まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.2130 東播磨の旅2024年夏編(1)・・・高砂市にて三角点巡り

2024-08-31 11:20:29 | みち
よろしくお願いします。






【荒井 標高=3.4 m 四等三角点】



【高砂市民病院 標高=3.69 m 四等三角点】

【市民プール 標高=1.85 m 四等三角点】

【高砂南高校 標高=3.03 m 四等三角点】

7月のとある週末、暑いし海が見たいな~と思い明石に行こうと決めたのですが、前日は遅くまで仕事、帰ってからはコインランドリーとで寝たのが午前2時半過ぎ、当然朝一の電車の時間に起きることはできません。目が覚めたのは5時半頃、でももう20分後にはJR奈良駅にいてました。ホームに上ると行先表示に回送の文字、そこにやって来たのが『まほろば』仕様の3両編成の特急電車、昨夜『らくラクやまと』として運行された車両が今日は『まほろば』として走るので、これから大阪へと向かうのだろう。その後にやって来た大阪駅行の快速に乗車、大阪駅からは姫路行快速に乗車、座席が確保できたのでしばらくの間ZZZ・・・、目が覚めた時は明石の手前だった。下車したのはJR曽根駅、レトロな雰囲気の駅舎の前で相棒君を立ち上げて出発、駅前を通っている旧西国街道を神戸方面に向けて進んで行きます。







【沖浜ポンプ場 標高=3.24 m 四等三角点】


【高砂 標高=14.27 m 四等三角点】

【商工会議所 標高=2.72 m 四等三角点】











走りは途中で進路を変えて海側の県道へと出る、円形の庁舎が目を引く高砂市役所の前を通り過ぎるとそろそろ高砂市の中心部へと差し掛かってくる。この町での目的は三角点巡り、地図サイトを見るとこの辺りにいくつか印が付いている、と言うことで兵庫県内での巡りはここから始まりとなります。最初の目的地は山陽電鉄荒井駅に近い所にある小学校、ここでは標石は見つけられず、やはりそう甘くはないか、と思ったが次の病院前を通る遊歩道、山陽電鉄線を越えた所の住宅地では標石を見つけることができてまずは順調なスタートと言ったところ。荒井駅の南のエリアは工業地帯と住宅地が隣接していてそんなに走りたいとは思わない所、三角点巡りでもなければ来ることもないだろうな、って三角点を巡る人自体いるわけがない、休日の午前、この辺りはひっそりとしていて車だけがたくさん通り過ぎて行っている。


しばらく走ると前に見たことがある風景の場所へとやって来た、そこは元国鉄の高砂駅があった所、加古川駅から分岐していた高砂線が鶴林寺を経由してここまで走っていた、この場所がその路線の終点だった所である。駅があった場所には車輪のモニュメントと説明板、すぐ横には大きな寺院、反対側には時代を感じる商店街、この日は朝市みたいなのが行われていてその商店街は結構賑わっていた。少しだけ山陽高砂駅方へ進んだ所には前に『newsおかえり』のNDYのコーナーで取り上げられていたツギハギだらけの建物、銭湯とのことだが建物は真っ黒にすすけている。高砂線には蒸気機関車が走っていてその煙とすすで建物が真っ黒になってしまったとのこと、洗濯物にすすが被らないように建物を増築していってツギハギだらけになったとのことです。そのすぐ先には横断歩道があってそこをわたると遊歩道となっている、そこが廃線跡とのこと、行ってみることとしよう。










【3469 標高=2.446 m 二等水準点】





【栄町 標高=5.82 m 四等三角点】

ここは前にも来たことがある、廃線跡の雰囲気がうかがえる腕木式信号機と分岐点のポイントのレバーはまだ残されているんだ、その分岐点は右に行く方が高砂線、左側に分かれた路線は工業地帯への貨物線となっていた。高砂線跡は緩やかにカーブして山陽電鉄高砂駅前の自転車置場・・・そこが元国鉄高砂北口駅があった所・・・を通り抜けて、更に線路沿いに進んで加古川へと突き当たっている。全区間が車が通ることができない遊歩道だが高砂市道101号線に指定されている、町の発展を担ってくれた鉄道に敬意を評して市道指定してくれたのだろうか。高砂駅近くでは水準点、加古川沿いでは標石は見つけられなかったが三角点を巡り、この町での三角点巡りはこれにて終了、加古川を渡って明石を目指そうと思ったのですがこのまま高砂を去るのはちょっと惜しい気が・・・、と言うことで町の中心部へと戻り、もう少しだけこの町を巡ってみることとします、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2129 結局『DYAI』って何なん???

