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(書評)ホモ・デウス

2020-11-20 05:11:43 | 書評
これも、4回聴きました。

ぱっと思い出せる限りのことを書くと

1 人類社会はこれから大きく変わるだろう。大きく分けて、二つの可能性がある。ひとつは、人がアップグレードし、超人(ホモ・デウス)へと進化する未来。もう一つは、人の環境(コンピューター、AI)が極端に進化し、決定権を持ち、やがて人はそれに呑み込まれてしまう未来。

2 超人へと進化する未来では、全ての人がその恩恵を享受できる可能性は低い。

 理由は、あらゆる工程・作業・サービスの機械化が一層進むことにより、為政者や富裕層は労働者の意向を気にする必要が、いよいよなくなってくるため。従業員より機械の方が有能となれば、従業員は不要ではないか。経営者と機械があれば十分ではないか。それは極論にしても、今の社会はそうした方向性に進みつつある。 馬には、奥ゆかしさや感情など、農耕機械にはない特徴が山ほどあったが、結局、機械の方が選ばれた。人と機械の間にもやがて同じことが起こるだろう。

 AIの浸透による産業の無人化は一層顕著になり、労働者階層はもしかしたら遊民層に転落する。一方で、それらをコントロールする側である富裕層は、やがて自らの肉体も進化させ、いつかは不老不死になる。多神教神話による神々のようになる。今でも、美容整形や最先端治療を受けられる層は限られるとなれば、より高度で高価なホモ・デウスへの進化の機会が、全ての人に均等に巡ってくるだろうか。そう考えるのは、楽観が過ぎる。病気の治療というより、人をアップグレードさせる為の肉体の進化に公的な扶助が与えられる可能性は低いだろう。

 ところで、生物としての種が異なるくらいに富裕層とそれ以外とが分かれてしまった場合、両者は互いのことを気にかけるだろうか。例えば脳とコンピューターが結合し、全身を微小なナノマシンが行き交い、不老不死になったホモ・デウスが、貧困な人の苦労談を聞いて理解できるだろうか。逆に、群衆はホモ・デウスとなった富裕層のメロドラマなどに関心が持てるだろうか。 今は、まだ生物学的には同じ人間だから。共に年が経てば老いるし、火に当たれば火傷もするし、食べなければお腹がすく。しかし、そういう前提にまで差ができてしまった場合には・・・。

3 人を取り巻く環境も進化するだろう。

 現代、チェスや囲碁において、AIは人より遥かに強くなっている。AIは互いに戦い、学習し、幾何級数的に強さを上げていっている。やがて、AIがAIをデザインし、作るような時代になれば、どうなるか。米国の薬局業界において、人の薬剤師は0.5%の確率で薬の選択でミスを犯した。しかし、AIのミスは殆どなかった。また、バッハ風に作った人の曲と、バッハの作風を学習して作曲したAIの曲を盲検的に聴き比べて貰ったところ、殆どの人がAIの作った曲を選んだ。独創性でも、AIは既に人に追い付いており、やがて凌駕するだろう。

 人よりAIの方が優秀となれば、やがて、AIは古代の巫女のような存在になるだろう。判断をするとき、人はAIに聞くようになる。やがて、それは代理人的な存在になり、最後には為政者になる。決定者になる。 ところで、AIが実権を持ち、またAIがAIを作るような社会において、人はどう扱われるだろうか。 かつて、人が猿を見たような視線で、AIもまた人を見るのではないか。 あるいは、やがて、AIが人を消そうと図るかもしれない。人がAIのリセットを図るなど、反乱を起こす可能性を考えて、予防的に

 他、いろいろ書いていましたが、今すぐに思い出せるのは、このくらいです。2はHGウェルズの『タイム・マシン』を想起させますね。そして、やはりAmazon audibleは便利ですね。耳で本が読めますので、時間がない人でも読書ができます。歩きながら、他のことをしながら、読書ができます。


(注記)管理人はこれらのことを支持するわけではありません。ただ、世の中のことや、それがこれからどういう方向性に進んでいくのかも知らないといけませんので、学習の為、聞いたというだけです。

ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来』


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