まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1186 愛知の旅(6)・・・蒲郡、今日はここまで

2019-08-30 08:24:04 | 旅行記
おはようございます。


















GW愛知の旅、行きの電車の中で急遽変更した行程で名鉄名古屋本線~西尾線を各駅巡りで進んできました、途中旧東海道の宿場町や古い町並やこれと言った特徴のない町並、田園風景の中をいささか退屈気味に走って来ましたが、吉良吉田を過ぎた辺りからは海も見えてきてやっと旅に色がついてきた感じ、今頃になってからかよ~と言われそうですが。西尾駅からは各駅巡りの枠を外して走って来ているのですが、吉良吉田駅から終点の蒲郡駅までは幹線系から分断されて、名鉄の一時代前を代表する感じの重厚そうな電車がこの区間をシャトル運転している。各駅巡りをこの区間に重みを置いた方が良かったな~とも思ったが後悔していても仕方がない、ここは所々で現れる海の風景を楽しみながら進んで行くことにしよう。












蒲郡市に入りいよいよゴールも近くなってきた、写真2枚目~5枚目にある名鉄西浦駅、ホームは島式で1面2線の電車の行き違いができる構造になっている。周辺の町並は結構賑やかで近くの温泉への玄関口でもあるとのことで昔は特急、急行も停車していた駅だったとか、それも今は寂びれた感じの駅舎にローカル情緒漂うホーム、当時の華やかさも懐かしい思い出になってしまったと言ったところだろうか。町中を貫く県道を進んで行くとやがて国道247号線の交差点へと突き当たる、さっき分かれた道は町に近づくにつれて道は広くなり交通量も多くなってきている、この道へと入り蒲郡を目指すこととする。雰囲気的に海は近くにあるのだろうが整備された土地に邪魔されて見ることができない、競艇場前を過ぎると蒲郡の中心部へと差し掛かって行く、左手側には名鉄、JR東海道線の高架線が見えてきて、やがて蒲郡駅前へとたどり着く。















自転車をたたむにはまだちょっと早い時間だし、もう少し風景を見ておきたいと思い、駅前より真正面へと港へと至る道へと入って行く。港の方にはいろいろな観光施設があるみたいでたくさんの人が横断歩道を渡って駅の方へと戻ってきている、自分(一人称)はその流れとは逆向きに港の方へと相棒君を進めて行く。夕暮れにはまだ早い時間だが人影の少なくなった港は寂しい雰囲気が漂っている、灯台が立つ突堤の向こうに見えている島は竹島、島の先っぽに赤い鳥居が見えている、まあ相変わらず鳥居は写真に撮らない主義なのでここでも位置に気をつけてカメラを向けているわけですが・・・。それにしても寂しい風景だな~、さっきの人たちはここに来るまでのショッピングセンターから出てきた人たちだったのかな?何か空しい気持ちになって来た、とりあえず一回りしたことだし駅へと戻って相棒君を寝床につかせるか・・・。







蒲郡駅からはJRで豊橋駅まで輪行、急仕上げの行程だっただけにどこか消化不良な旅になってしまった。今年のGWは10連休とのことで宿はどこも早い時期からない状態、いろいろと探しまくってやっと見つけたのが豊橋駅前のビジネスホテル、とりあえずそこを押さえてからどんな行程で走るかを考えていたのだが、これがなかなか決められなかった、まあ交通費を抑えたいと言うのもあったのだが。いくつかの案から当日これで行こうと決めていた行程で家を出たのだが・・・初日で天竜浜名湖鉄道を巡る予定だった・・・行きの電車の中で考えが変わってしまった。と言うことで初日は6回に渡ってお送りして来た行程で豊橋へとたどり着きました、ホテルは駅のすぐ前、確か前に一度泊まったことがある所だった、明日は天竜浜名湖鉄道線各駅巡り、また早起きしなければならないがそれはもうお得意なもの、今夜は明日に備えて英気を養うことにしよう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。             まちみち



No.1185 万葉歌碑巡り・天香久山編

2019-08-28 09:19:48 | 万葉
おはようございます。












万葉歌碑巡り、今回は橿原市の一番北に当たる所、大和川の支流となる寺川が流れる辺りから天香久山方面を巡って行ってみようと思います。寺川は近鉄橿原線と下ツ道をなぞるように流れた後、橿原市を入った所で向きを90度東へと変え、クネクネと曲がりながら桜井市へと至って行く、その途中、ちょうど中ツ道が通る辺りに竹田と言う集落がある。その町の中にある竹田神社にある歌碑、そのすぐそばにある寺川に架かる橋の欄干には同じ歌が刻まれている↓↓↓

「うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の 間なく時なし 我が恋ふらくは」(大伴坂上郎女・巻4-760)

作者の女性がこの地に訪れた時に、佐保(奈良市)の自宅に残してきた娘を恋しく思う気持ちを歌ったものだと言うことです。まるで昨日(27日)の朝ドラのなつみたいですね、あの赤ちゃん、なつが手を離すと「ママ、ママ・・・」と泣いて、なつが抱き寄せるとピタッと泣き止んだ、広瀬すずより演技うまいやん!!
中ツ道は平城京と明日香の橘寺を結ぶところから橘街道と言う名で街道筋を整備していくとのことだったが、今のところどこがどう整備されているのか分からない感じ、そのルートもイマイチはっきりせず、近鉄耳成駅前を通るのが中ツ道、近鉄大福駅前を通っているのが橘街道となってしまっている、どないなってんねん!その大福駅へと至る道の途中にある三十八柱神社、その境内には一番下の写真にある全文漢字の歌碑が立っている、作者は上の歌と同じ大伴坂上郎女と言うことなのでこの辺りが所縁の地だったと言うことだろうか。この三十八柱神社、読みはほぼそのまま「misoyahashira」、写真を見ても分かるように西日が差し込む時間に訪れたのですが、実は後日、別の目的でも訪れています、その話もまた別枠でお送りすることになると思います。












桜井市の阿部文珠院から西へと橿原市のおふさ観音まで続く道が大和長寿の道、と言っても車がたくさん通る都市間の連絡道路です。桜井の市街地を抜けると田園風景が広がり右手側には耳成山、左手側には天香久山が見えてくる、この辺りにはたくさんの万葉歌碑を見つけることができます。いくつかの歌碑を巡って天香久山の方へと入って行く、広い道が山を貫くように通っているが、ここでのお目当ての場所に行くにはその脇の狭めの道を入って行くのがいいとのことでそちらの方へ。山の裾の緩やかな上り坂を進んで行くと、池の脇に写真下4枚目~3枚目にある歌碑が耳成山と二上山に挟まれるように立っている場所へ、更に道を進んで行くとお目当てである万葉の森の入口へとたどり着く。深い森の中を遊歩道が通っていてその両脇には万葉歌碑が並んで立っている・・・その風景は下にありますフォトチャンネルにて・・・、道は緩やかな上り坂になっていて途中の分岐点で香久山の頂上へと行くことができるが、そちらへは進まず一旦香具山を抜けることにする。

天香久山・万葉の森


















大和長寿の道へと戻り藤原宮跡方面へ少しだけ進むと天香久山神社と記された道標があるのでそちらの方へと入って行く、道は最初山へと真っ直ぐ伸びているが、やがて上り坂となり山の斜面に沿うように建つ民家の中を抜けて行く。その集落が終わる辺り、真正面には香久山のうっそうとした森が控えている、後ろを振り返ると田園風景の中に緑色がくっきりとした耳成山、更にいつもこんな表現でごめんなさい、ちょっとだらしない感じの二上山・・・この山は本当に見る方向によって表情が変わります、またいつか取り上げますね・・・も見えている。坂道を上って行くと道が途切れてしまい、その行き着いた所にあるのが天香久山神社、境内に入って行くと

「春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣干したり 天の香具山」(持統天皇・巻1-28)

「ひさかたの 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしも」(柿本人麻呂・巻10-1812)

共に天の香久山と歌に刻まれた2つの歌碑が立っている。持統天皇と言うと推古天皇から始まって4人目となる女性天皇、皇位継承を巡ってのこの時期でよく名前の出てくる人だが、夫の天武天皇の政策を引き継ぎ、藤原京の造営に関わったことや当時の法令の制定などで歴史の教科書でもよく名前が挙がる女性です。写真下2枚目にあるのは藤原宮跡の一角に立つ歌碑ですが、そこにも同じ歌が刻まれています、様々な政治のしがらみを経て天皇の地位へと上り詰めた持統天皇の魂がこの藤原京に宿っている感じ、天香久山はその場所を見守っているかのようです。大和三山の中では一番低く、きれいな姿を見せている他の2つの山に比べるとちょっと地味な存在の天香久山も、万葉集の世界では一番の主役を主張しているかの様です、と言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1184 甲子園は変わらなければならないのか・後編

2019-08-26 10:56:05 | 日記
おはようございます。


そんなわけで前回の続き、甲子園の話をしていきたいと思います、こいつの持論もいささか甚だしいなあ~とも思われそうですが、もしよろしかったらほんの数分お付き合いください。
前回は後半いろいろな問題について自分なりの勝手な意見を述べたのですが、マナー問題については今回へ繰り越しとなってしまいました、まあマナーと言ってもいろいろありますからね、ちょっと話が横にズレる件もあると思いますが・・・。まずはこれ↓↓↓



試合中の派手なガッツポーズを注意されたとのことでしたが、別にいいんじゃないの~、嬉しい、悲しい、悔しい・・・感情をあらわにするのって悪い事じゃないでしょう、それは選手も監督も応援団も関係ないよ、相手に対して失礼と言うのもちょっと後退的、閉鎖的な考えがしてならない。全国にはいろいろな監督さんがいらっしゃってみんなそれぞれの考えや理想を持っていると思います、テレビで試合を見ていていろいろな場面でチラッと映る監督の表情はだいたいはほとんど無表情が多いのですが、だからこそこんなネタになりやすい人がいてもいいんじゃないですかね~、まあ固いこと言わないでよ~と言ったところです。でもこの監督さんも出場回数はまだ少ないが、春夏連続でチームをベスト4まで導くのだから手腕はやはり大したものなんでしょう、激戦区兵庫県の中から明石商が頭一歩抜け出した存在になった感じがします。



↑↑↑別に習志野の応援がどうのってわけではないですよ、ブラスバンドの応援も甲子園の風景の一つです。最近ネットでよく言われているのが相手チームが守備のタイムをとった時にその応援の演奏をやめること、これはいい事ですね、智辯和歌山もジョックロック止めていましたからね。ただ、この場面を見ると(聞いていると)2年前の準決勝の広陵vs天理の試合を思い出すんですよね~、9回裏、天理の応援団はサヨナラのチャンスで13分間「ワッショイ」を演奏し続けた、確か広陵の投手交代の時も演奏を止めてなかったはず、あれを今やってたら批判の的になるのかな~?でも演奏止めたら勢いまで止まってしまいそうで・・・どうなんでしょう、あの9回裏の攻撃と「ワッショイ」で古き良き時代の強かった天理の姿を思い出してくれた人も多かったようで、試合には負けましたが自分的には奈良県勢ベストゲームの一つです。



準々決勝での試合での一場面です、これ、いい場面ですよね~って天邪鬼の自分(一人称)はどうもそう思えないんだよなあ。仙台育英の選手が笑顔で星稜の選手にドリンクを手渡している、殺し合いの場所・・・と言うと物騒だが野球では二死や重殺、盗塁など物騒な文字がよく使われる・・・で笑顔で敵に塩を送るとは、しかも渡しているのは負けている仙台育英の方、いいシーンに見えるし絶賛もされているけど、何か、何かなあ~、いや、自分(一人称)がひねくれていることは分かっているんですけどね。それに対してこれも結構目立ったのが勝ったチームが校歌斉唱の後、相手チームのベンチに一礼する姿、これはいいですね~、試合終了のサイレンが鳴り戦いが済んだ両チームは勝者と敗者は分かれて敵同士だったと言う時間から解放された瞬間と言う感じ。これこそスタンドプレーだと言われかねないかも知れないが、戦いが終わってまず相手に敬意を示す一番最初の行為としてこれから定着していくんではないでしょうか。

と言うことで自分なりのいろいろな意見を述べさせてもらいました、まああくまでもと言うことで大目に見てください。でも高校野球は変わらなくていいんです、何も変える必要などないのです、問題があればその都度対処して少しずつ変えて行く、球数も暑さもタイブレークも、それでいいんです、考え方に新しいも古いも令和も昭和もありません・・・。


ちょっと空気を変えましょうか、一昨日(24日)は映画を見てきました、これです↓↓↓



まあ感想を言えば単純に面白かったです、こんな世界もありかなと言った感じ、ただ自分(一人称)、ドラマはオンタイムで見てなかったんですよね~、何かやっぱり気持ち悪いイメージがあったからかな。でも放送中から話題になっていて放送終了後にはABCで深夜だけど再放送が始まった、録画して見てみたら案の定いびつな世界が展開されているドラマやな~とは思ったが、まあまあ面白かった、と言うことで映画も見に行こうと決めていたわけです。
映画は主人公の春田が海外赴任から日本に帰って来たところから始まる、婚約者の牧との関係が怪しくなり、部長は階段から転落して記憶喪失、新たなキャラクターも登場して何やかんやと関係がわちゃわちゃなるのですが・・・まあその辺りはネタバレになってしまうのでこれくらいにしておきましょう。主演の田中圭はもうベテランの域に入ってきているが若い頃はずっと脇役に甘んじていた感じ、上野樹里とよく一緒に出ていた印象があります。大河『軍師官兵衛』では石田三成役、大河ドラマではその人物が主人公側にいるかその逆側にいるかでキャラ設定が大きく変わるが、この時の石田三成は完全な悪役↓↓↓



これまでもいろいろな俳優さんが石田三成を演じてきています、今日曜日の朝に再放送している『葵徳川三代』では江守徹が演じているが何か老けすぎ、原田龍二がやっていた時もあったんですね、その役にふにゃふにゃしたイメージの田中圭で大丈夫か、とも思ったがその思いは完全に裏切られました。目つき、口調が悪役そのもの、黒田官兵衛とは完全な敵対する人物を見事に演じ、それまでのイメージを覆してくれました、来年の大河では誰が演じるんでしょうか、もう決まっているんかな・・・と相変わらず話が逸れてしまったわけですが、石田三成を見事に好演した田中圭でしたが、今回のドラマ、映画の主人公ではまたまたふにゃふにゃに戻ってしまっていました。同僚、上司、更に今回は後輩からも、それもみんな男、恋心を抱かれる主人公、でも彼も満更ではなさそうで牧との結婚を意に決めている、その辺りの気持ちの切なさが見事に描かれています。そしてドラマでは春田をあきらめた部長がまたまた・・・となるのですが、その辺りはヒロイン・吉田鋼太郎がさすがの緩急っぷりで見せてくれています。


さて、この前ここでお伝えしたカメラの白飛びの件、これまでは望遠にすると画像が白くなっていたのですが一昨日のこと、つい1倍率でも白くなってしまいました、もうこれはダメだ・・・、と言うことですぐに近くの上新電機へと向かいました。相棒君も調子が悪くて手術が控えている状態、出費がかさむなあ・・・とのことで安いものでいいわ、と思って見に行ったのですが、やっぱりそううまくは行かないですねえ。とりあえず安いカメラに目をつけたものの予備のバッテリーも必要になるのでそのことを店員さんに話すと取り寄せになるらしい、しかも値も張りそう。一方でそれより値は7000円ほど高いが今まで使ってたカメラと同じメーカーの同じバッテリーのものがあった、どちらが得かは考える間もなかった、即決で後者を選択、しかもカードのポイントがたまっていて5000円ほど安くなった。カメラは分割で購入、しかもラッキーだったのはついさっき壊れたばかりのカメラと全くの同型、どうりでバッテリーが同じはずだ、ほとんど説明書は見ることなくバッテリーを入れ替え設定を前のカメラと同じにして、翌日早速デビュー戦、これまでと変わりなく使えるのがありがたいし、やっぱり画像が普通に写ってくれるのが一番ありがたい。その後相棒君の手術も終えて出費はかさんでしまったが無事走ることができるようになった、いろいろなトラブルのせいでつまらない夏を過ごしてしまったが、この借りは秋に取り返すことにしよう、でも慢性的な金欠が・・・今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1183 甲子園は変わらなければならないのか・前編

2019-08-25 15:52:29 | 日記
おはようございます。


夏の甲子園が終わりました、今年も大阪勢、履正社が優勝しました↓↓↓



まあ開催前は優勝候補の一角に名前が挙がっていたから順当と言ったところでしょうか。まだPL全盛の頃の大阪大会で有力校が次々敗退していって最後の決勝に残ったのが履正社と関大一、自分(一人称)は関大一を応援していたのですが優勝したのは履正社、甲子園初出場となりました、この校名が読めなくて「FUKUSEISYA」と言っていたこともあったが、いつの間にか強豪校となってついには頂点に立つまでに至りました。今では大阪では大阪桐蔭との二大勢力となったが向こうは出れば優勝の繰り返し、一方の履正社は選抜準優勝が2回・・・それでも十分凄いんですけどね・・・で夏はなかなか結果が出せなかった、いわば日陰の存在だったが、この優勝で一矢を報いることができたと言ったところでしょう。この優勝で初めて知ったのが「お笑いスター誕生」10週勝ち抜きのおぼん・こぼんが履正社出身だったとのこと、東京の芸人さんのイメージがあったが大阪出身だったとは意外なことでした。

一方、準優勝に終わった星稜ですが、さすがに今回こそはとも思ったのですが、終わってみれば何か「やっぱり!」って感じでしたね。もう優勝できないキャラなんでしょうか、仙台育英とか聖光学院とか、まあ一歩間違えば智辯学園もこのキャラになっていたのかも知れないけど・・・。仙台育英の場合は実力的なものがあと一歩かなと言う感じなのですが、星稜はもう持ち味的なものなんでしょうね、延長18回の箕島戦、松井敬遠の明徳戦、タイブレークの済美戦、サイン盗みの習志野戦・・・この間の智辯和歌山との試合ではその呪縛が解けたかと思ったのですが、やっぱり「やっぱり!!」だった。この間のテレビ朝日の高校野球総選挙では13位にランクイン、20位内には他に東北、仙台育英と優勝未経験校が3校ランクインしていたが、過去の試合の印象度やメジャーへ行ったOBがいることなどでランクインした感じ、日大三や興南、作新学院を差し置いてのランクインはちょっと作為的なものも感じてしまった、まあ天理も7位にランクインしていたくらいですからね。星稜がまだ優勝していないことを意外と言う人もたくさんいるみたいでした、これまでの決勝進出は1995年の1度だけ、この時の準決勝の相手は智辯学園、準々決勝でPL学園を倒して調子に乗ってたから星稜も、と思ったが負けちゃったんだよなあ。後に近鉄(Bu)に入った山本投手がいた頃で星稜もいよいよ優勝かと思ったが帝京に敗れてしまいました、でも星稜と言えば・・・と言う感じでこれまでこの準優勝は負の歴史の中にはあまり取り上げられないんだよなあ。今回は奥川投手を擁しての決勝進出、智弁和歌山相手に23三振を奪ったピッチングが履正社相手に冴えるかと思ったのですが、負けちゃいました、もうこうなりゃいつになったら優勝できるのと言った感じです。


毎回甲子園が終わると自分(一人称)のベストゲームを選ばせてもらっているのですが、今回はやっぱりこれ↓↓↓




まあこれしかなかったと言うのが正直なところ、あと印象に残ったと言えば↓↓↓






写真で挙げてみたのですがどれも緊迫した流れからの効果的な本塁打が出た試合です。写真1枚目の試合はラジオで聞いていてあまり対戦的には興味なかったのですが、9回では決着がつかず延長に入り12回裏、ここを抑えればタイブレークと思った寸前に飛び出したサヨナラ本塁打でした。3枚目は鶴岡東が春の準優勝校を破った試合、2回表の速攻、8回、9回の丸山選手の2打席連続本塁打はお見事でした。鶴岡東は昔は鶴商学園と言っていた所、確か天理がここに負けたことがあったんですよねえ、山形県勢は昨年奈良県勢が春夏で申し訳ないことをしてしまったのですが、鶴岡東の快進撃は山形県に明るい希望を見出してくれたと思います。一方で高校野球総選挙では東北勢で一番先に優勝するかもと言われていた仙台育英は20点取って勝ったかと思えば17点取られて負けるとか波乱万丈な試合ぶり、昨年も大量得点で敗れているしどうも安定感のなさが目立つ感じ、これでは優勝もまだまだと言う気が、案外東北勢で一番最初に旗を持って帰るのは山形県勢だったりして。