2024-08-27 08:20:07 | 鉄道
よろしくお願いします。














今回は京都での巡りをお送りするのですが、京都と言うことで少しだけ甲子園の話を。京都と言うと自分(一人称)が知ってる中では京都商、京都成章、龍谷大平安、京都外大西と準優勝ばかりでしたが京都国際が京都府勢として68年ぶりの優勝、ところがニュースでは韓国語の校歌を巡って中傷誹謗が飛び交っているとのこと、あまりにも悲しすぎます。なぜ普通に甲子園での快挙を祝ってあげることができないんだ、政治家までがなんやかんやと挙げていてそれに同調する声も多いとか・・・。甲子園の長い歴史の中で頂点に上り詰め旗を持ち帰ることができた新しい1校が増えただけの話です、もう気分が悪くなるような誹謗中傷はやめましょう。ドラマ『しょせん他人事ですから』でもやってるでしょ、書き込みした人が特定されて悲惨な目に合っている様を、書き込みした人にはいつかしっぺ返しが来ますよ。さあ、気分の悪い話は終わりにして本文と行きましょう。


前回、京都での走りの記録の時に『DYAI』とわけの分からない4文字を紹介したのですが、これは何ぞや???実はこれのことです↓↓↓



とある保育園の壁の右端に描かれていますね、『ドクター(D)イエローに(Y)会いに(A)行こう(I)』略してDYAIです、生まれてこの方、いまだに実際にドクターイエローを見たことがないんですよねえ~。しかも来年には引退してしまうとのこと、見られる機関が限られてしまうこととなった今、これはぜひとも見ておきたいと言うことなのですが、ドクターイエローっていつ走っているの?そんなわけでネットでいろいろ調べてみて走行日の予想のページでこの日が挙がっていたので来たわけです、ただ走行の方向と走行通過時刻についてはこれも予想の域が出ないので、とりあえず上下粗方の時間を押さえて新幹線が見られる場所へと向かいました。まずはいつもの大山崎町の歩道橋、下り列車の予想時間に合わせて数分ほど陣取っていたのですが、やはり初心者が付け焼き刃の知識だけで目標を捕まえるのは難しい、この場所での出会いはなりませんでした↓↓↓




























上りの時間に合わせてやって来たのは京都駅、前に新幹線の写真を撮った京都駅のホームが見える跨線橋です。ここでも結構長い時間をとって待ち伏せしたのですがやはり撃沈、そう甘くはないようです。家に帰ってからドクターイエローについていろいろと見て回ったのですが、目撃情報のページがあったのでそこを見てみるとこの日は走行日の翌日と言うことで、結局は無駄足だったとのことでした。まあそれは予想した通りです、ただ残された時間はあまりありません、8月の走行予想日には週末に当たっている日があるので、その日に望みを託してみることにします・・・と言うことでDYAI計画第2弾は、今度は準備万端で実行しました。果してドクターイエローに出会えたのかどうなのか、そのお話についてはまたいずれと言うことで、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2128 大阪メトロで気まま鉄巡り(2)・・・巡りの目的は?

2024-08-26 08:25:09 | 鉄道
よろしくお願いします。
















この日は相棒君にはお休みいただいて大阪市内中心部を鉄巡り、前回は新大阪駅だけで1枠を費やしてしまいました。大阪メトロ梅田駅にやって来て1日乗車券を購入、いよいよ各路線を巡って行くことと・・・とは違うんですよね、今回は。上のゾーンの写真を見ても分かるようにこの日の目的は百葉箱、なんやかんやシリーズで取り上げたものはほとんどが小学校にあるものでしたが、駅のホームに百葉箱とは、これは絶対に巡っておきたいと思い出向くことにしました。そしてこの巡りから数日後にこの百葉箱がホームから撤去されると言うニュースが出たわけで、結果的にはタイムリーな巡りとなってしまいました。巡りの始まりは「梅田駅御堂筋線ホーム」、10年以上ぶりにこの駅にやって来たがずいぶんきれいなホームになっている。次に一駅だけ電車で進んで「淀屋橋駅御堂筋線ホーム」、その後は再び梅田駅に戻り徒歩にて「西梅田駅四つ橋線ホーム」、行ったり来たりになってしまったが巡りはまずは順調にスタートです。

















四つ橋線~中央線と乗り継いで「堺筋本町駅堺筋線ホーム」、そこから一駅だけ進んで南森町駅、更に一駅行って「天満橋駅谷町線ホーム」、この辺りは昔よく来ていた所だがその頃の記憶とは全く違った感じになっている、まさに浦島太郎状態。ここまで巡ってきた百葉箱は4駅、全部で7駅なのでもう半分は終わった、なかなかいいペースだ、次の駅はちょっと離れているのでここからは地上へと出て徒歩にて大阪城へと向かいました。いつもは自転車で走るので天守閣までは入って行けないが、この時は徒歩なので天守の根元まで行ってみる。昔は何度か来たことがあるが自転車で来るようになってからはここまで来ることはなかった、それにしてもやっぱり人が多いなあ、それも外国人の姿が目立つ、その辺りは奈良や京都とも同じ、この間行って来た金沢でもそうだったですからね。さて、次の移動は地下鉄ではなく森ノ宮駅まで歩いてJR大阪環状線でほんの数分だけ、地下鉄との連絡駅である鶴橋駅まで向かいます。
















JR鶴橋駅の改札を向けると周囲の雰囲気は雑然としていて地下鉄の入口がどこか分からなかった、こんな所にあったのか~、のような階段を下りて行くと大阪メトロの「鶴橋駅千日前線ホーム」、百葉箱もすぐ見つけることができた。千日前線と言うと一昔前は古ぼけた車両が走っていてちょっと不憫なイメージもあったが今はきれいな車両が走っている、ただ路線はほとんどが近鉄~阪神と沿っているので列車は4両編成で乗客数もそれほど多くなさそう。阿波座駅で中央線に乗り換えて海底トンネルを抜けて南港へと出て終点のコスモスクエア駅で下車、中央線とポートライナーのホームは2層になっていて、その上が改札口で地上へと出る。駅の外へと出ると海はもうすぐのところにある、ただ見える風景は広がりのある海ではなく、向こう側には工場やクレーンなどであまりいい気分にはならない。そろそろ雨が降りそうな空模様で風景も煙って見える感じ、写真では薄っすらと明石海峡大橋が写っているが実際には全然見えなかった、今度晴れた日に見えるかどうかまた確認しに行こうかと思います。この後はポートライナーに乗って住之江へ、更に大阪メトロの巡りは続くのですがその記録については次回と言うことにしておきます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち







No.2127 いろいろあった甲子園でした

2024-08-24 23:55:55 | 日記
よろしくお願いします。


夏の甲子園が終わりました、夢も希望もなくなりました・・・って最近こればっかりですが。甲子園が終わると季節は一気に秋になった気がするんですよね、いや、まだ暑いことは暑いです、ただその暑さは夏の暑さと言うよりは秋を迎えての暑さ、って言うか、まあ感じ方は人それぞれじゃないですか。さて、その甲子園は京都国際の優勝で終わりました、ホームに並んで校歌を歌う選手たちはみんな丸坊主、思えば去年優勝した慶応の監督はなんやかんや勝ったら何でも言えるって感じで話してましたが、丸坊主もまた選手の自主性と言った感じです。



甲子園が始まる前に自分(一人称)は今年は京都国際が強いと書きましたが、まさにその結果となってしまいました、智辯学園も完敗でした。決勝は関東一との対戦、こちらもセンバツはあるものの夏は初めての決勝進出、決勝は息詰まる投手戦で両チームの守備が光りました。スコアは0-0のまま9回で決着はつかず、試合は延長タイブレークとなったわけですが、決勝くらいは普通に延長もやらせてあげられないんですかねえ、裏表条件はいっしょとは言えこんな点取りゲームで旗の行方を決めてしまうのは、選手たちも何のためにここまでキツい練習をしてきたんだ・・・と思ってしまうんじゃないでしょうか。


7回制、タイブレーク、暑さ対策、低反発バット、決めるのはみんな大人や運営、でも選手たちの意見では7回制は反対が多くどんなに暑くてもやっぱり甲子園でやりたいと言う意見が多かったとのことでした。「選手の健康を考えて」クーラーの効いた部屋で考えた大人たちが言うことはそればかり、それが選手や指導者に受け入れられていない現実が浮き彫りになった感じがしました。タイブレークはやっぱりやめた方がいい、は今更だがせめて決勝は12回くらいまで普通にやらせてあげた方がいいかも。暑さ対策は難しいですね、今年も足がつる選手がたくさん出てそのたびに試合が中断してしまいました。いろんな人がドームでやれば、10月にやればとかいろいろと意見を出していますが、やっぱり甲子園は「君よ8月に熱くなれ」なんだよな、で選手たちの8割もそれを望んでいる。こうなるとどうでしょ、いっそのこと甲子園に屋根を着けてしまうとか・・・ってことで考えたのですが、甲子園を覆うくらいのドローンを飛ばして直射日光を遮るとか、そのドローンで幕を垂らして直射日光を遮るとか・・・、まあムチャすぎる話ですね、これは。



今年は低反発バットの採用で本塁打が激減、野球がちょっと変わってしまった大会となりました。報徳学園、智辯和歌山、大阪桐蔭と強豪が早くに消えたのもその辺りが原因となったのかも知れません、バントをキッチリと決め守備を卒なくこなす、そんなチームが躍動した大会、その象徴だったのが大社と関東一ではなかったのではないでしょうか。毎回大会が終わった後に自分なりのベストゲームを挙げさせてもらっているのですが今回は2つです、ひとつは予想外に頑張った智辯学園・・・ってわけないでしょ、秋の大会頑張って来年のセンバツに戻って来れるようお願いしますよ、小坂さん。ひとつは大社vs早実、やっぱりこの試合は外せません、特に9回裏の早実の7-3-2、延長タイブレークではバントにこだわった監督の作戦に見事に応えた選手たち、自分(一人称)は輪行の電車の中でバーチャルで見ていたのですが・・・最後のサヨナラの場面は見れなかった・・・思わず声が出そうになりました。所詮は山陰のチーム、だと思ったのがセンバツ準優勝校を敗ってからの快進撃、低反発バットはいわゆる弱小校にチャンスをくれるアイテムとなってくれそうです。



もうひとつは準々決勝の関東一vs東海大相模、ここから決勝までの3試合、ホントに関東一の守備が光ってました。この試合はどちらが関東の雄として残るかの一大勝負と言った感じ、その中で関東一の守備がものすごく印象に残ったんですよね、派手さはなくてもキッチリとアウトを取る、まさに基本中の基本ですよ、これをやってれば負けないと言うお手本を見せてくれました。準決勝の神村学園戦、9回のバックホームが奇跡の何とかとかネットで言われているみたいですが、あれもチームにとっては当たり前に練習の成果でしょう。だからこそ素晴らしい守備を見せてくれた決勝戦、あんな点取りゲームで終わらせるようなことはしてほしくなかったのですが・・・。相変わらず高校野球の話になると鬱陶しいくらいに長文になってしまいますね、申し訳ありません、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2126 福井の旅(8)・・・だるまちゃんと紫式部ちゃん

2024-08-21 08:24:50 | 旅行記
よろしくお願いします。






福井の旅2日目、まだ武生の町にいています、敦賀までの距離を考えるとアップダウンはあるもののそれほど長さは感じないので、時間に余裕を持たせた走りをと考えていたのですが、それにしてもちょっとこの町に長居しています。福井鉄道北府駅、町の中心部の登録有形文化財巡りと来てこの町の最後の目的は紫式部、まあ相変わらずタイムリーな話題に乗っかかるのは僕の悪い癖なのですがやはり巡っておきたい所です、行ってみることとしましょう。

















町の中心部から離れた所にある公園にちょっと気になる場所があったが、さすがにもう急がなければならないことだしコンビニがあったので朝食をとりたかったのでそこはスルーすることに。朝食後に走り始めて市道を進んで行くとレンガ造り様式の2棟の建物が並ぶ所へとたどり着いた、看板には『かごさとしふるさと絵本館』と書かれている。鹿児島市じゃないよ、ひらがなだったのでピンと来なかったがかごさとしとは人名で、自分(一人称)も子供の頃に詠んだことがある「だるまちゃんとかみなりちゃん」の原作者とのこと。実はさっき気になった場所と言うのがだるまちゃん広場で、町中を走っている時もだるまちゃんとかみなりちゃんが描かれた看板も度々見かけた、原作者がこの町の出身と言うことである。「だるまちゃんとかみなりちゃん」が1968年の作品と言うことで、ちょうど自分(一人称)の世代が一番ピッタリに当たることになる、あの絵が何十年前の懐かしい記憶を思い出させてくれました。ただもちろん絵本館には寄ることはできず、この建物から始まる遊歩道が目指すべく場所まで続いているので、先を急ぐこととします。
























そんなわけでたどり着いたのは紫式部公園、いくつかの歌碑に囲まれて中央部には金ぴかの吉高由里子が立っています。大河はもちろん毎週見ていますが福井が舞台となったのはほんの数回だけ、ドラマを見ていて紫式部=まひろが本当にこの場所に思い入れがあったのかと思いました。歌碑にはドラマでも読まれた歌はありましたが、宋の男となんやかんやあってその後は結婚するから京に帰るわ~、ってこうなるとちょっとマイナスなイメージがつきかねない気もしました、まあ市役所や町中に描かれた萌えキャラ風の紫式部だったらそう言いそうな感じですけどね。紫式部の夫・藤原宣孝についてはこの前ちょっとだけ触れましたかね、田原本町の鍵・唐古地区にある集落が藤原宣孝の荘園だったとのこと、町を巡っていて立ち寄った神社にあった看板でこの名前を見かけて、まあ~何てタイムリーなことと思いました。ドラマももう後半戦、まひろがやっと紫式部となる時が来たみたいですが、やっとかよ~ってな感じ、思えば朝ドラ『花子とアン』でも主人公が世に知られることになったのは後半過ぎ頃、吉高由里子さんには遅咲きの女性の役が似合うのでしょうか?今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち