おはようございます。
JR奈良駅、自分(一人称)の人生の中では一番多く利用している駅です。今は周辺は整理されてしまい駅も高架化されて久しくなりましたが、画像で昔の奈良駅を見て懐かしい記憶がいろいろと甦ってきました。今回はそんな奈良駅の話でもしてみようかと思います。
まだ国鉄の時代、自分(一人称)は天理市に住んでいたので奈良へ出る時は大概はバスは高いので桜井線を使っていました。奈良駅では桜井線はほとんどが1番線に到着、その1番線はそこで行き止まりになっていて、隣の線は貨物を下すホームでよく電気機関車が停まっているのを見たことがあります。跨線橋を渡って大阪方面は3、4番線、京都方面は5、6番線、ただ京都へはいつも近鉄を利用しているので、こちらのホームには行く機会はほとんどなし。大阪方面へ行く時は写真3枚目にある赤い帯の快速電車、昔はこれ乗るの楽しみやったなあ、何か遠くへ行くんだなあと言うワクワク感があった。その後は25年間通勤に使った路線、もう見飽きた風景ばかりですが、この頃は向かい合う座席に座って窓の外の景色を見るのが何よりも楽しみでした。
奈良県は沖縄県を除く全国で唯一の特急も急行も走っていない県、でも昔は急行『しらはま』が京都、名古屋~白浜間を桜井線、和歌山線経由で、急行『かすが』が名古屋~奈良間で走っていました。ただ自分(一人称)は1度も乗ったことはないままなくなってしまった、奈良線、関西本線は子供の頃は全然乗ったことがなかった。昔の時刻表を見ると、桜井線はまだ電化前で奈良線、関西線との直通も結構あって、桜井~亀山間と今では考えられない区間を走っていた列車もありました。その頃は乗車口が1段高いディーゼル車両、下にある写真に写っている、昔懐かしな気持ちにさせてくれる車両でした。
2番線ホームは異様に長く、列車を下りてきた人は皆そこを通って改札へと向かいます。上の写真1枚目が昔の国鉄奈良駅、寺院風の造りの駅舎は一番最初の写真にもあるように今も健在ですが、高架化される時には壊されるかも知れないと言う話もありました。まあ何とか残してもらえることになり、高架工事中は駅舎ごと移動させられたりしていましたが、高架駅完成後はほとんど元にあった所と戻され、今は観光案内所として余生を過ごしていると言ったところです。
上の写真1枚目、2枚目を見てお分かりの通り、昔の奈良駅は構内が広く、6番線の向こうには車庫と転車台がありました。自分(一人称)は6番線ホームには行くことがなかったのではっきりとは見たことなかったし、普通にあるものだと思ってたものなのでそんなに気にはかけてなかったが、今となっては保存しておいたら観光名所にでもなったのでは・・・とも思います、まあ自分(一人称)が決められるわけじゃないから仕方ないけど。その下の写真は今では奈良では見ることができなくなったディーゼル車両の並んだ風景、この頃は奈良県では関西本線(奈良~湊町、当時)以外は非電化区間のローカル線、本数は今とは数段に少なかったが、ディーゼル車両が我が物顔で県内を走っていた。その後は桜井線、奈良線、和歌山線と電化されて一気に奈良県は電化率100%へ、関西本線も加茂まで電化されて、快速も半分が加茂発となった。国鉄からJRに代わり、関西本線を走っていたディーゼル車両はリニューアルされて、県内を賑わせていた車両は1往復のみ残った急行『かすが』のみ。やがてその急行は廃止されて奈良県は優等列車空白の時代に、加茂を通り越して奈良まで乗り入れていたディーゼル車両も来なくなって、ついに奈良県からディーゼル車両が消えてしまった。隣の三重県はまだまだ非電化区間も多くて古いディーゼル車両を多く見ることはできるが、奈良県は沖縄を除く全国では唯一ディーゼル車両が全く走っていない県、それはそれで寂しい話です。
さて、そんな昔懐かしい国鉄奈良駅とその周辺の風景、今はどうなってしまっているのかと言うのが、この下に貼り付けた写真にある通りです。
高架化された駅は少しその広いスペースを持て余している感じもするが、休日は外国人の観光客も多く、京都には及ばないが国際的観光地の名目を保っている奈良の玄関口として機能を果たしている。駅周辺を巡ってみましょう。まず写真1枚目は奈良駅の西側にある奈良100年会館付近、右端に見えている日航ホテルは上の転車台跡の写真にも写っているので、この辺りは車庫のあった端っこ辺りになると思います。国鉄時代の写真の中に線路の上に架かっている跨線橋があるが、それは県道1号線、奈良駅が高架工事に入ると道は封鎖され、跨線橋は外され、奈良駅に近い所に地下を通る道を代わりに作って駅の東西を結んでいた。高架化が完成後の姿が写真2枚目から5枚目にある通り、工事中は封鎖されていた県道1号線は地上に復活して、無機質な高架橋の下を通り抜けている。写真3枚目は大和路線と万葉まほろば線が分岐する所、その下の荒地になっている辺りが国鉄時代の写真にある所となるはずだが、その頃の痕跡など全く今は見ることはできない。もうここには昭和の自分(一人称)が子供の頃の国鉄奈良駅の面影はないが、この先も国際的観光地の玄関口として君臨していってほしいと思います。さあ、時間となってしまいました、今回は是にて終了としておきます。 まちみち
JR奈良駅、自分(一人称)の人生の中では一番多く利用している駅です。今は周辺は整理されてしまい駅も高架化されて久しくなりましたが、画像で昔の奈良駅を見て懐かしい記憶がいろいろと甦ってきました。今回はそんな奈良駅の話でもしてみようかと思います。
まだ国鉄の時代、自分(一人称)は天理市に住んでいたので奈良へ出る時は大概はバスは高いので桜井線を使っていました。奈良駅では桜井線はほとんどが1番線に到着、その1番線はそこで行き止まりになっていて、隣の線は貨物を下すホームでよく電気機関車が停まっているのを見たことがあります。跨線橋を渡って大阪方面は3、4番線、京都方面は5、6番線、ただ京都へはいつも近鉄を利用しているので、こちらのホームには行く機会はほとんどなし。大阪方面へ行く時は写真3枚目にある赤い帯の快速電車、昔はこれ乗るの楽しみやったなあ、何か遠くへ行くんだなあと言うワクワク感があった。その後は25年間通勤に使った路線、もう見飽きた風景ばかりですが、この頃は向かい合う座席に座って窓の外の景色を見るのが何よりも楽しみでした。
奈良県は沖縄県を除く全国で唯一の特急も急行も走っていない県、でも昔は急行『しらはま』が京都、名古屋~白浜間を桜井線、和歌山線経由で、急行『かすが』が名古屋~奈良間で走っていました。ただ自分(一人称)は1度も乗ったことはないままなくなってしまった、奈良線、関西本線は子供の頃は全然乗ったことがなかった。昔の時刻表を見ると、桜井線はまだ電化前で奈良線、関西線との直通も結構あって、桜井~亀山間と今では考えられない区間を走っていた列車もありました。その頃は乗車口が1段高いディーゼル車両、下にある写真に写っている、昔懐かしな気持ちにさせてくれる車両でした。
2番線ホームは異様に長く、列車を下りてきた人は皆そこを通って改札へと向かいます。上の写真1枚目が昔の国鉄奈良駅、寺院風の造りの駅舎は一番最初の写真にもあるように今も健在ですが、高架化される時には壊されるかも知れないと言う話もありました。まあ何とか残してもらえることになり、高架工事中は駅舎ごと移動させられたりしていましたが、高架駅完成後はほとんど元にあった所と戻され、今は観光案内所として余生を過ごしていると言ったところです。
上の写真1枚目、2枚目を見てお分かりの通り、昔の奈良駅は構内が広く、6番線の向こうには車庫と転車台がありました。自分(一人称)は6番線ホームには行くことがなかったのではっきりとは見たことなかったし、普通にあるものだと思ってたものなのでそんなに気にはかけてなかったが、今となっては保存しておいたら観光名所にでもなったのでは・・・とも思います、まあ自分(一人称)が決められるわけじゃないから仕方ないけど。その下の写真は今では奈良では見ることができなくなったディーゼル車両の並んだ風景、この頃は奈良県では関西本線(奈良~湊町、当時)以外は非電化区間のローカル線、本数は今とは数段に少なかったが、ディーゼル車両が我が物顔で県内を走っていた。その後は桜井線、奈良線、和歌山線と電化されて一気に奈良県は電化率100%へ、関西本線も加茂まで電化されて、快速も半分が加茂発となった。国鉄からJRに代わり、関西本線を走っていたディーゼル車両はリニューアルされて、県内を賑わせていた車両は1往復のみ残った急行『かすが』のみ。やがてその急行は廃止されて奈良県は優等列車空白の時代に、加茂を通り越して奈良まで乗り入れていたディーゼル車両も来なくなって、ついに奈良県からディーゼル車両が消えてしまった。隣の三重県はまだまだ非電化区間も多くて古いディーゼル車両を多く見ることはできるが、奈良県は沖縄を除く全国では唯一ディーゼル車両が全く走っていない県、それはそれで寂しい話です。
さて、そんな昔懐かしい国鉄奈良駅とその周辺の風景、今はどうなってしまっているのかと言うのが、この下に貼り付けた写真にある通りです。
高架化された駅は少しその広いスペースを持て余している感じもするが、休日は外国人の観光客も多く、京都には及ばないが国際的観光地の名目を保っている奈良の玄関口として機能を果たしている。駅周辺を巡ってみましょう。まず写真1枚目は奈良駅の西側にある奈良100年会館付近、右端に見えている日航ホテルは上の転車台跡の写真にも写っているので、この辺りは車庫のあった端っこ辺りになると思います。国鉄時代の写真の中に線路の上に架かっている跨線橋があるが、それは県道1号線、奈良駅が高架工事に入ると道は封鎖され、跨線橋は外され、奈良駅に近い所に地下を通る道を代わりに作って駅の東西を結んでいた。高架化が完成後の姿が写真2枚目から5枚目にある通り、工事中は封鎖されていた県道1号線は地上に復活して、無機質な高架橋の下を通り抜けている。写真3枚目は大和路線と万葉まほろば線が分岐する所、その下の荒地になっている辺りが国鉄時代の写真にある所となるはずだが、その頃の痕跡など全く今は見ることはできない。もうここには昭和の自分(一人称)が子供の頃の国鉄奈良駅の面影はないが、この先も国際的観光地の玄関口として君臨していってほしいと思います。さあ、時間となってしまいました、今回は是にて終了としておきます。 まちみち
同じ奈良県民です。
キハのパラダイスで28、35、40、48、58、65系
のエクゾーストが今でも忘れられないです。
子供の頃、奈良線でキハ35のベンチシート
(当時はガラガラでしたが)寝転んだのを
かすかに覚えています。
キハ28&58のコンビで木津川を
縫うように走る、ディーゼル動車・・・
勾配区間では
やや非力なエンジンが
豪快な唸り音を上げ、上っていく・・・
ちょっとオイルとタバコ臭い車内と
金属製の椅子取っ手と
窓の上下レバーを触れば
手が金属臭くなるが、窓を上げれば
いい風が入り・・・
意味も無くJNRマーク入りの
扇風機のスイッチを触ったり・・・
テーブル付き(セソヌキプレート付き)
でお菓子やジュースを飲食する横で
紫煙を燻らせる、祖父・・・
全面禁煙の今では考えられない
光景が、そこにはありました。
急行かすが号も500馬力エンジン搭載の
キハ65が良かったです。
関西本線なのに
特急はおろか、急行も無いのは
完全に名前負け・・・
ブルートレインも通らず
本線の名前を返上してもエエと思いますが・・・
桜井線の横の貨物ホーム(0番ホーム?)
で、(多分)今は無き、竜華機関区所属の
EF58を見たのを覚えています。
特に、祖父が国鉄の嘱託職員で勤めて
いたので、国鉄奈良駅は
本当に良かったです。
今は無き、113系も
80年代後半に、221系の新車が入るまで
の青春の乗り物でした。
103系は、今尚現役なのが凄い!
もはや鉄道車両界のレジェンド!
稼働率の悪いホテル(観光シーズン除く)
なんかと、ハリボテのホール造るん
やったら、ラウンドハウスと転車台
残して、鉄道ミュージアムでも
造ってくれたら、本当に良かったのに!!
とありますが、正しくは東京都と神奈川県もディーゼル車両はありません。、