まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.728 葛城山麓の旅(3)・山麓の寺

2017-04-30 20:00:13 | 旅行記
おはようございます。





このところ更新が滞ってしまいがちですが、GWに入るとあちことへと行く日が多くなるのでペースは更に落ちてしまいそうです、このままでは残っている件が更にたまっていきそうなので今回は前回に引き続き今年の一番最初に葛城方面を走った話をお送りしていきたいと思います。






前回の続き、葛城山の登山口から下りてきて田園風景の中を走る、次の目的はその田んぼの中に立つ時計台、それが上の写真にある時計台なのですが、なぜこんな所に時計台が・・・『番水の時計』と掲げられた時計台がどんなものかと言うと↓↓↓

「六地蔵から九品寺に至る麓の道を進むと、九品寺の手前あたりに田んぼの間を流れる用水路のそばに、小さな円筒状の塔が建てられています。これが、番水の時計といい、中には時計が置かれていてます。番水の時計により、当番の方が、一定の時刻になると、用水路の水門が開けられる方向を調整し、水の流れを変え、それぞれの田んぼに万遍なく、水が行き渡るように配水を調整をするための慣行を守っているものです。
 この慣行は珍しいそうで、その背景には葛城山麓が堆積層の浅い扇状地で、水の浸透が早いなど水を上手く配分しなければならない地形状の問題があったためといわれています。」

と言うことです、自分(一人称)で説明するには面倒なの某サイトの説明文を引用しました。なるほど、そう言うことか~、でもこれもっと青や緑が映える季節に来ていたら違った風景に見えただろうな~、まあ今回は突然ここを走るって決めたから仕方ないところなのだが。



















ズラリと並べた写真はさっきの時計台から少し南に行った所にある九品寺の風景、葛城山の斜面に建つような感じであるお寺は、奈良の名前の知られた寺社からはかけ離れた存在のようにあるが、どのような謂れがあるかと言うと↓↓↓

「九品寺を開いたのは奈良時代の僧、行基です。行基は聖武天皇のとき奈良東大寺の大仏造営にかかわった僧で、その生涯は民衆救済のため布教活動を続けています。布教とともに灌漑や港湾施設建設や僧尼院建設に心血を注ぎ、大仏建立の功績によって、日本で最初に大僧正となっています。さて、九品寺はサンスクリット語で、その意味は布教でいう上品・中品・下品で、人間の品格をあらわしています。上品の中にも上中下があって中品や下品にもそれぞれ上中下があります。全部で九つの品があるので九品と名づけられています。その九品寺のご本尊は木造阿弥陀如来像で、国の重要文化財に指定されています。楢原氏は南北朝の戦いのとき、南朝に味方していた楠木正成公のため一族を引き連れて参戦しています。その戦いに行くとき、一族は身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したのが、いまに伝える千体石仏です。」

と言うことです、1枠に2度も同じ手を使ってしまうなんて・・・まあご勘弁ください。写真の羅列の仲には途中から小さな石仏の写真を何枚か並べていますが、そこには有名な寺院の名前と札所の番号のような数字が彫られている、西国霊場巡礼の旅をここで一気に済ませてしまえ~とでも言ったところか。境内へと入るとこれも写真にあるように本堂に庫裏、鐘楼と普通にお寺にある風景が繰り広げられている、山麓の人里離れた場所にある寺院でも初詣に来ている人たちをちらほらと見かける、人の心の拠りどころとなるのは大きな寺院も小さなお寺も変わらないのでしょう。







県道30号線はこの先アップダウンを繰り返しながら南へ、名柄、井戸、南郷と葛城古道を行くと見かける地名、その沿道には古い町並があってその風景は前にもここでお伝えしたことがありますが今回はそちらの方は通らず、時間優先で県道を進んで行くことにする。南郷付近ではこの道の中でも一番きつい上り坂、ここを上り切ると道は分岐していて県道30号線とは分かれた方へと入って行く、この道が葛城古道コースとなるが、古道とは全く似つかずの幅の広い走りやすい道である。でも沿道には写真にあるように田園風景に穏やかな表情(写真では分かりにくいがそう見える)のお地蔵様が立っていて、時代の流れに汚されていない情景が広がっている。最後の写真にあるのは高鴨神社、初詣の人がたくさんいてどんど焼きが行われていた、燃えている火を見ると暖かく感じるがいかんせん煙が鬱陶しい、喉を傷めてしまいそう。さあ、ここを過ぎると毎年行きたくなる場所、風の森はもうすぐ、その風景についてはまた1枠もうけてお送りしたいと思います。そんなわけで次回もお付き合いよろしくお願いします。        まちみち

No.727 葛城山麓の旅(2)・大和高田市~葛城山上り口

2017-04-27 11:35:42 | 旅行記
おはようございます。














今年一番最初の走りは最初はどこへ行こうかと迷いながら走っていたのですが、広陵町へ入ったことで葛城方面を目指すことに決めました。馬見丘陵公園から南へと進んで行くと大和高田市へと入るが、この辺りに来ると右手側に見えてくるのが二上山から連なる金剛葛城山系の山並、奈良市からは小さく見える山もここではだんだん大きく押し迫るように見えてくる。大和高田市に入り近鉄大阪線の踏切を越えると築山と言う町並へと差し掛かる、地名からして何かありそうやな~と思いながら走っているとこの界隈でよく見かけるのがこんもりとした大きな森、もう言わずと知れた古墳だが広陵町から続く古墳群の一部と言うよりは、この辺りだけで大きな古墳を中心として小さな取りまきの古墳があちらこちらに点在している。特に何の特徴もない普通の住宅地だがその中を縫うように走っていると上の写真にあるように大小様々な、まるでクイズ番組のボタンのような古墳が所々で現れる、特に誰の墓だとか知られた名前があるような古墳ではないが、まさに築山と言う地名にぴったりと言った所である。






大和高田市から葛城市へと入る、今日は1月2日で耳にはラジオのイヤホン、流れているのは箱根駅伝、時間的には3区に差し掛かっている所だが、激しく順位が入れ替わっていた1区、2区の流れに面白さを期待していたが案の定と言った感じで青山学院が先頭に躍り出て、今年もつまらない展開になりそうになってきた。いや、青学が悪いんではないんですよ、強いのはもう誰もが認めるところだしこの後も他校の奮闘も期待したいところだが、青学の盤石な強さを今年も聞きながらの走りとなってしまうと駅伝にも面白味を感じなくなってしまう。そう言えばこの前青学の監督さんが旅番組で奥さんと一緒に箱根旅行に行っていた、何とか大作戦とかふざけた感じのキャラの監督だが、長年優勝できなかったチームを3年連続で優勝させているわけだからその手腕はもう確かなこと、でも他校もこの状況を指をくわえて見ていることはできないでしょう、来年はもっと上位の順位争いにも期待したいところである。ところでこの中継を聞いていてがっかりしたことがひとつ、10区間20校で200人近くいる選手の中には奈良県出身の選手が一人もいないと言うこと。確かに奈良は高校の駅伝の成績も下位から数えた方が早いほどの陸上後進県、有名な選手もいるわけでないから仕方ないが一人もいないと言うのは何とも淋しい話である。さて、こちら、自分(一人称)の走りの方は葛城市を南北に通る県道30号線へと入り、葛城山を右手に大きく見るようにして南へと進んで行く。












南阪奈道下の道の駅を過ぎて更に南へと進んで行くとやがて御所市へと入る、葛城山はさっきよりもはるかに大きく目の前に迫ってきている、県道30号線は起伏の多い道で高い所を通っているので、左手側には奈良盆地を見下ろすようにして走る。しばらく行くと近鉄御所駅から伸びて来た道との交差点へと差し掛かる、この道は葛城山ロープウェイの乗場に通じる道で、自分(一人称)も前に一度走ったことがあるが、結構な上り坂だった記憶がある。せっかくだし今回はロープウェイ乗場まで行ってみることにするか、と思い右へと曲がる・・・がこれがまたとんでもない急な上り坂、せっせせっせと上って行くと写真3枚目~6枚目にある分岐点へとたどり着く。地図で見るとロープウェイ乗場は分岐するどちらの道でも行くことができるが、看板の矢印がある道の方へと入って行く、ここは指示に従った方が良いだろうから・・・と思って上って行こうと思ったが、日差しはあっても山からの卸の風はきつくて寒く、上りは更にきつくなってきている、雰囲気も寂しい所で走っているうちに虚しくなってきた、上まで行ってもロープウェイに乗るわけでもないし山登りに来たわけでもないし、と言うことで途中で折り返してさっきの分岐点に戻って来た。まだまだ見ておきたいところや寄っておきたい所があるのでそちらを優先させることとして、分岐点から分かれるもうひとつの農道の方へと入って行く、今度は下りで県道まで一直線だが、道に沿う畑は段々になっていて今は冬の真っ只中で寂しい風景を晒しているが、いい季節になるとまた青や黄緑が映える風景となるのだろう。次に行こうと思っている所はその畑の中に立っている時計台、それはどんなものなのかは次回でのお伝えとしておきます、またお付き合いよろしくお願いします。        まちみち


No.726 各駅巡り・養老鉄道(1)、美濃路大垣宿

2017-04-26 08:29:08 | まち
おはようございます。













今回から新シリーズとして各駅巡り養老鉄道編をお送りしていくこととします、養老鉄道と言うと昨年の春に大垣駅から揖斐駅まで走っていますが今回は南の部分、桑名までを走ってみようと思います。去年走ったのはセンバツの開会式の日、奈良県民が久しぶりにいい夢を見させてもらった大会だったが、この時はまさかそんなことになろうとは夢にも、と言えば智辯学園に悪いか、開会式直後の試合も智辯学園だったからね。そして今回の各駅巡りもセンバツの開会式を聞きながらの走りとなりました。
出発はJR大垣駅前から、去年愛知の旅の最後にこの町を走りましたがその時はもう帰る時間を気にして駆け足で町を通り過ぎただけだったので、今回は・・・それでもそんなにゆっくりしているわけにはいかないのですが、何とかいろいろと風景を見ていきたいと思います。まずは駅前からの道を進んで美濃路をたどって行く、その経路は行く先に表示があるので割と分かりやすい。写真にあるようにタイル路になっている道が美濃路、駅に近い所で町の中心に当たる所だが、この道は町を要塞化したようにカクカクと曲がりを繰り返していて、町並も旧街道の雰囲気を漂わせたような感じでなかなか趣深い。その途中には写真6枚目にある古い道標、左右に京、江戸と行先のスケールは大きいが、大垣は鉄道では東と西を分ける交通の要所となる駅、在来線では西から来るとこの駅で初めて東京と言う行先をみて、東の旅への想いも強くなる所、鉄道のない時代でもこの道標はここを通る旅人の気分を駆り立ててくれる所となっていたのだろう・・・あ、そろそろ甲子園の方では開会式が始まりそうだ。








美濃路は中山道垂井宿から分岐して大垣、墨俣、羽島、一宮を経由して名古屋へと至る旧街道、昨年は愛知の旅の帰りにこの道を通って大垣まで走りました。以前には清州から羽島まで走ったこともあって、全部を走ってみようとは思っているのだが今のところなかなか機会に恵まれていない、昨年のうちには行っておきたかったが叶わなかった、果たして今年のうちに行けるかどうかだが・・・。甲子園の方では入場行進が始まっっていた、出場校の一番先頭の行進が智辯学園、良かった、皆で優勝旗を返しに来ることができて、それに一番先頭に出てくると言うのはラジオで聞いていても気分が盛り上がるものですねえ、来年もそうなることを願いたいところですが、さて、どうなることか。さあ、気分も盛り上がって来たところだし、走りの方もエンジンをかけていきたいところです、自転車やけどね。
















船町港近くへとやって来ました、写真1枚目にも「京、江戸」の道標、丸い形をしているのが珍しい。川の両岸は公園になっていてこれは桜かな、あと1ヶ月もすればこの辺りも花のトンネルとなるのだろう、そこを南へと進んで行くと写真4枚目~6枚目にある灯台へとたどり着く、何とも趣のある灯台はここが水運として発達していたことを示している。反対側の岸に行くと「奥の細道むすびの地」の看板、むすびの地と言うことは松尾芭蕉の旅もここで終わったと言うことだろうか。旅の心を駆り立ててくれる場所が終わりの地となるのは何か儚い気もするが、自分(一人称)の旅の方はここから、養老鉄道を桑名まで巡って行く旅の始まりとなります、次回もお付き合いよろしくお願いします。        まちみち

No.725 重要伝統的建造物群保存地区・祇園新橋

2017-04-25 01:56:44 | まち
おはようございます。














六道の辻から西へ向かって突き当たるのが大和大路通、建仁寺の西側を進んで行くと四条通、鴨川がもうすぐ近くで京阪の駅もあるのでこの辺りは人がいっぱいで休日の午後ともなると自転車では身動きができないほど。ただし四条通は自転車は歩道を通ることができず、車やバスがたくさん行き交う車道を進まされることになる、この辺りに来ると本当に京都は自転車に優しくない町だと思ってしまう。と言うことでここを回避してそのまま大和大路通を北へと入って行くとすぐに写真1枚目の石橋に差し掛かる、鴨川から分かれた小さな川が流れていて、橋を渡ってすぐ右に折れる石畳の道がその川、白川に沿って東へと伸びている、この辺りが祇園新橋の町並で重要伝統的建造物群保存地区に指定されている所である。白川の向こう側にはちょっと貧乏人には敷居が高そうな店、いかにも京都の「いちげんさんお断り」みたいな店がこの辺りにはひしめくように集まっている、まあ自分(一人称)は行きたいとは思いませんけどね。石畳の道を進んで行くと写真6枚目、7枚目にあるように川が折れて橋が架かっている場所へとたどり着く、まずは写真6枚目にある橋を渡って建物が両側から迫ってくるような狭い石畳の通りを抜けて行ってみましょう。








さっきはこれぞ祇園と言う感じの風景だったが、この狭い通りを抜けると東西に通る道は西に向かって右側には上の写真にあるような歴史を感じる古風な感じの店が建ち並び、向かって左側、向かい側になる所にはいわゆる歓楽街にあるようなスナックなどの店がテナントとして入るビルなどが軒を為している。四条通は京都でも一番賑やかと言ってもいい所だが、鴨川の東側には夜は賑やかになりそうな歓楽街が展開していて、古風な造りのザッツ祇園と言った感じの店と対局しているかのよう。この通りも右と左とで雰囲気が変わっていて、道の真ん中で結界が張られているかのよう、その結界は財布の中身によって右へ振れるか左へ振られるかとでも言ったところだが、いずれにしても自分(一人称)には関係ない話です。ここは風景を楽しむだけにして通り過ぎて、再び大和大路通へ、さっきの石橋を渡って今度は白川沿いの道へは入らず、もう一つ向こうの道へと入ってみましょう。









その道は写真1枚目にある新橋通りという名の通り、ここは写真2枚目以降にあるようにこれぞ祇園と言った感じの風景が繰り広げられている。石畳の道の両側にたつ家並は旧街道の雰囲気を感じる町並にある風景と言えばそれまでだが、軒先から玄関に一歩足を踏み入れるだけで財布に中身から福沢諭吉が何枚も消えて行くような所だろう。と言うよりもここもいちげんさんお断りな所ばかりだろう、いずれにしても野口英世を手放すのももったいないとためらってしまう自分(一人称)には縁も所縁もない所である。祇園に来てもその風景を楽しむだけが自分(一人称)の旅の形、祇園に来ても段差や地層などの痕跡を求めて歩き回るのがブラタモリの形、人それぞれの旅の形があってよろしいやないの。
ところで書いてて気になったんやけど「いちげんさんお断り」って、いわば初めての人はご遠慮くださいと言うことでしょ、となるといちげんさん出ない人の初めてはどうやって店に入ったのだろう。たとえそれが誰かの紹介だとしても、それじゃあその誰かの初めてはどうだったんだろう。何か、何かな~、卵が先かニワトリが先か、みたいな話やな~。いずれにしても「いちげんさんお断り」とはミステリー感漂う京都らしいお言葉であります、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。         まちみち


No.724 登録有形文化財巡り・たつの編

2017-04-24 10:30:40 | 文化財
おはようございます。


プロ野球が始まってそろそろ1ヶ月、どうしちゃったんでしょうかねえ日本ハム(F)、最下位街道まっしぐらです。どうしちゃったんでしょうかねえ楽天(E)、首位を独走してますやんか。で、本当にどうしちゃったんでしょうか、オリックス(Bu)・・・。まあまだ始まったばかりです、この先はどうなるのかは神のみぞ知ると言ったところでしょう、でも楽天(E)は頑張ってほしいなあ、もし優勝したら梨田監督はパ・リーグ3チームを優勝させた名監督になってしまう、ネタになる監督から名監督へ、さて、どうでしょうねえ~?









たつのの旅はこの前の山陽電鉄網干線各駅巡りでちょっと中途半端な形で終わったはずでしたが、忘れてた、登録有形文化財巡りのほうを。この走りの中でもいくつか文化財を見つけることができました、今回はつけたしとしてその模様をお送りしていきたいと思います。
まずはたつの市の揖保川に沿う所にある民家、道からは外壁の一部しか見ることはできないがその重厚そうな造りからして地元の有力者の住処だったと言うことがうかがえる。文化財のページを見るとその場所にはたくさんの文化財を示すマークがついている、広い家のあらゆる場所が文化財に指定されていると言うことだ。主屋、外壁、門、蔵、庭などそれぞれが一点の文化財として指定されているが、中には脱衣場や便所までが指定されている所があるが、プライベートに関わる場所まで指定されるとおちおち生活もできないんじゃないかと思ってしまう。












揖保川の西側にはたつのの古い町並が広がっている、それについては前にここでも紹介しました、今回この地域で巡った登録有形文化財は2件、ともに醤油に関係のある所でした。写真1枚目~5枚目にあるのが「ヒガシマル醤油」の醤油資料館、そして道を挟んだ所には製造蔵があった工場の後らしき建物、そう言えば川を渡る手前には大きなビルの製造工場がありました。下4枚の写真も元は醤油の製造工場の後らしき建物で、今は資料館やイベントの会場となっている様子、ここは龍野城址に近い所にあり、狭い道が何本も交差している所だが、その道沿いにもいくつか醤油の製造蔵があり、古き良き時代の雰囲気を漂わせている。でもやっぱり今は大量生産の時代、機械化が進み以前に紹介したような大きな工場でも製造が主流になって時代からは置かれていったと言う印象も。しかし先代の為した功績を残していくのも大事なこと、その偉業を忘れないようにと言う意味でも文化財に指定されたと言ったところでしょうか。










室津へとやって来てここでの文化財は写真1枚目~4枚目にある2件、ただしこれは国の登録有形文化財ではなくたつの市指定の文化財となっています。国指定、市指定、町指定と文化財にもいろいろとあるのですが、何か区別されるべき領域みたいなものがあるのでしょうか。自分(一人称)は室津の町が好きだしここの古い町並は国の登録有形文化財に値するものだと思うのですが、何か選定する人の意志によるものでもあるんでしょうかねえ・・・って言う話になるとどうしても『空から日本を見てみよう』での飛鳥寺と阿部文珠院の話を思い出してしまう、自分の寺で保存されている仏像が国宝に指定されたことを嬉しそうに語る阿部文珠院の僧侶、一方の飛鳥寺の歴史的にも名高い飛鳥大仏は一旦国宝の指定を外されて重要文化財に甘んじている(この表現が正しいかどうかは分からないが)。建物において国の登録有形文化財の場合は重要文化財に甘んじていると言う印象はないが、国指定と市町村指定となるとどうしてもその差を感じてしまう。
下3枚の写真は網干にある、こちらは国の登録有形文化財である民家、文化財巡りの中で面白いのはこういう何もない感じの町に突然と言った感じで現れるところにもあります、室津のように古い町並が連なっている所にはないのにね。自分(一人称)のイメージの中には網干と言う町は海が近くて工場が多くて電車の終点の駅があって・・・と特にステレオタイプのようにしかイメージの湧かない町だったが、国道をほんの少し入っただけの所にはこの民家を中心にして結構古い町並も展開している、イメージにとらわれてはいけないと言うことです。たつのにはもうしばらく行くことはないと思いますが、今回時間の予定ですっ飛ばした姫路市内などにもたくさんの文化財があります、今回の旅はやり残し感がたっぷりと残ったので、このGW期間中にでも行けたらいいんですけどねえ~、と言うことで次回もお付き合いよろしくお願いします。        まちみち