まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1231 お地蔵様で町巡り、京都市伏見区編

2019-11-28 08:23:34 | まち
おはようございます。












お地蔵様で町巡りシリーズ、今回は伏見桃山界隈を巡って行ってみようと思います、この辺りはJR、近鉄、京阪と3線が並行して走り、それぞれの路線に玄関口となる駅があります。一番東の山側にあるのがJR桃山駅、快速は停まらないが普通電車の本数は多く京都の中心部へ出るのも便利な所、駅は高台にあり駅前の道を下って行くと国道24号線へと突き当たる。この交差点はたくさんの人が行き来しているが、その行先となっているのがすぐそばにある御香宮神社、自分(一人称)は神社にはあまり興味が惹かれないのでここは境内にあった道標の写真を撮るだけとして、さあ、先へと進んで行ってみることとしましょう。




















国道24号線の交差点から更に下ると高架の近鉄桃山御陵前駅、更にすぐの所に京阪桃山駅が地上にあって、この辺りは人も車も行き来が激しい。両駅の間に線路に沿うように交差する道があるので、混雑を避けるようにそちらの方へと入る、とりあえず伏見の町巡りと言うことで中書島駅方面へと相棒君を進めて行く。この道も車の行き来は結構あるがそれでもやっと喧騒から逃れた感じ、京町通リと呼ばれる通りで少し南へと進みと旧街道の雰囲気が漂う町並を見ることができる。お地蔵様もいくつか見かけました、大きなお堂に収められたお地蔵様もいれば、小さなお社でこじんまりと佇むお地蔵様もいらっしゃいます。おやおや、ここでも変顔のお地蔵様が、バックはカラフルな色で飾られお顔はなぜか目が白目、千秋先輩か、ってツッコミを入れてしまいそう。京阪の踏切を渡ると酒造蔵が建ち並ぶ伏見の町並、たくさんの観光客が歩いています、そして雰囲気をぶち壊す観光バスもかなり内部まで踏み込んで入ってくる。川沿いの道に入ると土偶の足のような山門の寺院があるのでチョイとお邪魔することに、赤い旗には弁財天・・・「仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名である」・・・とある、まあ自分(一人称)が弁天と言って思い出すのが、やっぱり智辯学園なんですが・・・。












伏見と言うと思い出すのが幕末、京の町は戦乱の舞台となり幕末の志士がこの町を駆け巡りました。坂本龍馬やお龍さんが命からがらでこの町を駆け抜けたのがほんの150年前ちょっとの事、今はたくさんの観光客がその舞台となった寺田屋の前にやって来ては写真撮影をしたり、たくさんの地元の人たちがアーケードの商店街で買い物したりと、平和で穏やかな雰囲気の町となりました。ただ車や人が多いと自転車はどうしても肩身が狭くなってしまうもの、とりあえずアーケードの商店街を横切り丹波橋駅方面へと出る、やっと喧騒も落ち着いた辺りには小さな寺院があり、お地蔵様も至る所で見かけることができる。真っ直ぐ北へと進んで行くと近鉄線の高架に突き当たり、その下に沿って行くと近鉄伏見駅、区の名前を駅名としているのだから伏見区の代表駅なのか、と思ってしまいそうだがその座は丹波橋駅に譲ってここは普通しか停まらない駅、周辺は住宅地で国道24号線も隣接していて乗降客は多そうだ。ここから師団街道を経由して京都の中心部へ、町家が建ち並ぶ中にもたくさんのお地蔵様がありそうな気がするが、その巡りについてはまたいずれのお送りと言うことにして、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。         まちみち



