まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.705 伊勢本街道、榛原の町並

2017-03-31 09:34:12 | まち
おはようございます。













名張から初瀬街道をたどって来た走りももう後半戦、これより榛原、大宇陀と古い町並を見ることができる所を走って行くこととなります。まずは榛原、国道165号線の厳しいアップダウンを過ぎると初瀬街道に当たる細い道へと入って行って、写真1枚目にある辻へとたどり着く、ここはT字の交差点になっていて旧街道は直角で左へと曲がって行くが、その直角の変に当たる部分には古い家屋に道標、お地蔵さんと旧街道の雰囲気が漂う風景を見ることができる。道を左へと曲がって行くとこの先も古い町並が続き、道は旧街道らしいうねうねとしたカーブを繰り返して榛原の中心地へと差し掛かって行く。写真6枚目にある民家には軒先に「登録古民家」の表示が掛かっている、この表示はこれから行く先でいくつか見かけることになるがこの家がまずその最初、興味が惹きつけられる想いですが、まずは榛原の町並をいろいろと巡って行くこととしましょう。












旧街道はその先で国道165号線の交差点へとたどり着く、そのまま真っ直ぐ横断歩道を渡って行く先に興味をそそられる建物が見えるがそれは後程として、まずは国道を右へと上り坂を進んで行く。途中にカーブがあり90度向きを変える坂道、それを上り終えた所が西峠、峠とは言っても付近はコンビニやニュータウン風の住宅地が建ち並ぶ普通の町並、ここを北へと行くと更に高い所を越えて名阪国道針インターへと行くことができる。国道165号線は西峠交差点を過ぎるとその先で一気の下り坂となって長谷寺方面へと続いているが、そちらへと入ると戻れなくなってしまうのでここでUターンして再び榛原の中心地へと向かうことに。
交差点から少しだけ榛原方面へ向かって国道から右へ分かれる細い道を入って行くと写真4枚目の場所、「伊勢本街道」と書かれた碑が示しているのはこの階段のことか、ここを下りて行くわけにはいかないので迂回して下へ向かうと伊勢本街道と書かれた地元の商店街へと差し掛かる。緩やかなカーブと下りが続く道は短い区間だが旧街道の雰囲気が漂う町並と素朴な感じの商店が入り混じるように建ち並んでいてなかなかいい所、この通りを過ごしていくとさっきの横断歩道を渡った所に見えた建物の前にたどり着く、ここからがいよいよ榛原の中心街へと差し掛かって行く。












写真2枚目にある大きな道標が立つ所は初瀬街道と伊勢本街道との分岐点となる場所、初瀬街道はここからこれまで走って来たとおり名張から青山峠を越えて伊勢へと通じる道、一方の伊勢本街道も最終的には伊勢にはたどり着くがその途中は山深い所を行かなければならない。自分(一人称)はこの道はまだ一度も走ったことがありません、JR名松線辺りは行ってみたいと思ってるんですけどねえ。その伊勢本街道は近鉄のガードの下を過ぎて南へと向かって行くが、この後は大宇陀方面へと向かう予定なので国道370号線へと入って行く、ちなみにこの辺りは165号線、369号線、370号線が四方に広がっていてややこしい。近鉄榛原駅前付近がこの町の中心地となるのだろうが、特急停車駅の割には駅前はあまり賑わってない感じ、たまたまこの日が祝日だったからだろう、バスは各方面へ本数が安定した感じで運行されていてさすがに宇陀市の中心駅と言った存在である。宇陀市は榛原町、大宇陀町、菟田野町、室生村が合併してできた奈良県でも新しい市だが、その中でもやっぱり電車が通っている榛原が一番中心となるのは当然なことか。ただ県内北部に住んでいる者からしたらまだ市になる前の町の中心駅に特急が停まるのは何か、何かなあ~、納得いかなかったなあ、特急停めるなら桜井やろ~とも思ったが、その桜井駅はいまだ不遇な状況にかこわれている。さて、この先は大宇陀へ、重要伝統的建造物群保存地区(長いな)に指定されているなかなかな見所の町並へと向かって行くこととします、次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち

No.704 べっぴんな町へ(4)・・・各駅巡り・阪急神戸線、その3

2017-03-29 09:40:00 | 旅行記
おはようございます。


べっぴんな町、神戸を目指して走っているわけですが、朝ドラ『べっぴんさん』もいよいよ今週を残すのみとなりました。すみれもとうとう10歳の孫を持つお婆ちゃんになってしまいました、それにしても実年齢よりもはるかに上の年齢を演じて来た芳根さん、関西によくいるオバちゃんな感じもうまく演じていました。人によっては、特にネットなんかでは若手俳優が老け役をやると学芸会になるやコメディーになるやと言われそうですが、このドラマっでは芳根さんを含めてキアリスのメンバー皆さん本当にうまく演じていると思います。以前は店前でキャッチボールしている子供らに恥ずかしそうに「ストライ~ク」と声をかけていたのが(このシーン結構好きでした)、東京行ってはあれ見て来たこれ食べて来たかとか嬉しそうに話す姿や、字を読むのに老眼鏡をかけるなど、リアルさを頑張って引き出そうとしている辺り、この子のうまく見せなければならないと言う努力を垣間見ることができます。『家族に乾杯』やこの前のももクロの番組などでは結構天然っぷりを見せていた芳根京子さんですが、このドラマでは毎日のように涙を流すシーンがあります、台本にここは泣く所とかあるのかどうかは分かりませんが、多分この子感受性が物凄く強いんではないでしょうか。例えばこの先相手が言う言葉の端々に泣いてしまうポイントを作動させてしまうとか・・・女優さんはここで泣くと言う所ですぐに涙を流すことができると言いますが、そんなのとは違う何かを持っているんではないかと、例えば、大自然の風景とか、大聖堂の天井とか、パイプオルガンの音とか・・・ってこれは上野樹里のことですが、芳根さんもそれによく似た特性を持っているように感じます、って何を熱く語っているんでしょうかねえ、僕の悪い癖・・・



おやおや、これは何でしょう、詳しくはドラマが最終回を迎えた後にでもお送りしたいと思います、では枕が長くなってしまいましたがいよいよ本文へまいりましょう。












各駅巡り、阪急神戸線をお送りしていますが、ここはちょっとオプションと言う音で甲陽線へと沿って進んで行ってみることとします。夙川駅から夙川を沿って並木道の中を北へと進んで行く、いかにも阪急沿線らしい落ち着いた雰囲気が漂う道だが車の量は多い。線路は川の向こうにあって見えないが、そちら側の住宅地もいかにも高級感が漂うと言った感じ、しかしそれもまだ序の口、この先は益々自分(一人称)には縁のない町の風景の中を走って行くことになります。やがてこの線区唯一の途中駅、苦楽園口駅へとたどり着く、駅自体はこれと言った特徴のない駅な感じで、周辺の風景も普通の駅前と言った感じ、しかし駅名に「口」がついていると言うことでここはあくまでも苦楽園の入口と言うこと、その苦楽園はこの駅から少し離れた山の方にあり、そちらはいかにも高級住宅地と言った所、ちょっととっつきにくい響きがする地名だが、この辺りには○○園と「園」の着く地名が多くその響きからして高級感を漂わせている。










線路沿いの道は木立に囲われて少し肌寒い坂道、真っ直ぐに続く線路がカーブに差し掛かる所で道は分かれ道になっていて踏切を渡る、そこから合流する道が甲陽園通り、道は下り坂になっていてその下り着いた所が阪急甲陽線の終点、甲陽園駅がある所である。たった二駅の各駅巡りはここで終わり、線路もここで終わりで駅舎が線路を遮るように正面に建っている、お洒落な雰囲気の町並の中にある駅なのでこんな駅だろうな~と予想していたのだが、その予想に反して結構ローカル風でレトロ調な駅舎だった、変な言い方をすれば阪急らしくないと言うか、まあそんな感じの駅舎です。
帰りは今来た道を戻って行くのだが、さっき渡った踏切の場所で後ろを振り返ると、山の斜面に建っている住宅がいかにも高級感を漂わせている、もう何度もしつこく言っているが自分(一人称)には縁がない所だ。ただ神戸と言うとあんなことがあった所、あのような山の斜面に建っている家は気が気じゃなかったことだろう。まあ、もし損壊してしまったら財布からポンと現ナマを出してこれでチャチャイとやってしまいましょ・・・ってすみません、不謹慎な話をしてしまいました、貧乏人の戯言や思て読み流してください。










苦楽園口駅付近で登録有形文化財巡りを済ませて、再び阪急神戸線各駅巡り、夙川駅からは山手幹線を進んで行きます。神戸に行く時はいつも阪神線に沿ってなので起伏のない道を進んで行くが、山手を走る阪急沿線と言うことでこの道はアップダウンの連続、しかも沿道は高級住宅地が続く所、その代名詞となっている芦屋市へと入って行く、阪神戦沿いでは下町っぽい感じだが、さすがに阪急沿線となると貧乏人レーダーが卑屈な方に針が動いてしまう。山手らしく起伏の激しい道を縫うように進んで行くと神戸線の次の駅蘆屋川駅へとたどり着く、阪急沿線における芦屋市の代表駅となる駅なのだろうが、その割には駅前はひっそりとしていて外から見る限りでもホームにはあまり活気がないように感じる。阪急沿線の人たちのおとなしさ・・・いや、実際におとなしいかどうかはわからんよ、イメージです、イメージ・・・がこの駅に現れていると言ったところでしょうか。最後の3枚の写真はこの駅付近の風景を撮ったもので、ここでのお目当ての登録有形文化財を巡るために走った所だが、それがとんでもない急なベタ踏み坂、上りも大変だったが下りるのも大変、とにかく怖くて怖くて仕方なかった。芦屋に住んでる人たちはこんな坂を毎日当たり前の様に上っては下りているのか、それはそれで恐れ入ったと言ったところなのですが・・・どうも文章の端々に貧乏人根性が浮かんでしまいますねえ、今回はここまでとしておきましょうか、次回もお付き合いよろしくお願いします。          まちみち


No.703 各駅巡り・南海高野線(堺市へ)

2017-03-27 10:39:21 | 南海
おはようございます。


前回も書いたのですが昨日(26日)のセンバツでは2試合連続延長15回で決着がつかず明後日再試合となりました。試合はやってる方も大変だがラジオを聴いている、テレビを見ているこちらもこれどうなるの?と言う感じで、まあ日曜日の昼下がりを楽しませていただきました。確か前回再試合になった広島新庄vs桐生第一も日曜日じゃなかったかな?それに夏の決勝再試合になった駒大苫小牧vs早実も日曜日だった、休日は甲子園もお客さんがたくさん入るので名勝負も多くなるのでしょうか・・・と気楽に言っている一方で運営の方は大変なことで、昨日の試合の流れで日程は二転三転、本来は今日(27日)4試合になるはずが、最後の試合も再試合となったために翌々日に2試合回ることとなりました。そのために休養日はなくなり、チームによっては4連戦になってしまう所もあるとのこと、ネットでは早速タイブレーク導入の話も出ていました。
タイブレークはすでに行われている所もありますが、甲子園ではまだ導入されていません、はっきり言って自分(一人称)は反対です、そんなものは神聖なる高校野球にはいらない・・・と言ってしまうと批判もあることだと思います。まあ自分(一人称)も昭和の古い時代の考えを持っている方なので仕方ないところだし、時代の流れによって考え方も変わってきている、でも決着は試合の流れの中で決めさせてあげたいんだよなあ、やっぱり。タイブレイクとなるとそれまでの試合の流れが切れてしまって、ただ勝負を決めるだけの手段でしかなくなってしまう。選手の疲労の問題とか日程の問題とか積もるものの解決は先延ばしになってしまうだろうが、安易な感情だけでの導入は避けてほしいところです。例えば昨日の福岡大大濠の場合は投手一人のカラーのチームを作ってきての今回の事態、もう避けて通ることのできない道、きっとそれに合わせての対策はあることだと思うし、また素晴らしい試合を展開してくれると思っています。100年以上続いてきた高校野球の伝統を時代の流れで大きく変えてほしくはないのですが、この辺りはこの先どうなっていくのか、流れを見守っていきたいところです。
















南海高野線の各駅巡りは今回、大阪市内から堺市にかけての最後の部分をお伝えしていこうと思います。前回は住吉東駅までやって来ました、この駅は住吉大社の東側からの玄関口、付近は熊野街道が通っていて古い町並が線路に沿うようにして続いている。長居公園通りを越えて少し行くと求愛堂を外れた所に次の沢ノ町駅へとたどり着く、確定しか停まらないこれと言った特徴もない駅、それでも地元住民のための駅と言った感じで乗降客は割と多い。駅前には南海の駅でよく見かけるショップ南海、チョイと見レトロ調な造りの店だが、写真にあるようにシャッターが閉まっていた、休日だから休みなのか永遠に閉まっているのかは分からないが、駅のサービス業の方は厳しい状況は自分(一人称)がいた頃から変わっていないようだ。








沢ノ町駅を後にして更に熊野街道を進んで行って次の我孫子前駅へとたどり着く、熊野街道の西側には紀州街道が通っていてそちらの方には阪堺線の我孫子道駅、東側にはJR阪和線の我孫子町駅、更に東に行ってあびこ筋には地下鉄御堂筋線のあびこ駅と「あびこ」づくしの駅名ラインナップ。駅名の由来となっているあびこ観音はJRや地下鉄の駅から行くのが近いから「前」と付けているのはまるで駅名詐欺のような感じもするが、それより離れている阪堺線の駅も含めてこの界隈は商店街が広がっていて、人の通りも多く結構賑やかな所である。熊野街道に戻って南へと進むと大和川に突き当たり、街道はそこで一旦途切れてしまう、ここは一番近くにあるあべの筋に架かる遠里小野橋を渡って向こう岸へと渡る。そこはもう堺市に入っていて、さっき途切れた旧街道もこの辺りではどこを通っているのか分からなくなってしまっている。入り組んだ民家の中を過ぎていくと最後の2枚の写真にある次の浅香山駅へとたどり着く、古ぼけた感じの橋上駅はあの頃から変わっていない、密集した民家の中にあってこの駅も典型的な地元のお客さんのための駅、数は少ないがホームには次の電車を待つ人の姿が絶えずあると言ったところである。







今回最後の駅、堺東駅はホームの雰囲気を写真にてお送りしています。自分(一人称)もこの駅にはいろいろとお世話になりました、ホームの様子はその頃とは変わっていないが、駅ナカの様子はガラリと変わっていた、と言うか形が落ち着かないんだよなあ、新しい店がテナントで入ったかと思えば一方の別の店は閉店したりの繰り返し、この駅を訪れたのは3年半ぶりだが、多分その間もその繰り返しだったのだろう。先のショップ南海の時にもチョイと振れたが、サービスの方はどの駅もあーだこーだの繰り返しと言った感じで、なかなかお客さんには定着しない様子。売れれば長く続くし売れなければ撤退、駅が改装するとなると売れていても退かなければならない、南海もお客様第一の表面は見せているのだろうが実際にはどうなのかとなると疑問を感じてしまう。自分(一人称)が前の会社を辞める頃はどこの駅もそんな落ち着かない感じだった、その様子は今は落ち着いているのだろうか、また機会があれば窺ってみようかと思っています、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち

No.702 和歌山の旅・・・各駅巡り、和歌山電鉄・その2+こんなことがあるのでしょうか

2017-03-26 20:08:39 | 鉄道
おはようございます。


2日ブログを休んだのですが、その間にセンバツでは高田商がまあ順当に負け・・・相手が秀岳館だから仕方ない、それでも4回までは結構勝負になっていた、やっぱりミスはアカンと言うことだが・・・。そして昨年優勝校智辯学園も盛岡大附に負けてしまい、奈良県民にとって2年連続の夢は潰えてしまいました、まあさすがに2年連続はちょっと望み過ぎなところもありましたが。この試合は自分(一人称)は仕事で見れなかったが、相手は強打で勝ち進んできたチーム、打ち合いでは分が悪いなと思っていたらその通りになってしまったようです。新聞を見て知ったのですがこの試合は無失策試合だったとのこと、となるとミスで負けたわけでなく力で負けたと言うこと、夏は打ち勝てるチームを作って甲子園に帰って来てほしいところです。あ、もちろん智辯学園だけでなくそろそろ天理にも奮起してほしいところ、大和広陵、奈良大附、法隆寺国際・・・新しい勢力もほしいところですが、高田商の試合を見た感じではまだまだ全国では苦しいかも、いつまでも朱と紫にばかり頼っていたい気持ちと、そうでない気持ちがないまぜになってしまっている感じです。

地元が負けてしまって気分的にも楽になって今日の試合を相棒と走りながら聞いていたのですが、第1試合は報徳学園が勝利、第2試合の滋賀学園vs福岡大大濠は正午のNHKのニュースが始まる前には始まっていたのですが、帰りの電車の中でもまだ続いていて、試合が終わったのは西ノ京駅で相棒を立ち上げて自宅へ戻る途中でのこと、1-1で延長戦に入った試合は15回でも決着がつかず明日の第4試合と言うことで再試合となりました。続く第3試合は健大高崎vs福井工大福井、この試合は家で見ていました、こすっからしい野球を仕掛けてくる高崎に前回仙台育英を破った福井、もつれた試合は9回、高崎がこすっからしい作戦を仕掛けてきて同点に、そして2試合連続延長戦はこちらも15回で決着がつかず再試合へ、まさかこんなことがあるのでしょうかとでも言ったところ。一度は明日再試合となるはずだった第2試合とこの試合は明後日に回ることとなりました、まあ運営もまさかの事態に大あらわだったことでしょう。でも一番この事態に喜んでいるのは福岡大大濠の三浦君ではないでしょうか、監督が「明日も三浦で行く」ってテレビで言ってしまったからね、ここは思いも寄らぬ形で1日空いたと言うことで十分休養をとって再試合に臨んでほしいところです。ところで2試合連続再試合は春夏通じて史上初のこと、その2試合に絡んでいる滋賀学園と福井工大福井と言うと去年のセンバツでは・・・。















引き続きお送りしている和歌山の旅、前半戦は和歌山電鉄各駅巡り、前回は貴志駅から順に巡って大池遊園の山を越えて来ました。田園風景が広がる中を走り小さな町に差し掛かってたどり着いたのが伊太祁曽駅、和歌山電鉄の中心駅と言った感じで、ホームは行き違いができる島式ホーム、構内は線路がいくつかに分かれていて引き込み線や車庫もある。この駅はさっき和歌山駅から乗った電車が当駅止まりだったので、次の電車が来るまでにいろいろと駅の風景の写真を撮っておいた、普通に各駅巡りで訪れるローカル線の一駅の風景であることには変わりないが、この駅はホームや検査場が登録有形文化財に指定されていると言うことで、箔が付いているとまた別の目で見てしまいそうになる。駅で登録有形文化財と言うと過去に訪れた所では北条鉄道が有名だが、ローカル私鉄がこの先も生き延びて行くには鉄道ファン以外の人たちにもアピールしていかなければならない何か、何かな~が必要と言ったところ、そう言う意味では北条鉄道や和歌山電鉄はその努力が報われている感じがする。行きしなに乗った電車の中吊り広告には、そんな当電鉄が存続のために如何様な努力を重ねてきたのかを記録した本の広告が垂れ下がっていた、何か手前味噌な気もするがまあそれはいいことだとしておきますか、もし以前の南海のままだったらそれこそ廃止に追いやられていたのかも知れない。








伊太祁曽駅付近はこれまでに2度訪れている、初めて来たのは熊野街道をたどって走った時で、紀ノ川から県道を南へ進み峠を越えてここに来たのだった。その後は海南市へと抜けたのだったが伊太祁曽駅の南で分岐する道を間違えてしまって和歌山市方面へと走ってしまっていた、その後間違いに気づいて軌道修正したが見覚えのある風景が今回通っている所、その時は次の吉礼駅まで来てたのだった、そのまま進んでいたらとんでもないことになっていたと言うことか。さて、今回は各駅巡り、吉礼駅は写真2枚目、3枚目にあるようにホーム1本だけの典型的なローカル線の駅と言った感じ、それでも周辺は民家が集まって建ち並ぶ所なので地元の人たちにとっては大事な駅なのであろう。次の駅は岡崎前駅、ここは行き違いができる島式ホームの構造、町に近くなった分平野部へと戻って来て見通しが開けた風景だが、さっきの吉礼駅と比べると周辺は民家が少なく寂しい感じ。ところで駅名の「岡崎前」の「岡崎」って何?地図を見ても岡崎と言う地名はなし、駅の北側に岡崎変電所と言うのがあるからそれのことか・・・









川に沿って走って行って次の交通センター前駅、付近には交通公園や交通センター、警察署などの公共施設があってその最寄駅となっている。公園の中には下3枚の写真にあるように古い車両が飾られているが、これは昔南海平野線で走っていた車両とのこと、何で大阪で走っていた車両がこんな所にあるのか分からないが、市民の憩いの場となっているのだろう。駅の北側にある警察署は岡崎支所とあり、交通センター前駅が線内で一番新しい駅だと言うことで、さっきの「岡崎前」と言うのはこの駅が出来るまでの最寄り駅、玄関口としてそう言う駅名がついていたのだろう・・・と推測して今回はお開きとしておきましょう、次回もお付き合いよろしくお願いします。       まちみち


No.701 木津川の情景、朝と夕

2017-03-23 09:44:36 | ふうけい
おはようございます。










朝早くに奈良を出て国道24号線を北へと向けて走って行く、木津の町並を通り過ぎる辺りに架かる泉大橋で写真1枚目の風景を見ることができる、ここが木津川との初めての出会いとなる。空はやっと明るくなってきたところ、時は12月に差し掛かった頃、東の山から陽が差してくるが雲に覆われて光は届かず寒いまんま。そのうち一度目の木津川をすぐ横に沿う区間へ、国道はこの時間でも車の量は多く自転車で走るには気をつけなければいけない所、かと言ってあまりに左に寄り過ぎると川に滑り落ちてしまう。一旦井手町の町並に入るが玉水橋を過ぎると二度目の川沿い区間、今度はさっきと同じように川に滑り落ちそうな区間が3キロ近くも続く、大きなトラックがビュンビュンすぐ横を通り抜けて行く中、長い距離を進んで行くには恐怖感がつきまとってくる。道が緩やかにカーブしているので途中で山城大橋の赤い欄干が見えてくる、そこがこの恐怖区間のゴールとなるのだがそこまでがなかなか遠い、車にはおびえながら、横を沿う川の風景はチラチラと見ながら先へと進んで行く。


京都まで行く時にはいろいろな経路選択があるが、時間がなくて急ぎたい時は大概国道24号線を走る、確かに怖い区間が2ヶ所あるわけだが背に腹は代えられないと言った感じだ。JR奈良線各駅巡りの時に走った山城古道はまあそれほど急がない時、木津川を挟んだ向こう側にある自転車道は行きよりはむしろ帰りに利用する方が多い、と言うことで以前ここで宇治方面を走った時の話をお伝えしましたが、その帰りに走った自転車道から見えた風景をこの先写真にてのご紹介を・・・↓↓↓













今回お伝えするのは山城大橋から南の部分、嵐山から木津までの距離からすると4分の1ほどの区間だが、奈良から一番近い所と言うことで緑色の景色を広く見渡すことが多く、西の方には学研都市の風景、その向こう側には生駒山の姿を見ることもできる。帰りに走ることが多いと書いたが、写真を見ても分かる通り周りには遮るものが何もなく風が吹きっ晒しになる所、この時期朝の早い時間に走るにはあまりにも寒すぎる、午後になると日が西に傾いてきて直射日光を真正面に受けて走ることになるので、冬の時期でも暖かく走ることができる。この写真を撮った日は行きは冷たい風に苦しめられてなかなか前に進むことができなかったが、昼になって空も晴れて太陽の光が燦々と降り注いできて、自転車道を走るにはちょうどいい時だった。その太陽もだいぶ西へと傾いてきた頃、夕暮れが近く風景的にもいい写真が撮れそうなので、ここは走り慣れた道ではあるがいろいろな一面を切り取って進んで行ってみようと思います。












自転車道はほとんどが川沿い、反対側は田畑が広く見渡せるが冬の寒い時期でも緑色が目立って沿道を彩ってくれている。一部河岸へと下りて低い位置を走る区間があるが、ちょうど上の車道が通っている所と同じ高さに太陽が位置していて、河岸へと光を差し込んでくる、もう少し遅かったらここは日陰になって寒さを感じてくるので今がちょうどいい時間だったわけである。再度高い位置へと出ると生駒山麓の稜線ギリギリまでに堕ちてきた太陽が、遠くに見えている木津川台の風景を最後の力を振り絞るようにして照らしている。陽光に白く浮かぶ町並の中を近鉄京都線の電車が通り過ぎて行っている、下に見える町はもう夕餉の支度を始めている頃だろう、自分(一人称)も暗くならないうちに奈良へと戻りたいところ、ここからはまだ少し距離があるし小高い山越えもあるが、もうしばらくはこの風景の余韻に浸って走って行くことにしよう・・・。そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。        まちみち