の賛歌は「火の車」ということばで、はじまっています。
この「火の車」とは、予言者エゼキエルがみたまぼろしにもとずいたものです。すなわち、神のみいつが、火の車にすえられ、ケルビムたちの玉座にすわっておられるのを、エゼキエルはみたのです。神の玉座をささえるケルビムたちは、「火のようにかがやくもの」といわれていますが、神の玉座をささえるという光栄ある使命をまかせられても、「おそれおののきながら」ささえているのです。神がかぎりなくすぐれたみいつだからです。
これに対し、マリアは、天地万物の大王、神のかぎりないこのみいつを、したしく、み胸にだきしめて、なでてあげ、わが子と呼んでおられます。この神的コントラストをかんがえて、聖上フレムは、つぎのように歌います。
【第15篇】① 火の車〔をささえるケルビムたち〕は、おそれおののきながら、主をはこぶのに、マリアの弱いひざは、〔火である〕主をささえても、決してやきつくされることがありません。
火のかがやく天の使いたちでさえ、おそれおののきながら、主をささえているのに、このダヴィドの娘は、ご胎内にやどる主を、信頼ぶかく、ささえています。
ケルビムたちが、ふるえながら運び、セラフィムたちが、"聖なるもの!"と歌っているときでさえ、おそれおののいているお方をマリアは親しく、み胸にだきしめ、なでてあげます。
②マリア一女のなかで、忠実な、祝されたお方であるあのマリアは、清いふところに、おん子をだきしめ、〔やしない主を〕やしなっておられます。
このふしぎをだれが、いいつくすことが、できましょう?
マリアは、おとめのままみごもって、おとめのしるしは、そのままに、おん子の誕生さえも、処女をとかず、おん子をはぐくむときも、なお清く、一生涯のあいだずっと失なわず、処女を保っておりました。
◆7、救い主をもたらしたおとめ
① 典礼のことばをかりて、うたいましょう、「神のさいわいなおん母マリア、終生おとめ、主の神殿、聖霊の至聖所よ、あなただけが、よくわたしたちの主、イエズス・キリストのみ心にかなったお方であります。み民のために祈り、聖職者のためにとりなし、信心ぶかい女性のために取りついでください」。
② 「上は天に、下は地に、おお主よ、あなたの住まいは、おん父のふところに、永遠の昔から、マリアのひざの上に、ご降誕のときから」(第15篇のおりかえし)。
第1考察 一生涯のあいだずっとおとめである聖マリア
聖エフレムの聖母をほめたたえる第15篇の賛歌は「火の車」ということばで、はじまっています。
この「火の車」とは、予言者エゼキエルがみたまぼろしにもとずいたものです。すなわち、神のみいつが、火の車にすえられ、ケルビムたちの玉座にすわっておられるのを、エゼキエルはみたのです。神の玉座をささえるケルビムたちは、「火のようにかがやくもの」といわれていますが、神の玉座をささえるという光栄ある使命をまかせられても、「おそれおののきながら」ささえているのです。神がかぎりなくすぐれたみいつだからです。
これに対し、マリアは、天地万物の大王、神のかぎりないこのみいつを、したしく、み胸にだきしめて、なでてあげ、わが子と呼んでおられます。この神的コントラストをかんがえて、聖上フレムは、つぎのように歌います。
【第15篇】① 火の車〔をささえるケルビムたち〕は、おそれおののきながら、主をはこぶのに、マリアの弱いひざは、〔火である〕主をささえても、決してやきつくされることがありません。
火のかがやく天の使いたちでさえ、おそれおののきながら、主をささえているのに、このダヴィドの娘は、ご胎内にやどる主を、信頼ぶかく、ささえています。
ケルビムたちが、ふるえながら運び、セラフィムたちが、"聖なるもの!"と歌っているときでさえ、おそれおののいているお方をマリアは親しく、み胸にだきしめ、なでてあげます。
②マリア一女のなかで、忠実な、祝されたお方であるあのマリアは、清いふところに、おん子をだきしめ、〔やしない主を〕やしなっておられます。
このふしぎをだれが、いいつくすことが、できましょう?
マリアは、おとめのままみごもって、おとめのしるしは、そのままに、おん子の誕生さえも、処女をとかず、おん子をはぐくむときも、なお清く、一生涯のあいだずっと失なわず、処女を保っておりました。