No.1230 葛城市、映画『かぞくわり』の舞台を巡る

2019-11-26 09:25:07 | まち
おはようございます。




















ここ数年の間で奈良県を舞台にした映画を3本見ました。2年前には『天使のいる図書館』、この時はまだそれほどブレイクしていなかった小芝風花さん、今年は『トクサツガガガ』で見事なブレイクぶりとなりました。更にこの時は特撮(トッキュウジャーだったか)からやって来ただけだと思っていた相手役の男の子が今年大ブレイク、その名は横浜流星君、この時はふざけた名前な奴やな~の印象しかありませんでした。今年は『二階堂家物語』、自分(一人称)が昔住んでいた天理市が舞台、知っている風景が映画に流れて嬉しくなってしまいました。そしてこの間見たのが『かぞくわり』、前記の2本がエンタメ的な感じ・・・抽象的過ぎる、うまく言えない・・・で見たのに対して、この作品は一種衝撃的でした。その話については前にも書きました、大津皇子の魂を救うべく曼陀羅の絵を描き上げたどうしたかなさんは姿を消してしまいました、行方不明になったのか消えたのか死んだのか・・・、妹の娘は何か知っている感じでしたがその結末は見ている人に委ねると言う形で終わりました。自分(一人称)はハッピーエンドではないなあ、という印象でした、バッドエンドではない、でもハッピーでもない、このもやもやした感じを引きずったまま映画館を出るのはちょっと重いな~と思いましたが、上映後には監督と主演の陽月華さんの舞台挨拶があり、映画では消えてしまったかなさんがここにいてるわ、ってな感じで少し救われた気になりました。
とてつもなく前置きが長くなってしまいましたが、その映画『かぞくわり』のロケ地となった葛城市付近を巡りました、最終的には当麻寺から二上山付近を目指しての走りだったのですが、今回はそこに至るまでの導入部分である地域を走った記録です。まずは上に並べた写真、近鉄大阪線の築山駅から五位堂駅へ、真美ケ丘ニュータウンへの玄関口のイメージが強い五位堂だが、近鉄線の南側には環濠集落のような町並があり五位堂駅周辺には古い町並を見ることもできる。ただし道は狭く車が多いのでこの辺りは気をつけて進んで行かなければならない、旧街道風のいい雰囲気の町並も排気ガスをまき散らして走り去って行く車のおかげで興醒めになってしまう・・・。











JR和歌山線のJR五位堂駅・・・以前は駅名に「JR」が付いていると並走する私鉄に負けてるイメージがあったが最近はもう気にならなくなった・・・から南へ近鉄尺土駅方面へと進んで行く。相棒君でたどった道はずっと大和高田市と香芝市、葛城市の境界線の上だった、この道の上で事故が起こったらどこの警察署が出動するのか?などと『踊る大捜査線』での一幕を思い浮かべてしまった。JR五位堂駅から見える二上山はなかなかの凛々しさ、それが南に進むにつれて2つの頂上の距離が離れて行くダラ~ンとした姿へと変わっていく、ほんの数分でのその変わりようがなかなか面白かった、今度もう一度訪れて写真に収めてみようと思っています。














葛城市に入って近鉄南大阪線尺土駅、映画でもロケ地となっていた駅は特急停車駅だが市の中心駅の◎は御所線の近鉄新庄駅に譲っている。その御所線沿いに南へと進んで行くと疋田と言う町へとたどり着く、映画ではこの町がどうしたかなさんが住んでいる所となっている、この町並は何度か走っているのでスクリーンに映ったのを見ると、おお~ここやここや、と嬉しくなってしまった。いつもは明日香から二上山へ向かう時に通り過ぎるだけの町だが、小さな川に沿う町並には常夜燈や寺院があって気になる所だった、今回は映画のロケ地になったこともあってじっくり時間をかけて巡りました。川に沿う道を離れて住宅地へと入ると、ああ~、この辺りかな、かなさんの家があった所は・・・、映画の撮影の時は空き家だったとのことだが、その家を特定しようとするとまた地元の人に怪しまれるので、ここはサラリと通り過ぎることに。疋田の町を抜けると目の前に二上山が現れる、自分(一人称)がいつもここで言っているダラ~ンとしただらしない姿の二上山だが、もちろん地元の人からしたらそんな事言われるのは気に入らないですよね、すみません、こんな表現しかできなくて。それだけ真正面から見る二上山があまりにも凛々しくて美しい、自分(一人称)が住んでいる奈良市から見える二上山はボテッとした牡丹餅ですから・・・気を悪くされたらごめんなさい、そんなわけで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち



No.1229 都の記憶(1)

2019-11-25 09:27:07 | 
おはようございます。










日本の初代天皇は神武天皇、天照大神から数えて6代目となる人物ですがそもそも実在したんでしょうかねえ、まあ始まりを追い求めるとニワトリが先かタマゴが先か?になってしまいキリがないのでそこはスルーしておきましょう。その神武天皇が宮としたのが今の橿原神宮のある所、近鉄橿原神宮前駅には黄色のポストがありその後ろにはここが日本のはじまりと言うパネルが・・・あれ、変わってしまってますねえ。
と言うことで始まりました、都巡り、「都」と言うよりは「宮」、天皇の住まいの事です、天皇は変わる度に宮を変えていたとのことで、今回その宮があった場所を巡ってみることにしました。宮がコロコロと変わっていたのは藤原京ができるまで、と言うことは持統天皇(41代)までなのでそれまでの40人についてと言うことになるのですが、その中には九州や滋賀など行くことができない所や、一人の天皇がいくつも宮を変えていることもあるので、また何回かのシリーズでのお送りとなると思います、それでは早速行ってみることとしましょう。





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って言いながら2代綏靖天皇・・・難しい漢字ですねえ、「suizei」と読みます・・・についてはいきなりスルーです、宮は「葛城高丘宮」で御所市にあるのですが結構山の中で行くことができませんでした。
(3)は3代安寧天皇「片塩浮孔宮」、大和高田市の近鉄南大阪線高田市駅前の神社の一角にそれを示す碑が立っている、片塩、浮孔は大和高田市にある地名だからこの場所はすぐに分かりました。
(4)は4代懿徳天皇・・・読めないねえ、この漢字も、「itoku」と読みます。宮は「軽曲峡宮」、場所は橿原市の白橿町付近で近鉄岡寺駅から少し西に行った所の住宅地の一角、結構分かりにくい場所に碑が立っている。
(5)は5代孝昭天皇、宮は「掖上池心宮」、(5)のゾーン1枚目にある写真は今年の花園出場を決めた御所実、この辺りが宮があった場所に当たるらしい。高校周辺で宮の碑を探したが見つからなかった、もしかしたら校内にあるのかも・・・と思って調べてみると正門の南側の畑にあったらしい、完全に見落としてしまいました。御所実はこれまで3回花園で準優勝、今回こそ優勝を目指して頑張ってほしいところ、ちなみに前回の準優勝はこのブログを始めた翌々日のことでした。
(6)は6代孝安天皇、宮は「室秋津島宮」、ここは前回お送りした巨勢山古墳群と同じ場所にあり、この宮跡がある神社の奥には室宮山古墳が控えている。
(7)は7代孝霊天皇、宮は「黒田廬戸宮」、ここまでは橿原や御所と奈良盆地の南側に当たる地域にあったが、この宮は中央部に当たる田原本町にある。場所は近鉄黒田駅の近く、駅前には太子道が通っているが聖徳太子がこの道を利用するようになるのはまだまだもっと後の事。
(8)は8代孝元天皇、宮は「軽境原宮」、近鉄岡寺駅前の踏切の前には写真にあるような碑が立っている。4代天皇の宮にも「軽」の文字があったしここから東に行った所には軽寺・・・今後このシリーズでも取り上げることになる寺院跡・・・もあるので「軽」の文字に由縁がある所でしょうか。ところで先代の恒例天皇から続く系譜でこの孝元天皇の兄妹に当たる人物の中に「倭迹迹日百襲姫命」の名がある、この人物の墓は桜井市にある箸墓古墳、と言うことはこの女性はもしかしたら卑弥呼?の可能性も。ただここまでの天皇については100年以上、中には130年以上生存していた人もいるとかでイマイチ実在性に乏しい、卑弥呼の実在性、邪馬台国の存在もまだまだロマンの霧の中と言った感じです。






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(9)は9代開化天皇、宮は「春日率川宮」、「春日」とあるから奈良市界隈か、奈良市の中心部を通るやすらぎの道沿いに率川神社と言う名の神社があってそこが宮跡とされている。と言うことで行ってみたのですが境内には宮の跡を示すものはなし、看板にはこの神社の始まりが593年、推古天皇の時代とあるから天皇の宮がこの場所にあったと言うことだけであまり関連はないのかも。
(10)は10代崇神天皇、宮は「磯城瑞籬宮」、場所は山の辺の道の終点となる桜井市の海柘榴市の近く。
(11)(12)はそれぞれ11代垂仁天皇、12代景行天皇の宮に当たる場所にある碑。垂仁天皇は「纒向珠城宮」、景行天皇は「纒向日代宮」、両方とも桜井市の国道169号線、相撲神社バス停から東へと緩やかな上り坂を進んで行った所にあってそれほど距離が離れていない。前回御所の古墳巡りで訪れた古墳の中に日本武尊の墓があったが、その日本武尊の父が景行天皇に当たる、ここまでの歴代天皇は世襲で受け継がれているが日本武尊は皇位には着いていない、東国平定の旅の途中で亡くなってしまったからだとあります。天皇はその後「志賀高穴穂宮」に滞在しそこで亡くなってしまい、その宮は子の13代成務天皇に継がれることになる。と言うことで次代の志賀高穴穂宮については未訪、更に14代仲哀天皇については宮が山口、福岡・・・熊襲討伐のための滞在で宮となっているらしい・・・、とても行ける場所ではないのでスルーとして、次回は15代天皇の宮からお送りしていきたいと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち









No.1228 奈良の古墳巡り(5)・・・御所市編

2019-11-24 10:16:27 | 文化財
おはようございます。















奈良の古墳巡り、今回は御所市にある古墳を巡って行こうと思います、御所市は奈良県の中では地味なイメージがある市ですが歴史に関してはなかなか興味深い所、名の知れた大きな古墳はありませんがいろいろと見所がありました、早速行ってみることしましょう。
まずは写真1枚目、2枚目にある遠目にある古墳が飯豊天皇陵、飯豊天皇・・・あまり馴染みのない名前ですが清寧天皇(22代)の死後、政権の指揮者が決まらない時期に臨時に皇位についた女性とのこと、あくまでも代理とのことで歴代天皇の中に名前は重ねられていません。いきなり話は逸れるが「飯豊」はそのまま「iitoyo」と読む、い飯豊まりえって女優さんもそうですね、でも競馬好きな自分(一人称)は「iide」の方がイメージ強いんだよなあ。トウカイテイオーが勝ったダービーにはセゾン、シビア、サターン、3頭のイイデを冠する馬が走っていた、東北にある飯豊山が冠名の基になっていたとのことです、まあ漢字の読み方は難しいなあ・・・と思っていたら写真一番下にある「日本武尊」、「nihonbuson」・・・違う違う、これで「yamatotakeru」と読みます。日本武尊白鳥陵は畿内に3つあるヤマトタケルの陵墓のうちの一つ、歴史的に結構名前が知られている人物の墓が3つもあると言うのも変な話だが、その1つが御所の山里にひっそりとあるのがなんとも奥ゆかしい感じです。





















日本武尊の古墳がある所から国道309号線へと出て西へ、一番下の写真には「條」と言う変な名前のバス停があるが、この周辺にはたくさんの古墳が点在していてそれらは巨勢山古墳群に属している。京奈和の高架道が通っている所だが風景は緑色が支配している所、その中でどれが古墳なのか・・・とりあえず緑の色の濃さやポコッとした丘など、ある程度それかな、これかな、と思ったものはいくつかある。でも不確実にあれこれと決めつけるのは行けないのでここはグーグルマップで検索して巡って行く。特に有名な名前の知れた人物の陵墓はなく、どれもそれほど規模が大きくないものばかり、それらが狭い範囲に集まっているので巡り走りにはちょうどいい具合、国道309号線から少し離れた所にある町並も静かでいい雰囲気。しかしこの巨勢山古墳群、以前には地元のゴルフ場が無許可で拡張工事したために一部の古墳が破壊されてしまうと言う憂き目に合っている、何とも痛々しい話です・・・。










場所は変わってJR和歌山線掖上駅付近、駅の裏の山道を進んで行くと割と大きな古墳へとたどり着く。看板には掖上鑵子塚古墳とある、難しい漢字に難しい読み方、現地で看板を見るまでは何と読むか分からなかった。位置的にさっき訪れた古墳群と同じ一帯になるのだろうが、小規模な古墳が多かった古墳群の中では2番目の大きさと言うことでこの地の有力者の墓だと言う説も浮かんでいる。最後は高取町に入って近鉄市尾駅の近くにある古墳、集落を離れた田園風景の中にポコッとした緑色が鮮やかな丘が見えてくる。6世紀から8世紀頃にかけてこの地を支配していた巨勢氏の墓だと言うこと、巨勢山古墳群の巨勢と名前がつながっているしこの付近にはその名のついた寺院跡や道もあるから、この地に所縁のある一族だったことが分かる。そんなわけで御所の古墳巡り、最後は高取まで足を伸ばしましたがとりあえずここらで終わりとしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。         まちみち



No.1227 お地蔵様で町巡り・城陽市編

2019-11-20 07:46:59 | まち
おはようございます。













お地蔵様で町、道巡りシリーズ、各駅巡りのように遠出しなくていいし万葉歌碑のように場所は特定できても数がそんなにないわけだし、それらに比べると町並を走ると必ず見られると言ってもいい具合、その分ここでお送りする頻度も増えてきました。今回は京都府井手町から城陽市へ、いつもは何気なく走っていた所をお地蔵様を巡りながら進んで行ってみようと思います。
・・・などと言いながらいきなり最初のゾーンではお地蔵様のお姿はなし、1枚目にお堂がチラリと写っているだけ、このゾーンでは井手町のJR玉水駅付近の風景をお送りしています。奈良から国道24号線を北へ、山城町で旧奈良街道=山城古道へと入りJR奈良線沿いを進んで行くと天井川の下をくぐる辺りで井手町へと入る。踏切を渡ると旧街道の雰囲気が漂う商店街、一歩道を逸れて狭い道を入ると寺院を囲むようにして民家が建ち並ぶ所へと入って行く。地元の人だけが当たり前の顔つきで行き来する道、自分(一人称)のような変わり者の旅人じゃない限りは足も踏み入れないような町並が狭い範囲の中に展開している。ただ闇雲に走って地元の人に迷惑をかけるわけにもいかない、ここはすぐに引き上げて先へと急ぐことにしよう。



















城陽市に入って旧街道を逸れてJR山城青谷駅方面へ、駅付近には酒造会社があり趣のある建物もいくつか見ることができる。京都まで走る時は国道24号線か旧街道を利用するためこの駅を通る機会は滅多にない、このような町並があったことは全然知らなかった。その後はJR奈良線沿いを進んで長池界隈へ、旧街道へと合流して踏切を渡るとJR長池駅へと通じる町並、この辺りではいくつかのお地蔵様が旅人を迎えてくれる、いや、地元の人たちを見守っているのか・・・。やがてJR長池駅へとたどり着く、この駅は京都へ行く時にはいつも最初のトイレ休憩をする場所、昔は風情のある駅舎だったがそれも顔色のない橋上駅となって久しい、でも駅の外にトイレがあってくれるのはありがたい、奈良を出るとこの辺りがちょうどポイントとなるのでいつも利用させてもらっています。















JR長池駅を出ると旧街道は国道24号線と合流、そのまま約500メートル程はJR奈良線と国道に挟まれた狭い歩道を進んで行くことにする。その国道24号線と分かれて再び旧街道へ、もう何度も走ったことがある道もお地蔵様を探しながらの再発見の走り、沿道ではいくつかのお地蔵様を見かける。しかしこの辺りはどれもお堂に囲われていてお顔は格子の扉の向こう、どんな表情をなさっているのかが分からない。JR城陽駅は東側の出口はバスの乗場があったりして栄えているが、旧街道が通る西側は開発されないでそのままの風景が残っている、しかしこの辺りは道が狭くて東側から車がやってきて旧街道を我が物顔で走るので危なくて仕方ない。やがて久津川のコンビニのある交差点へ、このコンビニが自分(一人称)が京都や大津へ行く時にいつも朝食休憩で利用させてもらっている所、朝食と言ってもパンとコーヒー牛乳を店の前で、サドルにスマホを置いて地図の確認をしながら立ち食いするだけ。そう言えば最近のコンビニはイートインを利用する際には消費税10パーセントが徴収されるためそのことを言わなければならないらしい、何か面倒な時代になっちゃいましたね~。旧街道を先へと進んで行くとやがて宇治市へと入る、そのすぐの所に神社の鳥居と並んでお地蔵様のお堂が建っている、格子の中のお顔を除いてみると白塗りされていてユーモラスな顔になっている、でもこんな化粧をして罰が当たらないんでしょうか・・・。この地域ではよく見かけることになる変顔のお地蔵様、次回はもっといろいろと巡って行ってみることとしましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち