『ばらの聖女 ヴィテルボの聖ローザ』企画:デルコル神父、文:江藤きみえ 20
カトリック運動を起した教皇ピオ11世は、この運動の若い女性の模範として、聖女ローザをかかげました。「聖女の魂の美しさを眺め、そのすばらしい善徳をしのび、この完全な手本にならいなさい」と教皇は呼びかけました。
ゆりのように清いローザをみつめ、わたしたちも清くなりましょう。でも世間は、たえずだらくへさそいます。
これにうち勝つため、ローザは、イエズスのみ言葉どおり、目分をすて、日々の十字架をせおって、反対も、迫害も、イエズスヘの愛のために耐えました。わたしたちは、自分と他人の救いに何をしたらいいのでしょう? 愛とぎせい心で、苦しみの十字架をになうことこそ、その道です。
家に、道に教理を教えてやまなかったローザにならうわたしたちは、まず自分が正しい信仰を守り、よい手本でまわりに信仰のあかしをしましよう。ああ、神の愛、ばらの聖女よ、この決心を助けてください。
是非、フェイスブックのカトリックグループにもお越しください。当該グループには、このブログの少なくとも倍の良質な定期投稿があります。ここと異なり、連載が途切れることもありません。
カトリック運動を起した教皇ピオ11世は、この運動の若い女性の模範として、聖女ローザをかかげました。「聖女の魂の美しさを眺め、そのすばらしい善徳をしのび、この完全な手本にならいなさい」と教皇は呼びかけました。
ゆりのように清いローザをみつめ、わたしたちも清くなりましょう。でも世間は、たえずだらくへさそいます。
これにうち勝つため、ローザは、イエズスのみ言葉どおり、目分をすて、日々の十字架をせおって、反対も、迫害も、イエズスヘの愛のために耐えました。わたしたちは、自分と他人の救いに何をしたらいいのでしょう? 愛とぎせい心で、苦しみの十字架をになうことこそ、その道です。
家に、道に教理を教えてやまなかったローザにならうわたしたちは、まず自分が正しい信仰を守り、よい手本でまわりに信仰のあかしをしましよう。ああ、神の愛、ばらの聖女よ、この決心を助けてください。
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