その東北勢と言えば大船渡のろうき君・・・この名前、やっぱし玉山鉄二つながりだったみたいです・・・、やっぱり甲子園で見たかったなあ。世間では大きく騒がれている選手ですが、残念ながら自分(一人称)の中では甲子園に出場したどの投手よりも格下の評価しかできません、やっぱり甲子園に出て来てからこそなんです。大船渡の監督さんの考えや采配を今更言っても仕方ないのですが、やっぱり予選の決勝ではオレが行く、行かせてくれ、と言ってほしかったですね・・・ってこう言うお山の大将みたいな考えが古いって言われるのかな。
星稜の奥川投手は仙台育英戦でマウンドの伝令に行って「今日は投げたくない」と言ったとか、多分仲間を信頼しての冗談だと思いますが、そこはオレが行く、みたいな叱咤激励の方が良かったのでは。準決勝を投げて1日休養があって決勝、この日程が微妙に両校の選手のモチベーションに影響を与えたのではなかったのかと思います。星稜としたら2試合続けての大勝、できればその勢いのまま行きたかったのでは、でも奥川投手のことを考えると・・・ってところではなかったんでは。対して履正社には攻略を考える時間を与えてしまった、決勝の奥川投手が本調子じゃなかったのもその辺り、日程変更による気持ちの持って行き方が影響したんではなかったんではと思います。


今回の高校野球でもいろいろな問題が取り上げられました、暑さ対策、球数問題、誤審、マナー問題など。球数に関しては各チームの考えがあると思います、一人の投手に任せるか、それとも分業制で行くか。今年は完投数が少なかったとか、上を目指す・・・ってどの学校もそうですが・・・勝てるチームならそれが当然でしょう、いくらお山の大将でも潰れてしまってはどうしようもない。でも昨年の金足農の吉田投手は決勝の途中までずっと一人、智辯学園がセンバツで優勝した時の村上投手も全試合完投だった、他にも決勝まで一人で投げぬいた投手も少なくない。これはもうチームを上へ導くべく監督の考えにまかせるべきでしょう、無理に周りが球数に制限を設けるなどしない方がいいのかも知れない・・・となると大船渡の監督さんや星稜の歌う監督さんの考え方は正しかったのか間違えだったのか?ただ言えるのはこの2つのパターンはどちらも失敗していることです、片や甲子園へは行けず、片や優勝当然の流れでも勝てず・・・ですからね。
暑さ対策はこないだのモーニングショーでそれこそ熱く議論されていました



↑↑↑この人が出ていたのですが極論を述べていたせいかかなりコメンテーターにきつくやり込められていました、でも言っていることは全然間違いじゃなかったんだよな~、結局古き良き時代を前面に押し出した考えが受け入れられなかったと言ったところですか。暑さ問題についてはここ最近かなり言われているようですが、夏の暑さは昔から変わらないことなのになぜこれほどの問題になって来たのでしょう、今の子に体力がなくなって来たとか、いや~それはないでしょう、温暖化、熱帯化?となるともうこれは甲子園だけの問題じゃないでしょうし。開会式の水分補給タイム、試合合間の水分補給タイムはいい事だと思います、でも番組で取り上げられていた暑さ問題は甲子園での開催を覆してしまいそうな話ばかり、コメンテーターが繰り出してくる言動にノノムラが跳ね返すと倍になって返されてしまう、テレビを見ていて何とも気の毒な感じがしました。甲子園に屋根を付ければ・・・冗談じゃない、それじゃもう甲子園ではなくなってしまう、開催時期をズラす・・・学生の進路のこともあるし授業のこともあるからで8月の開催なのでしょう。
8月が暑いのは当たり前のこと、余程の天変地異がない限り涼しくはならないのだから、やっぱりノノムラの言っていた通り「死ぬ気で」やらなければならないだろうな。でもね、これは自分(一人称)のわがままな独り善がりな考えになるけど、夏の甲子園は8月の一番暑い時期にやるのが一番だと思っている、この時期だからこそドラマが生まれるものだと思っている、自分(一人称)はそのドラマを耳で受け取りながら・・・まあいつも言うようにこれは違反なんだけど・・・炎天下の中を走るのが夏の楽しみです。自然現象に手を加えることはできないがこの時期に開催する対策はいくらでも考えることはできる、前にも書きましたが野球ファンに古い考えも新しい考えもありません、101年続けて来た伝統を覆す考えだけはやめていただきたいところなのですが・・・長々と書いてきたけどまだまだ話し足りないな、マナー問題も取り上げておきたいし、と言うことですみません、次回もう1枠だけ、甲子園のこと話させてください、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち



No.1182 百舌鳥古墳群巡り、その2

2019-08-21 11:05:50 | 文化財
おはようございます。










2回連続で大阪シリーズ、今回は百舌鳥古墳群巡りの第2回目です、前回は万葉歌碑巡りで訪れた仁徳天皇陵、日本で一番大きなお墓を造ってもらった天皇ですが実は原田龍二みたいな人物だったことは歌碑巡りの項でお伝えしました。天皇は皇后を迎えに行ったのに応じられず・・・それは浮気相手との身分の違いが支障になったためだとか、本当は帰りたかったがそうなると自分の扱われ方が変わってしまいそうだったと言うのが真相らしい・・・皇后は天皇に対する思いを歌に綴って亡くなったと言うことでした。そんなワイドショーネタになりそうな天皇ですが、上のモニュメントを見ると周辺に小さな古墳をまるで子分のように従えて、守られるようにして天皇陵が威圧している感じ、前回はその子分古墳の北半分を巡りました、今回は残りの南半分を巡って行こうと思います。

















まずはモニュメント写真2枚目の赤丸、銅亀山古墳は万葉歌碑が立つ西側の遊歩道の入口となる所にある、形式は方墳と言うことだが正面から見ると丸味を帯びた小さな丘にしか見えない。その赤丸の下には目玉おやじと頭でっかちなオタマジャクシみたいな古墳に色丸を記しているが、仁徳陵とこの2つの古墳の間には実際には道路が通っていて、その道路の南側にあるのが大仙公園、2つの古墳はその公園に属した場所にある。公園の一番北の玄関口にあるのが緑色の丸で囲んだ狐山古墳、森の中にポコンとした形の丸い丘が柵に囲まれている、さっきの古墳が方墳だったのに対してこちらは円墳、でもどちらも同じ形のように見える。歩道を東に進んで行くとすぐに紫色の丸にある竜佐山古墳、その後公園内に入って更に進んで行くとモニュメント写真3枚目のオレンジ色の丸にある孫太夫山古墳、どちらも公園内の森の中にある丘になっている部分で古墳だとわかるが、まさに木を隠すなら森に状態である。ここで一旦公園を抜けて道を渡り仁徳陵の一番南東側へと至る、その角っこにあるのがピンク色の丸にある収塚古墳、ちなみにここまで前回から渡って巡って来た仁徳陵の子分のようにある古墳は「陪塚」と言って↓↓↓

「近親者や従者を葬ったとされる大古墳の近くに存在する小さな古墳である。大仙陵古墳(仁徳陵)で宮内庁が指定・管理する陪塚は12基ある。」

とのことです。ここで陪塚巡りは終わり、この辺りはJR阪和線の百舌鳥駅に近い所、その線路沿いにある道へと入って行くとあるのが写真下3枚にある長塚古墳、柵の向こうに立っている碑には仁徳天皇陵の文字が刻まれているが規模の大きい古墳と言うことで陪塚ではなさそうだ。




















再び大仙公園へと戻り、園内を走っての古墳巡り、森の中の遊歩道を進んで行くと市民の憩いの広場と言った感じの場所にポコッと小さな丘が2つ、それぞれその手前に表示の碑があって古墳だとは分かるが、この走りのガイドとして利用したウォーキングマップにはその2つの古墳は記されていなかった。広場を抜けると右手側にはまた森があって、遊歩道が緩くカーブになって通っている、そのカーブの道が囲っているようにしてあるのがグワショウ坊古墳、その道の走り具合からしてきれいな形の円墳だと言うことがうかがえる。その隣にあるのが旗塚古墳、こちらは小さな前方後円墳だが、両方の古墳ともさっきと同じように気を隠すなら森に状態の場所にある。緑の眩しさと樹から漂ってくる匂いが梅雨に入る前の時期で心地いい、その森を抜けると市民の憩いの場となる丘があり、たくさんの人が青天の休日を楽しんでいる、こちらは孤独に古墳巡り、でも相棒君がいるから寂しくないもんね。大仙公園の一番南の出口へとたどり着く、その出口の向こうには大きな古墳が見るからにと言った存在感を漂わせているがそちらについてはまた次回の項でお伝えすることにしておきましょう。大仙公園の出口に当たる広場には写真下3枚にあるまん丸のポッコリ丘の七観音古墳、手前の看板には向こう側にある大きな古墳の陪塚と記されている。柵がないから入られ放題じゃないかとも思ってしまうが、ここは公園だから市民の憩いの場として開放されているのだろうか、世界遺産にしてはちょっと無防備な気もするのですが・・・と言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち