まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1611 チョイ To 奈良・・・雨の中をチョイ歩き

2021-07-28 10:53:44 | ふうけい
よろしくお願いします。
















梅雨時です、雨が降っていると自転車で走ることができない、でも家にはいたくないと言うことでこの日は歩きで出かけることにしました。思えば昨年の今頃は相棒君との走りができずに毎日近辺を歩き回っていたんだった、歩くことが自分(一人称)の気持ちを落ち着かせる手段になってましたからね。まあ雨が降っているのは仕方ないところですが歩くのは苦にならない、早速行ってみることとしましょう。
・・・とは言ったもののこりゃ~本降りだ、傘をさしながらカメラを構えるのは結構難しい。市内循環バス路線を紀寺から高畑方面へ、高畑バス停から東へ教育大の横の上り坂を歩いていると鹿さんが木の下で雨宿りをしていた、奈良公園からは結構離れている所なのでちゃんと仲間のところに帰ることができるのか心配になってくる。いつもは自転車で走る高畑界隈、今日は傘をさしながらまったりと歩を進めていく、新薬師寺付近も雨のせいで観光客の姿は全くなし、まあこんな雨の日に散策を楽しむもの好きは自分(一人称)くらいなものかも・・・。
















高畑界隈はもう数えきれないくらいに来ている所、いつもは自転車でサラッと走り抜けるだけなので、歩きとなるとまた新しい再発見もあるかも・・・と思いながら進んでいます。まあ気になったのは観光地というよりも、近くに教育大があることもあって、学生さんが利用する施設が結構多い、寮もあるので学生さんの町という一面も持っている所なのだろう。下り坂を進んで行くと写真下6枚目~3枚目にあるモダン風味な建物が気にかかった、何かの店だろう、駅名表示板みたいな看板には洋服、茶・酒と表示されている。『でなり』と言う名のこの店がなぜ気になったかと言うと、奈良テレビの土曜日の夜にやっている『加藤雅也の角角鹿鹿』と言う番組で、奈良のおもろ~いを探す研究所を間借りしている所。歳をとってからは奈良の良心、奈良テレビを見る機会が増えてるんですよねえ~、人生の最後はやっぱり地元で迎えたいと言ったところでしょうか・・・って、いや、まだ死なないですよ、もうしばらくは生きようと思ってます、せめてもう一度奈良県勢が甲子園で優勝するところをみたいですからねえ。


とまあいつものように話がそれてしまっていますが、雨もいつのまにかあがって歩きの方は奈良公園へ。春日大社、東大寺、さらにその後は興福寺から猿沢池、奈良町ともう観光のゴールデンコースを進みました。その模様は下のゾーンの写真にて↓↓↓


















さて、夏の甲子園の予選も各地で行われていて、代表校もぞろぞろと決まってきています。和歌山は智辯和歌山が好投手を打ち崩して出場を決めました、他の近畿勢ももう大詰めというところまで来ているみたいです。奈良は昨日が準決勝、智辯学園は順当に決勝へと進みましたが、春のセンバツベスト4の天理は高田商にサヨナラ負け、9回表に逆転して後は達投手が抑えたら終わりだったのですが、エラーでランナーを出してその後はサヨナラランニング本塁打と、信じられない結末となってしまいました。奈良県民としては決勝は天理vs智辯学園・・・多分全国的にも興味あった対戦だったと思いますが・・・を見たかったところですが、こうなったからには決勝の対戦を楽しみに待つとしましょう、まあどっちが勝ってほしいかはあえて書きませんが。でもやっぱりオリンピックは見てしまいますねえ、これで日本も少しは元気になってくれればいいのですが、どうも感染症禍はひたひたと息をひそめて渦巻いているようです。オリンピックが無事に終わって甲子園に橋渡ししてほしいところですが、どうなることでしょうか・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち





No.1610 愛知の旅(4)・・・東海市、大府市、豊明市

2021-07-26 08:14:07 | 旅行記
よろしくお願いします。


またまた間が空いてしまいましたが、4連休と言うことでちょっと泊りがけで走りに行ってました。行先は滋賀、主に北近江の方を巡って来ましたが、久しぶりにいろいろと行ってみたいと思ったので泊りがけで行くこととしました。そんなわけで東京オリンピックの開会式は宿泊先のホテルで見たわけですが、まあいろいろと突っ込みどころはありましたね、ちょっと挙げてみると

・アトラクションが長すぎ、しかも日本らしさが全くなく意味不明、やる必要があったのかな、時間の無駄だと思った。
・入場行進は知らない国やその国のいろいろな事情を伝えてくれたので結構勉強になる。カザフスタンの女性旗手はきれいでしたね~↓↓↓



その他の各国もらしさを発揮した衣装や扮装で登場していたが、最後の登場の日本はらしさも面白味もなくただ歩いているだけ。それと選手を手を振って出迎える人たちが疲れていて気の毒に見えてきた。
・会長は話長すぎ、甲子園だったら倒れる人続出してるよ。
・聖火リレーの長嶋監督は泣けた・・・がその後の医療従事者は興醒め、ワイドショーで開催反対を訴えていたコメンテーターはあれをどんな気持ちで見ていただろうか。その後の東北の子供たちも・・・、朝ドラでも言っていたが、日本はいつの間にか震災を経験した者としてない者との間に差をつける国になってしまっているのか?
・大坂なおみはあまり好きではないが、この日の彼女はかわいい、と思った。

















まあそんなところですが、自分(一人称)は開催には反対ではなかったので、生きている間にオリンピックを見れるのは嬉しいことです。何でもかんでも反対するより、始めてみればまた新しい感情も生まれてくるでしょう、今は選手たちの頑張りにその感情が何なのかを期待することとしましょう。
さて、早速1番目のゾーンの写真を並べていますが、本文は愛知の旅の続き、名古屋駅前のビジネスホテルで一夜を過ごし2日目の旅の始まりです。初日はバス旅陣取り合戦よろしくな感じで、稲沢市→一宮市→岩倉市→小牧市→春日井市→名古屋市守山区→東区→千種区→昭和区→瑞穂区→南区と走ってきました、今日はその続きからと思い笠寺駅からのスタートです。まずは国道247号線を進んで東海市へ、ここでの目的は万葉歌碑巡り、途中で道を間違えて場所を探すのに苦労はしたが何とか目的は達成できました。次の目的地は豊明市、もちろん万葉歌碑が目的なのですが、その場所まではここからは少し長い距離を走らなければなりません。




















台地と言っていいくらいの小高い峠を越えて大府市へと入る。大府市って何があるんだ、と言いたくなるくらいにあまりイメージが浮かばない所、特に見所もないままに通り過ぎてしまう。新幹線を越えると目的地の豊明市へ、2年前の愛知旅行の時にも通り過ぎた所だがその時は旧東海道を走っただけ、街道から外れた所を走るのは今回が初めてとなる。伊勢湾岸道豊明ICの下をくぐり抜けて町道を目的地に向けて進んで行くと寺院があったのでちょっと立ち寄ってみることに。ここまであまり写真の撮り高がないのでここでネタを探したいところ、その模様が写真の下半分にある風景なのですが、信仰心のない自分(一人称)ではあまり話が膨らまないのはいつものことです。














豊明市での万葉歌碑巡りの目的を終えて台地を下りてくると桶狭間古戦場、ここは2年前に寄っているので今回はスルー、そのまま国道1号線へと合流する。国道の向かい側には名鉄線の中京競馬場前駅、そしてここからは名古屋市緑区へと入る、ここからは名古屋市内を北に向けて串刺しに進んで行くことになるのですが、やっぱり旧東海道は外せないルートとなりました。国道1号線を外れて旧街道へ、2年前の旅ではしつこいくらいに写真を撮りまくった有松の風景、今回も撮り高確保のために撮ってしまいました。次に目指すのは昨日訪れたものの万葉歌碑を見つけきれなかった寺院、このまま旧東海道を進んで行けばたどり着くことができるのですが、その話はまた次回としておきましょう。今回はオリンピックの話が長すぎて本文が少しおろそかになってしまいました、この後は甲子園もあることだし、しばらくはこんな調子で進んで行くかも知れません、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち







No.1609 三郷町、電車と大和川

2021-07-21 10:54:08 | 鉄道
よろしくお願いします。





















三郷町は三宅町や川西町などの大和平野中央部にある町と比べて、町自体はそれほど取り上げることはない所ですが、大阪へ向かう時には必ず通らなければならない重要なポイントです。ただ町自体は何か地味なんだよなあ~、まあ隣には王寺町や斑鳩町など存在感ありありな町が控えていますからね。そんなわけで今回はその三郷町を取り上げようとは思ったのですが、信貴山の玄関口はあっても信貴山は隣の町だし、ここにある万葉歌碑ももう紹介済み・・・じゃあ何があるか、と思って取り上げたのが大和川です。
大阪方から川沿いに進んでくる国道25号線、大阪府と奈良県の境界になる辺りは亀の瀬と言われていて、大和川は緩やかな蛇行の連続で急流となっていて隠れた名所となっている。一方の鉄道の方はJR大和路線、大和川の側にある河内堅上駅を出ると鉄橋を渡った後奈良県へと入り、3本連続でトンネルをくぐる抜ける。前方には王寺の町が見え・・・本来なら三郷の町と言いたいところだが、見えてくるのは確かに王寺の町・・・再び鉄橋で大和川を渡って間もなく三郷駅へと到着する。













JR三郷駅は奈良県内にあるJR線の駅の中では唯一快速の表示の列車が停まらない駅、一応三郷町の玄関口なんだけどねえ。駅前は割と賑やかな感じで、近くに高校や大学もあるので学生さんが多い所、町域を運行するバスの始発にもなっているが、信貴山に行くバスの始発は王寺駅に譲っている。大和川とJR線に沿って進んでいると真横を緑色の電車が通り過ぎて行った、大和路線を走っている普通電車だがこの車両ももう長年走っている。大和路線は快速で使用される車両とこの緑色の車両が主力となって走っているが、昭和の流れを感じる車両もそろそろお役御免の時が近づいて来ているのかも。普通列車はあまり乗車する機会がないが、大阪に通勤している頃は朝のラッシュ時には快速にも使用されていて、その頃はよく乗っていた。ロングシートで乗り心地はあまり良くない印象にも受け取られそうだが、自分(一人称)にとってはむしろその揺れが心地良かったみたいで、よく熟睡させてもらいました。相棒君を持って乗るのもロングシートの方がいいのでこの先も長く活躍してほしいところなんだけどなあ~、引退の噂もよく聞くようになって来ました、Xディーは確実に近づいているようです。


















三郷町と王寺町は大和川によって町域のラインが分かれている、途中にある自転車歩行者専用の橋を渡ると王寺町に入ってしまう、ここからは川に沿って通っている自転車道を対岸に三郷町を見ながら進んで行くことに。間もなく鉄橋と踏切へと突き当たる、この路線は近鉄生駒線、前に大和川を渡る電車の項で取り上げたことがある場所、今回も電車を撮ろうと思って待ってみることとしよう。間もなく踏切の音が鳴り響く、大和川の向こう、三郷町側には近鉄信貴山口駅があり、そこを発車した電車はゆっくりとしたスピードで鉄橋と踏切を通り過ぎて行く。電車はここから急カーブの下り坂となり、引き続きゆっくりの速度で車輪の音を軋ませながら終点の王寺駅へと差し掛かって行く。踏切を過ぎると右手側に王寺駅の賑やかな雰囲気の町並を横目にしながら、緩やかに蛇行した大和川沿いの自転車道を進んで行く。やがてその道は国道25号線に突き当たる、大和川との付き添いはここまでと言うことで、国道へと左に曲がって昭和橋を渡る、この橋の途中には斑鳩町の表示が掲げられているが、大和川が王寺町と三郷町を分けているので、この地点は3つの町がひしめき合っていることになっている。そんなわけで鉄道を交えての大和川巡り、ここまでとしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち




No.1608 Go To 東大阪(1)

2021-07-19 10:35:09 | みち
よろしくお願いします。























今回お送りするのは東大阪から枚方方面へ東高野街道を走った記録、2月に行った時のものですがず~っと後回しになってしまって、やっと日の目を見せることとなりました。感染症禍が少し落ち着いたかな~、と思っていた頃で大阪方面もこれを足掛かりにいろいろと行こうと思っていたのですが、この後はまたまた緊急事態宣言が発令されしばらく足が遠のくこととなってしまいました。感染者数もこのところは落ち着き気味も大阪はまた少しずつ増えてきているみたいで、引き続き注意が必要なところです、暑くてもマスクは必須です・・・ってねえ、昨年はあれほどマスクを拒否していた自分(一人称)が今はマスク警察側になってしまいました。この間木津川自転車道を走ったのですが、すれ違うほとんどの人がマスクしていない、暑いし息が切れるから仕方ないところだけど、集団で並んで走っている人たちはちょっと考えてほしいなあ、自分のことだけじゃないんだから。

そんなわけで走りの記録の方はまずは国道170号線を柏原市から北へと進んで八尾市へと入る。この道が旧東高野街道で、2車線の道が突然センターラインがなくなり幅が狭くなって旧街道の雰囲気が漂う町並が現れる所もある。右手側にはもう間近に信貴山が控えていて、途中の道端にある道標にも信貴山の文字を見ることができる。丘陵部を下りるとまた道は広がってバスが通る所となる、右手側には生駒山が見えてきてやがて東大阪市へと入る。国道170号線はこの道の西側にもう1本、新道となる外環が走っているが、旧街道の方も地図の上では国道170号線と記されている。町の中心部へと近づくにつれて道はまたまた狭くなり、センターラインもなくなりいつの間にか商店街の中の道となってしまっている。近鉄奈良線の瓢箪山駅横の踏切を過ぎるとアーケードの商店街となるがそれでもここは国道、変わり種国道としてよく紹介されるところだが、ここはやっぱりマナーを守って相棒君は押し歩きと行こう。



















東大阪市の瓢箪山、東花園辺りは親戚の家があって昔はよく行っていた所だが、最近はご無沙汰となっている、今回も何年かぶりの来訪、花園ラグビー場周辺はもう自分(一人称)が知っている頃の風景とはすっかりと変わってしまっていた。ラグビー場の東側は整備された公園になっている、写真にある人がたくさん集まっている所は巨大な穴ポコと言った感じだが、案内の看板にはこれはすぐ近くを流れる恩智川の水害対策になる場所だと記されている。その穴ポコの縁の道を進んで行くと花園ラグビー場のスタジアムの正面入口前へとたどり着く、ラグビーボールのモニュメントがあり、その横にはこのスタジアムで行われたワールドカップの試合の結果が記された碑が4本。近鉄東花園駅から親戚の家まで行く時にいつも通っていた道、その横にあるラグビー場は高校や大学、社会人の試合が行われることで有名だった所だったのが、いまやワールドカップも行われるようになった一大スタジアム、自分(一人称)は昔のラグビー場の姿を知っているだけに、もうこの町にある名所だけでは語れない所となってしまったと言った感じです。










花園ラグビー場を後にして自分(一人称)が昔よく行ったことのある親戚の家がある住宅地へと入って行く。もうその頃の記憶は薄れているしもちろん町の風景も変わってしまっている、そんな中をすり抜けていくと写真1枚目、2枚目にある道標がある場所へとたどり着く、この道標は店の角っこにあったので当時からよく覚えている。道標には「大坂、なら、いせ」の文字が見えるので暗峠越え奈良街道にあったものだと思われるが、界隈は普通の住宅地で旧街道に当たる道も見当たらないので、多分旧街道から移設されてきたものだろう。住宅地をすり抜けていくと多分これが奈良街道かな?と思う道があったので、そこを東へと進んで行くと箱殿東交差点へとたどり着く。交差点いっぱいに横断歩道のラインが引かれていて、ここは国道308号線と国道170号線・・・いわば奈良街道と東高野街道が交わる所、往時は高野山、伊勢神宮へ向かう人たちで賑わった所なのだろう。ここを左へと曲がって再び東高野街道を走ることになるわけですが、さて、その走りの記録の続きは次回と言うことにしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち



No.1607 日本で8番目くらいに小さな町、前編

2021-07-18 21:20:22 | まち
よろしくお願いします。




















またまた中途半端なタイトルとなってしまっているのですが、8番目というと入賞レベルですからね、まあいいでしょう。そんなわけで今回お送りするのは川西町、大和平野の中央部にある小さな目立たない町ですが、どんな所なのでしょうか、行ってみることと・・・ってまあいっつも何かの折に通っているし取り上げたこともある所です、改めてその町をディープに巡ってみることとしましょう。
この間までは日本で2番目に小さな三宅町を取り上げていましたが、川西町があるのはその隣、三宅町巡りの時にもちょっとだけこの町にもお邪魔してました。これまでにも古墳巡り、環濠集落巡り、川巡りといろいろなテーマで取り上げたことがありましたが、近隣には三宅町、河合町、安堵町が接していて、自転車で走っていても一緒くたになってしまう所。それならもうひとまとめに合併してしまえばいいのに・・・とも思ってしまうのですが、各町にはそれぞれのプライドみたいなのがあるんでしょうねえ。一時期平成の大合併で奈良県でも奈良市、五條市が近隣の自治体を吸収したり、宇陀市、葛城市が誕生したが、生駒郡、磯城郡、北葛城郡の町は結局そのままとなってしまった。おかげで日本で小さな町ランキングでは上位にいくつかの町がランクインすることになったわけですが・・・、川西町もその中で10位以内に入っているから、まあ何らかの形で名前は残しといて良かったのかも。
















wiki引用ですが↓↓↓

地理・・・「町域は大和川を北限とし、寺川・飛鳥川・曽我川などの河川が大和川に合流する地点にある。町の全体が平坦な地形である。」
歴史・・・「古代の大和国城下郡三宅郷の地であり、倭(やまと)屯倉に比定される。町域には糸井神社(結崎)・比売久波神社(唐院)の延喜式内社が鎮座する。唐院には全長195メートルで周濠付きの前方後円墳、島の山古墳(5世紀前半の古墳時代の古墳)があり、倭国造の墳墓と見られる。また面塚は室町時代に空から降ってきた能面とネギを観阿弥が授かったという伝説から、能楽観世流の発祥地と呼ばれており、現在ネギは結崎ネブカとして町の名産品となっている。」
経済・・・「貝ボタンの生産については、日本国内においてはトップシェアとされ、市場占有率は80パーセントを占めるとされる。」

と以前にここで取り上げたことも書いてあります、目立たない町だと言っても・・・すみません、近隣の町に比べるとそんなイメージしかないんです・・・探せばいろいろと特徴はあるものです。大阪桐蔭からその後巨人(G)に入団したものの一軍での登板はなしに終わってしまった辻内崇伸投手が川西町出身、通学は近鉄で高の原駅まで出てそこからスクールバス・・・って普通は寮生活だよな。奈良の学校に入ってくれていたら旗を持って帰ってくれたかも、とまあそれは良しとして、プロで大成できなかったのが残念なところでした。
















さて、巡りの方は県浄化センターのでっかい玉ねぎの横を通り過ぎて、大和川を渡って川西町へと入り、その後は川の近くにある環濠集落を巡りました。その後は京奈和道の下をくぐり抜けて川西町唯一の駅で玄関口でもある結崎駅へ、町の中心部にも当たり近くにはスーパーや銀行、駅前にはロータリーも整備されてスッキリしたが、そのロータリーのど真ん中にはポッコリとした古墳が存在している。しかし町で賑やかな所はここくらいなもの、駅周辺の住宅地を抜けると寺川へと出て風景も緑が目立つようになってくる。寺川と近鉄橿原線と京奈和道が交わる所は畑のど真ん中、道路は高架化とともに整備されていても一歩外れると車が通るのが精一杯の狭い畦道となってしまう。寺川を右手側に見て畑の向こうはもう三宅町、お互いの町はライバル意識があるのだろうか・・・などと思いながら川西町巡りは次回、後編へと続きます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち